モナミさんの「短歌とエッセー集」(3月31日)
 

闘病記から     第3章    鎮魂歌
 

  加藤社長に捧ぐ
 

大好きな     偉大な先輩      先急ぐ
           神よ天よ      貴兄(あに)を助けて
 

 4月29日、K建設株式会社の加藤社長(73才)がもう長くないことを知らされました。この連休を乗り切れるかどうか・・・・・。数々の役職の引き継ぎは、すでに終わり、30日は、会社設立40周年と社員とのお別れ会を、Bホテルで行うと言うことでした。

 お世話になり、いろんなことを教わった先輩。本当はとても偉い人なのに偉ぶったりしない正直な人で、私にはいつも「貴女はどう思うか・・」
と言うような話し方で、お付き合いをして下さいました。いつお会いしても楽しくて、教えられることが沢山あって大好きな先輩でした。

 多分ダメだと解りながら、しかもこんな状態(急性肝炎、黄疸症状がでている)でお伺いしたら、怒られるのを承知しながらも、私は社長に御会いしてお礼とお別れを言いたくて、M主治医に外出許可をお願いしました。
 

外出の    許可をだしたら     主治医(ドクター)を
        やめなきゃいかんと       医師はいうなり
 

 「いまの貴女に外出の許可を出したら、私は医者をやめなければいけません」。 M主治医の穏やかな、それでいて威厳あるドクターストップに、私は何も言う事ができませんでした。
 

奥様と     登山(やま)をこよなく   愛してた
          奥穂高(ほだか)の山に    響けこだまよ
 

二次会で     よし歌うぞと     マイク持つ
        野風僧なり  貴兄(あなた)の十八番(おはこ)
 

我の番       演歌はダメと      言われたり
            陽水の少年        時代歌えり
 

お土産が      伝えし想い     数々(かず)ありて
       いつも貴兄(あなた)は     突然に来訪(きた)
 
 

 ある時、Gホテルのワイン会にお誘いを受けました。その時の貴兄(あなた)は、和服姿の良くお似合いになる、綺麗な奥様をご同伴されて、楽しい会話がはずみ、ワイワイ盛り上がり二次会へ・・・多分貴兄の行き着けのお店だったのでしょう。ママさんと呼ばれる方は、何も注文しないのに、あっという間におつまみやお酒で、テーブルの上をいっぱいにしていました。宴もたけなわになった頃、貴兄は「よし、うたうぞ!!」とおっしゃってマイクを持ち、「野風僧」を歌いました。次に奥様がお歌いになっていよいよ私の番、その時貴兄は一言、「演歌はダメダ」と・・・。
持ち歌が2〜3曲しかない私は、演歌はダメと言われたので、陽水の「少年時代」を歌いました。歌い終わるとその場にいた皆さんから拍手喝采を受けて、「イイ歌だ!」と・・?・・。歌った私では無く、歌を作った陽水に拍手が送られたのでした・・・???。

 ある時、お仕事で天王町まで御一緒しました。大衆車より乗った事の無い私が、ベンツなどという高級車に載せていただいて・・・。海沿いの道路を走っていて貴兄は、アイスクリーム屋さんを見つけました。そぅそぅ、「元祖若美町」というあのアイスクリーム屋さんです。 「これが好きで食べるのが楽しみでー、あんだもたべるが・・・」。

 ベンツに乗って通称「ババへらアイス」を食べる貴兄に微笑ましいものを感じました。見栄とか権力を掲げる事の無い、本当にいつも正直な気持ちで人に接してくださる方でしたから・・・・・・・。
 

 貴兄は、いつも突然訪問して下さる方でした。夜8時頃に・・・・・。運転して来てくれる奥様は、いつも申し訳無さそうに、「ごめんなさい、
突然行くと言い出して・・・・・」。 私はと言えば、食事中だったりパジャマ姿だったり、おおあわてをしたものでした。でも、その後の会話が
楽しくて、いつも大歓迎でした。10代で父を亡くした私は、もしも父が生きていたらこんな会話も出来たのかも知れないと、楽しいひとときを過
ごさせていただいたものです。

