灰色の雲を切り裂いて朝日が昇った。いく筋もの光が雲の切れ間から地上を走り、道路も家々をも黄金色に染めた。「クウー。クウー」。空から甲高い声がした。見上げると6羽の白鳥が朝日を目指して飛んでいた。渡り鳥たちの“北への旅”が始まろうとしているのだろう。昨年暮れに大病を患った四つ足の娘「アキ」と共に白鳥たちの群れを追い、朝日を見つめた。まだ冷え込みは厳しいが、北へ帰る渡り鳥の群れ、朝の光の温もりからしても春を身近に感じる朝だった。
もうだめかとあきらめかけたアキだったがこのごろは食欲も旺盛で、朝夕、自分たちの気配を感じると「ワンワン」と大声で叫ぶ。そしてしっぽを思い切り振って喜びを表わす。ただ相変わらず便の出は悪い。寒さもあって歩くのがおっくうなのだろう。運動不足を解消し、少しでも腸の蠕動(ぜんどう)運動を高め、便を出させようと強引に引き連れて歩かせようとするのだが、そうなるとテコでも動かないとばかりにアキは四つ足を踏ん張る。もう歩かないと抵抗するのだ。アキの頑固さは相変わらずだ。それでも今朝は気分が良かったのか、朝日を追って自ら先頭になってトコトコと歩いた。アキもパピーもどちも大事な我が家の愛犬である。元気になってくれて本当に良かった。そう思いながら朝日を見つめ、白鳥を見送った朝だった。
重荷だった秋田大学での講演も無事、終った。400字詰め原稿用紙にして約17枚分の文章を書いての事例報告だった。「地域の情報化を考える」をテーマにしたセミナーだった。秋田大学情報処理センター、東北学術研究インターネットコミュニティ(TOPIC)、県インターネット協議会の主催で自分も含め6人の方が30分の時間を与えられ、それぞれの立場からインターネットを活用した事例を報告した。そして日本テレコム情報通信研究所の寺田浩詔所長が「新しい世紀の情報通信網の考え方−PRISMの提案するもの」と題して1時間半の基調講演をされた。
講演の日まで何度も何度も原稿を読み直し、「これでいいのだろうか。これでいいのだろうか」と思案に明け暮れた。県南日々新聞を講演会場でスクリーンに映し、その画面を紹介しながら原稿を読み進めるという手段で話そうと思っていた。だが、事件が起きた。主催者側の秋田大学情報工学科の玉本英夫教授と打ち合わせしたら用意しているパソコンは「マッキントッシュ」だという。使ったこともない機械をどうやって操作したらいいのか。玉本教授は「なんとかウインドーズを用意するよう考えてみます」とは言うが頭が真っ白な状態となった。
しかし、頼みの綱があった。会場にわらび座デジタル・アート・ファクトリーの海賀孝明さんが来ることになっている。海賀さんなら使えるだろう。ただ、それだけに一縷の望をかけた。そして海賀さんが来てくれた。事情を話したらさすがである。「ええ。僕がそれを使って画面を操作しましょう」と簡単に引き受けてくれた。後はこちらが用意した原稿と照らし合わせながら、スクリーンに映す県南日々新聞の画面をメモした紙を海賀さんに渡して、簡単な打ち合わせを済ませた。そしてこちらは書いた原稿を読むことに集中しようと思った。とはいえやはり人前で話すことには慣れてない。最初のうちは会場の人たちの顔さえ見れないほど緊張した。だが、自分が話す内容には自信があった。
この4年近くでたまったケンニチのデーターは膨大なものとなる。そのすべてを見せるのは無理だが3年前の知事選、そしてケンニチの貴重な財産でだれにでも誇りを持って見せられる読者からの寄稿、海外を含め多くの読者から頂いた「お便り」。過去の記事と読者からの寄稿とお便りは充分、聴衆を納得させる力があると確信を持っていた。
さらに読者の力の結集によって西木村で実現した「空飛ぶケンニチ」のイベント。講演では「いずれ募金が集まってもまあ2〜3万。足りない分は自分で補助したらいいや。そんな気分で(空飛ぶケンニチの募金活動を)見守っていたら、1月15日の締め切りまでに何と海外も含め全国から63人、トータルにして19万5000円もの寄付が集まり、2月10日夜はケンニチオリジナルの紙風船が3個も夜空に上がったわけです」。こう喋ったら会場からは「ホー」と驚きのため息さえ聞かれた。
