「伊藤さん。今はこの新聞での収入がなくてもインターネットの普及でいずれは収入につながることでしょう。そうなったら将来、『秋田県南日々新聞』という名前を守るためにも商標登録だけはしておくべきです」。取材で顔見知りとなった弁護士からそのようなアドバイスを受けたのは確か2年前だった。広辞苑によると商標権とは「一定の商品につきその商標を登録することにより、その商標を排他的・独占的に利用する権利」とある。つまり「秋田県南日々新聞」と言う名を独占し、守るために特許庁に登録するという事のようだ。
そのアドバイスを受け、秋田市の弁理士を通じて商標登録の手続きを取っていたがやっと特許庁から承諾を得たとの連絡を頂いた。同時に登録料や弁理士への成功報酬で合わせて11万3000円の請求が来た。ケンニチの預金通帳を見ても残高はせいぜい5万円足らず。どうしたって払えない。情けないが1万3000円だけは自分で払って残りの10万円は妻から「5カ月払い」の約束で借りた。個人でやっているインターネット新聞とは言え、弁護士は「将来、収入を得るようになればどんな横やりが入るか分からない。心配なのは県南日々新聞という名を別の業者が先手を取って登録したら、伊藤さんが最初にその名を使ったとしても使えなくなるということです」とのことだった。
まあ。安心料と思って取った手続きだったが、紙を持たないインターネット新聞とは言え実際、国の機関である特許庁にその商標が認められた新聞になったと思ったら、不思議なもので気持ちまで大きくなってしまう。特許庁が「秋田県南日々新聞」と言う名を法律によって守ってくれることになったからだ。登録までの調査や手続きでも確か10万円ほど支払い、実際の登録の段階でさらに11万3000円。その登録手続きまでの10万円も借りて払ったもので、やっと今月で支払い済みとなる。ホッとしたのも束の間、また新たな負債を抱えてしまったが、5カ月頑張ればなんとかなるだろう。
それにしても何かあれば妻の資金援助を頼らなければならない困った新聞である。それでも月々2万円の分割払いをしても手元にはある程度の資金が残るまでになった。近い将来はもう1件、広告掲載となりそうな嬉しい話しもある。そうあってもらいたい。何しろ現在、ケンニチの編集に使っているパソコンはもう耐久度ギリギリの状態だ。こうして原稿を書いていてもパソコンは時々、反乱を起こし、画面が真っ青になる。その度にEnter
キーをポンと押す“ショック療法”で立ち直らせているのだが、いつまでもこれでは困る。箱のどこかをポンポン叩くと音や画面が回復した昔のラジオやテレビじゃないんだとブツブツ言いながら、疲れ切ったパソコンと付き合っている。
しかし、パソコンを使っている最中に画面が真っ青になるのはいいが、これが留守中にやられるとお手上げだ。パソコンはEnter キーを叩いても叩いても反応無しのフリーズ状態となり、電源を強制的に切って再起動を図ることになる。書き進めておいた文章を保存しておけばいいのにそういう時に限って油断大敵火がぼうぼうで保存を忘れ、文章はすっかり消えてしまっている。まさにこちらの頭が真っ白となる。何度、同じ失敗を繰り返したことか。そして何度、その事で後悔したことか。わずか数分の留守中の出来事なのに。
だから今年こそはパソコンを更新したいと思っていた。同時にデジタルカメラもズームレンズ付きのカメラにしたいと念じていた。だが、県南日々新聞の商標登録への支払いでその道も遠のいてしまった。最近、「SOHO」と言う言葉を良く耳にする。スモールオフィス・ハウスオフィスから名付けたらしいが、まさに自分も今はその「SOHO」を手がけていると思う。ケンニチに入ってくる広告収入とプロバイダー「おばこネット」からの依頼を受けて引き受けた「おばこネット」ホームページの表紙写真の更新とそのホームページに掲載される企業を訪問しての企業紹介がそれだ。こうしてやっとケンニチをぎりぎりで維持できるほどの収入となったからある意味で「SOHO」をこなしていると言うことになるだろう。
