こちら編集室「読者からもらったいっぱいの幸せ」(2月18日)

  大曲ライオンズクラブの方から「秋田県南日々新聞」を題材に講演してくれとの依頼を受けた。書くことを仕事としているのだが、なぜか人前で話すことは苦手だ。まだ駆け出しだったころ、記事を書けずに悩んでいると「お前がいま喋ったことをそのまま記事にすればいいのであって、悩む必要はない」と先輩記者から良く言われた。なるほど書くという仕事も人前で話すという事も言葉を頭で整理して順序立てて語るという点では同じだ。しかし、やはり人前で話すのは苦手だ。

  ましてやお医者さんや会社社長らがメンバーとなっている社会奉仕団体を前に話をしてくれと言われると余計、尻込みしたくなる。どうしようかと悩んだが、依頼してきた方がケンニチの熱心な読者である。ライオンズクラブの活動はこれまでも何度かケンニチでも紹介してきた。その人はその都度、クラブの例会があると会員に記事のコピーを配って報告しているらしいが、「どうもうちの会員はインターネット新聞で活躍している伊藤さんの事はピンと来ないようだ。この際、ぜひ例会に顔を出してもらって、インターネットのこと、県南日々新聞のことを語って欲しい」と熱心に口説き落とした。

  秋田県南日々新聞と言うタネは自分で播いたタネだ。タネを播いた以上は自分で水をやり、自分で育てるしかあるまい。とにかく引き受けることにした。ただし条件を付けた。まずスクリーンとノート型パソコンを用意して欲しいと。インターネットをやってない人たちに、ただ口で説明しても理解してもらうのは困難だ。話を聞いてもらうより、画面で直にケンニチを見てもらうのが手っとり早い。講演の話を持ってきた人は行動力の人でもあるようだ。「分かりました」と言って、それから数日すると「NTT大曲支店からも協力をもらうことになりました。スクリーンもパソコンもすべてオーケーです」と嬉しそうに電話で報告があった。そして「演題はどうします」と矢継ぎ早の質問だった。

  演題なんて大げさなことは言えないが「秋田県南日々新聞がもたらした反響」と言う題で話をしたいと思った。ケンニチに取り組んでいろんな反響があった。それは普通の紙の新聞では成せぬ技でもあった。重い心臓病で心臓移植するためアメリカに渡った雄勝町の和輝君。この記事が掲載された時には大曲高校の生徒たちがいち早く飛びつき、和輝君を救うための募金活動をやって10万円を超える資金を救う会に贈っている。

  そして今度は「空飛ぶケンニチ」という読者自身が企画した募金活動。これもまさか海外も含め全国から63人もの方が2000円とか3000円とか、4000円とか中には1万円と言った大口の寄付までされて下さるとは夢にも思わなかった。トータルの金額は19万5000円にも上ったと言う。もちろん企画の中心となった秋田市の高杉静子さんや角館町の宮本貴久さんへの友情と言うこともあったろう。またケンニチを元気づけたいと言う志も多かったろう。それにしてもまだ一度もお会いしたことのない多くの方々からの心付けは嬉しい限りだった。

  大曲ライオンズクラブでの講演はこの二つの話を中心に画面で紹介したいと思っている。わざわざ静岡県から馳せ参じてくれた長谷川雅美さん、神奈川県からも来てくれた「ひでっかちゃん」という愛称の青年もいる。とにかく10日夜は西木村上桧木内に13人のケンニチファンが集まり、とても記念すべき紙風船をみんなで上げた。紙の新聞では成せぬ技をケンニチはなし遂げたのである。しかも空を飛んだケンニチがどこをどう飛んで歩いているのか、その後も市内のいろんな方から「伊藤さん。すごいことを西木村でやりましたね」と声をかけられる。当日はこの話をしないわけにはいかない。

  振り返って見ればケンニチがスタートを切った当初はとても孤独なものだった。技術的な面では田沢湖町の「きたうら花ねっと」のスタッフのサポートがあったから心配はなかったものの、経済的な裏付けもなく、相談相手もなく、ただひたすら取材して記事を書くだけの毎日だった。読者が果たして付いてくれるだろうか。目に見えぬ相手を真っ暗な闇の中を手探りで歩くような寂寥感でいっぱいだった。だれか話し相手が本当に欲しかった。理解者が本当に欲しかった。当時は市役所でさえインターネットをやっている人は少なく、インターネット新聞を話しても相手はただ笑ってごまかすだけだった。ぬかにクギを打っているような虚しさを感じたこともあった。「おれはまたバカなことをしてしまったか・・」。くじけそうな日々に忸怩(じくじ)たる思いも重なった。

  それをいつしか支えてくれるようになったのは「読者からのお便り」だった。「頑張って」「郷土のニュースを楽しみにしてます。どうぞこれからも末永く続けて下さい」。故郷を離れて遠くで暮らす人々からの電子メールでの応援だった。そして海外からの励ましだった。日増しに伸びていくアクセスカウントだった。