そして重い心臓病で米国に渡って移植手術を受けることになった雄勝町の和輝君のために大曲高校の生徒たちが「ケンニチでこのニュースを知った」として文化祭で募金活動し、11万2000円ものお金を集め、募金したという事例報告にも会場からは感動のさざめきさえあった。「ケンニチが書いた和輝君の記事でこのような反響を巻き起こすなんて、それこそ新聞記者冥利に泣きました」。自分の声はここで一段と高まった。誇りたかったのだ。たった一人で始めた新聞への読者からのエール、高校生たちの応援。講演が終った後、何人かの方がすり寄ってきて「伊藤さん。いいお話しでした。とても感動させられました。どうぞ名刺を交換させて下さい」と言われた時はさすがに嬉しかった。
そうした反響を語れるまでになったケンニチを誇りたかった。今もこうしてこのパソコンに向かいながら自分の目からは涙があふれてならない。一人で泣いている。泣いてもいい。それほど誇れる新聞になったとケンニチを今、自分は褒めている。良く頑張ったと。
講演に行く前に親子ほど年齢が違う姉にだけは電話で報告した。「姉さん。おれ。秋田大学で今月15日に講演することになったよ」。姉は驚いて「エー。マアが。マアが大学で話をするって。マア。すごいねー。マア。偉くなったねー。マアはテレビには出るし、大学で講演はするし。マアも兄弟には苦労させられたけど、偉くなった。エライ。エライ」。姉は何度も電話口でそう言って喜んだ。そして「マア。ジサマ(父)やバサマ(母)がマアの事を知ったらなんぼ喜ぶべナー」と泣き声となった。姉とは嬉しいものである。姉も苦労を重ねた人生だった。
自分の講演に先立って県紙でもある「秋田魁新報社」の方も講演された。魁さんは「インターネットの普及で果たして将来、わが社の輪転機が動いているのか見通しさえ付かない」との危機感を表明した。インターネットは新聞社をも変えようとしているのを現実のものとして耳にした。しかもその魁さんでさえ「県南にはケンニチさんがいますが」と口にし、たった一人で取り組んでいるこの新聞をも意識していることを知った。そして魁さんもこれからはホームページをこれまで以上に充実させたいと強調した。新聞社もインターネットで変わろうとしている。
たった一人で取り組んでいる新聞はたった独りでもある。しかし、わらび座の長瀬さん、海賀さん、「空飛ぶケンニチ」の立役者となって下さった「あきたNEWS」のshizukoさん、「みやもどB級HP」の角館町の宮本貴久さん、そして静岡県のhaseさん、アメリカの岩間さん、北京の土門さん(もう秋田に帰国されただろうか)、仙台の酒井さん、そして新しく寄稿者として名を連ねたモナミさん。多くの本当に多くの支持者がいる。応援団がいる。たった独りの新聞ではない。とても温かい読者に支えられ、継続への原動力となっている。角館町の大沢医院さん、仙北町の秋田清酒さんという力強いスポンサーの支えもある。そして大曲市のプロバイダー「松戸市コンピュータサービス」からの受注もある。
講演では「知っている秋田県内のテレビ局の記者や大きな新聞社の記者が自分と会うと言うんです。『伊藤さん。伊藤さんの新聞はうらやましい。読者の方が熱心に応援してくれるから。我々なんか何を書いても何を放送してもこんな反響なんて何もない。本当にうらやましい』と言ってくれます。だから自分は『ええ。余りお金にはなりませんが、インターネット新聞からは大きな幸せと言うものを貰いました』と答えているんです」とも語った。
そして最後に「インターネットを使って始めた新聞は読者と心と心のつながりを生み、紙の新聞ではなし得なかった、新しい形の交流を生んでいるのです。そして経済的な面でもやっと企業からの広告やインターネット関連の取材の仕事も入るようになり、いくらか生活にもプラスになってきました」で結んだ。長いとても長い一日だった。しかしとても充実した一日でもあった。大学教授や事例報告をされた一部の方たちとの懇親会でも「ケンニチ」はとても話題になった。嬉しい夜だった。その疲れが出たのか昨日16日は虚脱状態で過ごした。
講演でも紹介したのだが「ケンニチの大きな特徴はファンにとても女性が多いと言うことです」と言ったが、自分が講演し、その様子がインターネットで実況中継されることを知ったhaseさんや東京の「shizuko@隠し子いちさん」が何とかその画面を見ようと焦ったらしい。あとから「あきたNEWS」のゲストブックを見て知った。ケンニチはこのように女性読者に心配をかける新聞なのである。いや女性だけではない。23日には大曲市のライオンズクラブでも講演するのだが、それを企画された土地家屋調査士の藤井義雄さんからも「秋田大学での講演のご成功、おめでとうございます」とのファクスが夕べ、我が家に流れた。多くの読者が心配してくれているのである。(写真は自宅近くで)