会社勤めをしてもらう給料からの小遣いは恥ずかしいぐらいの小額だ。家のローンや電気、水道など家の維持費、それに電話、食事などに回される必要最低限の経費を妻から説明されると小遣いを上げてくれとは言えない。それに妻の働きのおかげもあって自分の給料からすればまさに分不相応な車を持たせてもらっているなど多少のぜいたくもさせてもらっている。かといっていつまでも妻の援助を受けての生活からは脱皮したかった。
以前は小遣いの不足分は東京に本社を構える新聞社から嘱託として引き受けた大曲通信部の手当てや秋田市に本社を構える月刊誌からの原稿料、それに忘れたころに時たま売れる写真収入で小遣いの面で不自由は感じなかった。しかし、新聞社もこの長引く不況で県内版をリストラ。通信員制度もなくなり、その収入は5年前から途絶えた。月刊誌の方の仕事はケンニチに取り組んでから手が回らず、お断りしてしまった。貴重な収入源だったが二股をかけての取材はどうしても手が不足した。迷惑をかけるわけにはいかなかった。
パソコンを購入したのは以前にも何度か書いたように当初からインターネットで収入を得ようとしたものではなかった。インターネットに接続し、新聞社のホームページを見ているうちに“ひょうたんから駒”ではないが「自分でホームページを持ったら新聞発行ができる」。単純にそう思いつき「場合によっては収入にもつながるかもしれない」との発想からだった。それがやっと広告収入や関連取材での収入でまだ元ほどではないがある程度の利益を得られるようになった。そして今度は商標登録までやれるようになった。問題は今後の道である。
いつまで一人でやり続けるか。それとも取材記者を育成してもう少し内容を充実させるか。東京の一流大学を今年春に卒業するという大学生から県南日々新聞への採用依頼の申し込みがあった。学生の所属している学部を見るとこれまでも著名なジャーナリストを数多く排出している名門だった。電子メール、その後に送られて来た「履歴書」や「自己紹介」の文章を読んでもほぼ完成された書き手だった。欲しいと思ったが今の収入や内容ではどうにもならない。ケンニチでの記者としての採用はまだ無理だが、書くという仕事をしたいならそちらの道を探究できる別な会社を紹介したいがとメールを送った。そして今日、本人に電話を入れて話し合った。話す口調からも爽やかさを感じさせる学生だった。
「自然が好きで自然豊かな秋田みたいな所で仕事をしたかった」と本人は言い、「目指したいのは新聞記者だった。でも文章を書ける仕事なら伊藤さんからメールで紹介された会社も考えてみたが、どうしたらいいのか迷ってるんです。逆に今年いっぱい浪人し、新聞社を目指すかとも思ってるんです」と本人は言う。礼儀正しい話し方だった。「そうだ。メールでも書いたようにケンニチではまだ給料を払えるような新聞ではないし、良く考えた方がいい。大事な将来がかかっっているから」。「ハイ」。素直そうな口調が好感を持てた。役には立てなかったが、ケンニチはこうした若い人たちからも期待される新聞になったようだ。
とにかく今年の目標は妻から借用した10万円を5カ月払いで返済し、それが済んだらどっか遠くへブラリと遊びにでも行くか。そんな甘いことを考えたら読者にお叱りを受けるだろう。県南日々新聞のために2月10日には西木村の冬祭りでオリジナルの紙風船を上げ、ケンニチを元気づけようと「空飛ぶケンニチプロジェクトチーム」が作られた。そして募金活動の結果、海外を含め61人もの方が19万円を超える金額を寄せて下さった。頑張ろう。そして何とかパソコン、デジタルカメラ更新への夢を実現しよう。パソコンよ何とか持ちこたえてくれ・・・。
最後に「空飛ぶケンニチ」の事務局をされている角館町の宮本貴久さんから再び連絡が入った。空飛ぶケンニチのために宮城県の酒井隼男さんからも一口寄付があったという。酒井さんはケンニチの文化欄へ「法曹界」をテーマに力作を連載して下さった方だ。以前は岩手県の地方紙の記者をしていたが、現在は仙台市で業界紙の記者として活躍されている。酒井さんと知り合えたのもインターネットのたまものだった。酒井さんありがとう。これで空飛ぶケンニチのプロジェクトチームへ寄付をされた方は62人にもなる。こんなにも多くの方からケンニチは支持されている。