 現在(いま)、突然の訪問者を失った我が家は、とても寂しい・・・。
 

 ある時、貴兄は「あんだ、どう思う・・・」と言ってこういう話をしてくれました。ある人の若い時から、自分の子供のように面倒を見、バック
になり、一生懸命力を貸し育てて来たと・・・今ではその人は、人一倍有名になり偉くなったと・・・ところが、最近その人に対する貴兄の態度が
大きいとか、馴れ馴れしいとか、そう言う事が聞こえて来ていると・・。

 私は、昔からの繋がりを知らない、周りの人達がそう言っているのだと思い、「言いたい人には言わせて置けばいいじゃないですか・・・恩を受
けた本人がそれは一番良く解っていると思うから、何も態度を変えたりしなくても今まで通りでいいのではないかと・・・」。その時貴兄は、とてもとても寂しそうな顔をして、「そういうことを言っているのは、周りでは無く、一番良く解っている本人なんだよ・・・」と。私は後の言葉が続かなくて、しばらく絶句したものです。

 人間は偉くなると、自分が受けた優しさや親切を、忘れてしまうものなのでしょうか・・・?。若い頃から、ずっとお世話になって来た人を、疎ましく思うようになるのでしょうか・・・?。もしそうだとしたら、それはとても悲しい事です。でも・・・おおいに、その人の人間性もあると思うのですが・・・・・。加藤社長をおおいに悲しませたその方は今も政治家として活躍されてます。

 ある時、お仕事で新屋に御一緒しました。新屋大橋を渡って二ツ目の信号待の時です、貴兄は突然大きな声で「あんだー、見れ見れ!!」、私は驚いて前に止まっている車を見ました。前の車を運転していた若い男性がドアーを開け、灰皿のゴミを道路上に捨てているのが、目に入りました。「オイ、オイ、道路はクズ箱じゃないよ・・・」と。貴兄は、「今の若い者は公共のマナーを知らなくて、また、物を大事にしなくて困る・・・」
「うちの会社の人達はコピーして失敗した紙を、クシャクシャにまるめてクズかごいっぱいに捨てている・・・もったいない。メモ用紙に使うから
持ってこいというのだが、誰も持ってこない、相変わらずクズかごいっぱいに捨てられていると・・・。我々が若い頃、そしてオイルショックの時と2回、紙が無くなってトイレットペーパーも無くなると言われて心配したことがあるけれど、結局何も無くなって困ると言う事はなかった。いまの、なんでも使い捨てにする消費文化を、あんだー、どう思う・・・」と。

 「きょうは何枚失敗しましたと、自分の失敗を社長に持っていくのには勇気が入ります。でも、資源には限りがあるのですから、大事にしていかなければいけないのではないでしょうか・・・・・」。

 などと、私はもっともらしい事を答えたものです。貴兄との会話はいつも考えさせられる事、そして、学ぶべき事が沢山有りました。
 

 また、貴兄はよくおみやげを持って来て下さる方でした。それが登山だったり、国内旅行だったり海外だったり・・・戴いたおみやげの数々を見
ては、懐かしく、懐かしく思い出しております。

 加藤社長、貴兄には、沢山の処世訓を教えていただきました。そして大変お世話になりました。本当に本当にありがとうございます。 どうぞ、安らかにお眠り下さい。
 

7の日に     貴兄(あなた)は天に    旅たった
              葬送できぬ      悲しき朝に
 

貴兄(あなた)には   処世訓(生きる知恵)を   いっぱいに
               教わりし日々     懐かしき日々
 

戴きし       旅のお土産     数々(かず)多し
        健やかなりし      貴兄(あなた)をしのぶ
 

もう10年      生きて欲しいと   祈(ねが)う日々
             天まで響け    我のREQUIEM
 
 

         2000.      3.     29    モナミ