  人は弱い生き物である。もしも、この新聞に対する反響や励ましの声が無かったら半年も続かなかったかもしれない。しかも収入にさえつながる見通しもなかったら、1年位で破綻していたかもしれない。経済面で支えてくれたのはケンニチを立ち上げて半年後の大曲駅完成と同時に入るようになった駅利用客のために「プラズマ」で流すケンニチのニュース提供料の2万円だった。貴重な収入だった。しかし、これだけでは不安な収入でもあった。それでも希望や夢があったから、そして日増しに増えるアクセス数が目に見えたから続けられた。読者が居るんだという存在感が継続のエネルギーとなった。

  しかし、たった一人という孤独感は常に付きまとった。土、日の午後。一人で記者室に入り、一人でパソコンに向かっている時の寂しさ、やり切れなさはどうにもならなかった。それを救ったのは初めて掲載された角館町の「おおさわ胃腸科内科クリニック」のバーナー広告だった。広告掲載によって責任感も高まった。大沢さんの広告に続いて今では「出羽鶴・刈穂」の「秋田清酒株式会社」の広告も掲載されている。

  秋田清酒さんからは「南外村の東京会に行ったら通産省の方から『東京にいても県南日々のおかげで故郷の様子が伝わってくるので嬉しいものです。出羽鶴さんも県南日々に広告を掲載してくれているんですね』と感謝されました。ケンニチに広告を載せて本当に良かったと思ってます」とこんな嬉しい言葉をかけられた。

  そうそう。本を送ってくれた読者もいた。今回の空飛ぶケンニチにわざわざ静岡県から駆けつけてくれた長谷川雅美さんである。本は童謡詩人「金子みすゞの宇宙」だった。「読者の広場」に良く「hase」さんの名前で登場する長谷川さんは詩人「金子みすゞ」との出会いの喜びをケンニチと共に共有したかったのかもしれない。本を送ってくる前は「もう焼津市は桜が咲きました」とデジタルカメラで撮った写真を葉書にプリントし、いち早く春を届けたいと大曲市役所に送ってくれてもいる。長谷川さんだけでなく秋田市の高杉さんことshizukoさんからは優しい、とても心のこもった励ましのメールもあった。長谷川さんも、shizukoさんも大曲市とは縁もゆかりもない方である。なのにケンニチの読者として熱心に読んでくれた。多分、「こちら編集室」がお二人を結ぶ切っ掛けとなったと思う。

  そして98年6月には待望の「10万ヒット」を記録。「きたうら花ねっと」の呼びかけで盛大な祝賀会が田沢湖町の温泉「ゆぽぽ」を会場に開いてもらった。県庁から参加して下さった情報システム開発室長の高橋精一さんはこの時、県南日々の「10万ヒット」を祝いたいと「秋田県庁  県南日々愛読者の会」と名付けて募金を仲間に呼びかけ、50人の方から合わせて「5万円」ものお祝金を届けて下さっている。ケンニチはこのように様々な方の心の支えと支援を受けて来た。アメリカの岩間郁夫さんからはエッセーでの支援。マレーシアにいた柳千賀子さんからは「体験記」の支援。北京にいる土門啓介さんからも「北京レポート」の支援を受けた。

  そして今度の「空飛ぶケンニチ」への支援。果たしてこのような形で読者から心で支えられている新聞が世界にあるだろうか。毎日の行動は孤独だが、読者からはいっぱいの「し・あ・わ・せ」をもらっている。元気をもらっている。先日、西木村の紙風船上げの会場でとても嬉しい声をかけて下さった大曲商工会議所の石川勝三会頭は自宅に「妻と共にいつも県南日々新聞を楽しませてもらっています。普通の新聞と違って伊藤さんの心まで伝わってくる新聞です。失礼と思いましたが購読料と思ってお受け取り下さい」と地元スーパーの商品券1万円相当を届けて下さった。このような読者の方もいる。そして最後に「空飛ぶケンニチ」への募金が先の高橋精一さんからも寄せられたことをここに記してお礼としたい。ありがとう。あわせて「空飛ぶケンニチ」に寄せられた募金の中から「2万5000円」がケンニチの活動費として寄贈を受けた。いつかは更新しなければならないパソコン購入費として大切に取っておきたい。アリガトウ。

  秋田はここ数日、雪の日々である。8日夜によその家で誤って転倒して以来、痛めた右手の手首の痛みは依然、消えない。もしかしてヒビでも入っているかと不安になって16日に医者に行ったがレントゲン写真の結果、その心配はないとの事だった。医者は「湿布しますが、できるだけ手首を動かさないように」と言うが、断続的に降り続く雪がそうはさせない。毎朝、車庫前と玄関前に除雪車が置いていく雪の山との格闘がどうしても痛めた手首を酷使させる。やっと痛みが薄れたと思ったら、今朝の1時間近い雪寄せ作業がたたったのか出勤時は車のハンドルさえ回すのがやっとの状態となってしまった。それでも指先だけは自由に動く。助かった。ああ。雪よ。もうたくさんだ。未だに降り続く窓の外の雪を眺めながら、この項を閉じたい。