こちら編集室「事件取材」(2月25日)

  「遠いよ。山奥だよ。行ってみる・・?。だけど行ってみる価値はあるかもしれないね。うちの捜査員はまだ現場にいるし」。大曲警察署の伊藤信夫副署長はこう言って記者をけしかけた。23日、西仙北町円行寺であった火災事件。空き家が全焼し、その空き家の持ち主の長男らしい遺体が現場から発見されたという。西仙北町円行寺。大曲市からは南外村を経て走る近道はあるが、それでも距離にして片道約20キロ。しかも、雪の峠道を越えなければならない。どうしようかと逡巡したが、「うちの署長はいま行って帰ってきたばかりだよ。現場の写真があるのとないのとでは紙面の重みが違うからねー」。副署長は茶化しながら現場へ行こうかどうか迷うこちらを急かす。

  「じゃあ。行ってみます」。「ああ。ご苦労さん」。副署長の声を背中に受けながら、外へ駆け出した。事件取材。殺しや強盗など大事件は滅多にないものの、警察との付き合いはこちらがやる気を見せるかどうかがポイントとなる。とにかく現場に向かうという報道に携わる者としての真剣さを見せないと気を反らされてしまう。副署長は警察のスポークスマン役を果たす。毎朝、各社から事件・事故の電話での問い合わせに答え、捜査本部が置かれるような大事件が発生すると捜査本部と報道各社とを結ぶ接点となって、進行中の事件の内容をどこまで話していいものかどうか的確に判断して情報を流す。報道各社との窓口役を果たしているだけに付き合いが大事だ。

  それだけに副署長として派遣されてくる人たちは物腰も柔らかく、人柄な人が多い。いまの伊藤副署長も警察官としての正義感も高いが、外部の人との応対はとても親切で誠実さを感じさせる。いや警察官全体がこのごろは、昔のお固いイメージの角が取れ、庶民的で親切になってきたと言える。

  警察との付き合いは長いものの、日刊紙の記者として育てられたわけではないため事件・事故ものの取材は未だに苦手である。幸い大事件も少なかったが、事件を追って地をはうような取材に明け暮れた体験はない。あったとすればもう角館町を舞台に西仙北町の旅館の主が殺された事件ぐらいだろうか。この時は夜昼、角館町と西仙北町を駆けずり回り、聞き込みに走ったものだった。女子高生の不慮の死もあった。思い出したくない人も多いだろうから詳細は避けるが、この時も走り回された。いずれにしてもそれほど凶悪な事件の取材体験はない。

  これはある意味で幸いだったとも言えるし、記者としては経験不足になってしまったとも言えよう。そんなことに思いを馳せながら南外村に走った。南外村からは出羽グリーンロードという幹線道路に入り、真っ直ぐに向かうと西仙北町円行寺という集落に着くはずだ。副署長は「坂道を下ると酒屋の看板があるから、そこで左折して真っ直ぐどこまでも走ると現場だよ」と言う。

  南外村までの国道105号は雪は消えていたが、山間(やまあい)を縫って造られたグリーンロードは圧雪状態だった。車のスピードを緩め、やっと目指す坂道を下ると酒屋の看板があった。車を停めて店に飛び込んだ。70歳代のご婦人が出てきた。「円行寺はここでしょうか」。「ああ。ここが円行寺だ」。「あの火災のあった家はどの辺でしょうか」。「ああ。火事か。この前の道を真っ直ぐにどこまでも行くと一番奥の家だ」。ご婦人にとってはまさに生涯一度の大事件だったろう。興奮覚めやらぬ口調で道を教えた。

  再び車に取って返し、走った。家が1軒、また奥に1軒。ポツリポツリと存在する。車は時々、雪道にハンドルを取られ、右へ左へと滑る。走らせながら、人間の生活力の旺盛さや土地への執着心の強さに感心した。山に囲まれた小さな田んぼを代々、ここの集落の人たちは守り続け、子を育て、神々を祭り奉ってきたのだろう。車のない時代はどんな生活だったろうか。店と言えば道を訪ねた酒屋さん1軒だけ。きっと昔の人たちは何が無くても酒だけは必要としたのだろう。だからその需要に応えるため、酒屋さんだけは誕生したのかもしれない。

  火災現場へ向かう道は狭く、対向車が来たら避ける場所さえないくらいだ。まだか、まだかと不安な心をだましだましして現場へ向かう。2キロほど走った。その間に目に入った家は3軒か4軒ぐらいだろうか。道路の片隅に車が停まっている。またすぐ向こうにも車が列をなして停まっている。火災現場に着いたようだ。車のドアを開けると火事場独特の焦げ臭いにおいが鼻を刺激した。亡くなった方は焼け落ちた家の中でどんな思いで死を迎えたろう。捜査員が焼け落ちた現場で忙しそうに立ち回っている。両手を合わせ黙祷をささげてから、カメラのシャッターを押した。

  亡くなった方の両親はこの不便な土地から離れ、数年前から神岡町に家を求めて移り住み、夏場だけ円行寺の自宅に戻って田んぼを耕していたようだと副署長は言った。その息子さんは20日に行われた「町議選の投票に行ってくる」と言って一人で19日夜に円行寺の自宅に向かい、21日は近所の人を自宅に招いて酒を飲んだという。近所と言っても200メートル以上も離れた家だ。夜ともなると物音一つしない山の中だ。味気なく一人で酒を飲むより、気心の知れた近くの人を呼んで酒を飲んだことだろう。その気持ちは分かる。しかし、なぜその翌日も一人で自宅で過ごしたのだろうか。そして不運な最後を遂げてしまった。事件や事故による人の死とはいつでもこうだ。あっけなく人生の幕を閉じてしまう。しかも悲惨な形で。

  取材を通してこのような事件・事故現場に足を踏み入れるたびに思うのが人間「日々平穏」こそ幸いである。「無事是貴人」である。記事を1分でも早く流すためには現場に長くとどまってはいられない。急いで市役所に帰ったが、なぜかとても肩が重い。深い疲労がたまったようで体全体がだるい。思えばここ1週間、雪で体を休ませたことがない。2月も下旬と言うのに天気図は相変わらず雪だるまでいっぱいだ。火災現場で見た焼け落ちた家の光景を目に焼き付けながら記事を仕上げ、ケンニチに流した。

  副署長に確認の電話を入れた。「どうも。伊藤です。ああ。現場へ行ってきたンシか。あまり写真にならなかったベ。跡形もなく家が燃え落ちてしまったからね」。「ええ。見事に焼け落ちてました。近所と言ってもあんなに離れてたんでは家が燃えている音だって聞こえるはずがなかったでしょうしね。それにしても不幸な火災でした」。「まさに燃えるだけ燃えきったという火災でしたからね」。現場を踏んだ記者。副署長の電話にはいつも以上の親しさが込められていた。やはり事件の現場は踏むべきだと思った。これからも現場を見るという感覚を養いたい。そう思いながら事件取材を終えた。(写真は田沢湖高原『鶴の湯温泉』で写した干しモチ)