香港・マカオ寄稿1
今回は広東省から香港・マカオへと足を運びました。中国の南の玄関、そして最も早くから対外開放が進み、今日の中国発展の牽引力となった広東省をはじめ、一昨年と昨年12月にそれぞれイギリス、ポルトガルから中国に主権回復された香港とマカオをご紹介します。
広東省広州市
北京から飛行機で3時間、厳寒の枯れた緑の大地から小雨ながらも緑豊かな広州へ降り立ちました。タラップを降りながら滑走路を見ると、日本エアシステムの広州発関空行きの便が大阪へ向けてジェット音を残して飛んで行きます。中国がまだ改革開放を正式に国策として決定せず、社会主義の道を歩んでいた時代、広東省広州は中国における唯一の資本主義国へ開かれたゲートでした。年に1度開催される広州交易会が中国貿易のチャンスだったわけで、多くの日本の商社が香港経由でここまで足を運んだのです。
その後、改革開放の号令の下に、当時イギリスの植民地であった香港と境界を接するシンセンという村が経済特区の指定を受け、安い労働賃金、税制面での優遇を武器に多くの外国資本を導入し、「赤い資本主義地区」として今日の中国の経済発展を引っ張ってきたわけです。
広州市は北京と異なり、経済を主体として発展を遂げた街です。そのせいか北京の官僚的な町並みや都市政策と異なり、日本人にはその風景がすんなりと受け入れられるような気がします。北京にはまだ導入されていない地下鉄の自動改札機や自動乗車券販売機、そして車両、また車内に流れる広東語なども限りなく香港の雰囲気を感じさせます。また、ここはその経済力をバックに中央に対して反抗的な立場をとってきた経緯もあり、広東人は資本主義的思考を兼ね備えているというのでしょうか。広州経済開発区での意見交換に際しても「税制面での政策は全国の経済開発区すべて同じ。今後は如何に優秀かつ安い労働力を集めることが可能か、そしてインフラを整備できるかです。そのためにもハイテク工業団地の造成を進めます。」と他の経済開発区関係者とは異なった話を聞くことが出来ました。ここではメガネレンズで有名なHOYAの現地法人を視察しました。わずか4名の日本人で数百人の従業員を管理しているとのことでしたが、中国国内でのレンズ販売は激烈な競争をきわめ、それに加えて密輸による製品が流入していることもあり、苦戦しているという話が印象的でした。
広州から香港へ
さて、広州市中心部から地下鉄で広州東駅まで移動します。今回は初めて国境を電車で越える体験です。これまでヨーロッパでは、バスでの国境越えと船での国境越えを体験しています。これで残るは徒歩での国境越えだけになりました。真新しい地下鉄を降り、駅に付設されている出入国管理所に向かいます。パスポート、乗車切符、出国カードを準備し、ボーダーラインを越えますと、出国のハンコが押されました。同じ国でありながら「1国2制度」という世にも珍しい体制を取っていることから生まれたシステムです。ですから普通の中国人はそう簡単に香港へは行くことが出来ないわけです。また通常、出国すると大きな免税店が我々を出迎えてくれるのですが、香港自体がすべて免税地域であることから、ここには小さな免税店しかありません。ここで時間をつぶしていると、広東語のアナウンスが流れ、いよいよ列車への乗車です。列車に掲げられたプレートには広州―シンセン−九龍と書いてあります。車内には香港へ向かう広東人、広州からの出張帰りでしょうか、香港人や日本人の観光客も見えます。
発車して約1時間、いよいよ大陸と香港を隔てる羅湖という駅にさしかかります。ここには1本の川が流れており、その小さな流れがこれまで資本主義と社会主義を分けている境界線でした。窓からはそこに架かっている橋を渡って境界を越える人達の姿もみられます。
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この境界を挟んで前後10分間は、まさに同じ民族でありながらイデオロギーが違うとこうも違うというお話のプロローグです。住宅の形式にしても町並みにしても、そして交通についても変化が激しいのです。12年前に訪れて以来の香港、どんな風に変わったのだろうという期待感を胸に、列車は九龍駅に到着しました。