こちら編集室「春の試練」(3月31日)

  屋根から滑り落ちた雪は一時期、狭い我が家の裏庭を覆い尽くし、屋根まで届いていた。雪が窓をふさいでいたため、休みの日にはスコップとスノーダンプを持ち出して裏に回って雪寄せの重労働を強いられた。その度に「こんな雪国での生活はもう投げ出したい」と嘆いたものだった。その雪もいつの間にか大きく沈み、裏の景色も遠くまで眺められるまでになった。日差しも日増しに強まり、南側の窓から差し込む朝の光りは居間中を明るく照らす。アキを連れての朝夕の散歩も次第に寒さから開放されて歩くのも楽しくなってきた。春の足音が日増しに高まってきたのを感じさせるこのごろだ。

  アキを連れて歩いていたらふととても悲しく甘いメロディーが頭に浮かんだ。歌詞も歌い手の名前も浮かんで来ないが、なぜかメロディーだけは悲しく胸を覆う。気になって、家に帰ってからそのメロディーを口ずさんで妻に題名と歌手の名前を聞いた。妻は「ああ。高山厳の『心凍らせて』でしょう。どうしたの?」と訝(いぶか)しげな顔をした。「いや。なぜかこのメロディーが浮かんだだけだよ」と答えた。歌とは不思議なものである。ある日突然、メロディーが浮かんでくる。そしてその歌の主人公のようなやるせなく甘い気分にさせる。

  「心凍らせて」。どんな歌詞なのか。多分、テレビで聴いて自然と心の隅に思いとどめることになったものだろう。図書館に走り「歌謡曲集」を調べた。歌があった。「あなたの愛だけは  今度の愛だけは  他の男(ひと)とはちがうと思っていたけど  抱かれるその度に  背中が悲しくて  いつか切り出す  別れの言葉が恐くて  心凍らせて  愛を凍らせて今がどこへも  行かないように  心凍らせて  夢を凍らせて  涙の終わりに  ならないように」。歌詞はこう結んでいた。

  気質だろうか。日本人とはなぜか悲しい心の表現が上手い。「あなたの愛だけは  今度の愛だけは  他の男とちがうと思っていたけど」。作詞家は過去に何度か男を愛した女を主人公として登場させ、その恋はいつも悲しい結末に終っていたことを語る。それだけに「今度の愛だけは今度の出会いだけは信じたかった」と歌う。しかし、幸せを信じたその愛も「別れの言葉が恐くて夢を凍らせて涙の終わりにならないように」と祈るばかりだ。「綺麗な愛じゃなく  子供の愛じゃなく  生命(いのち)すててもいいほど  慕(おも)っていたけど  あなたのその胸は  いつでも遠すぎて  きっと理想の誰かを  宿して生きている  心  流されて  愛に流されて  今も想い出  つかまりながら  心  流されて  夢に流されて  あなたの右手と  はぐれぬように」。

  高山厳の歌声はとても甘く切なかった。やるせないほどだった。その切なさがまるで雨水が地下にしみ込んでいくように自分の耳を通して心にしみ込んだものだろう。そしてメロディーだけが心の片隅に居ついてしまった。歌とは不思議なものである。そして日本の作詞家は泣かせるのが上手いと思う。「今度の愛だけは」。女をそれほど悲しくさせる恋とはどんな恋だろう。いずれにせよこんな切ない恋なんてごめんだ。哀れ過ぎる。希望のない恋なんてするもんじゃない。しかし、そうは思っても男と女の出会いは観念や計算通りにうまくいかない。そうしたものだと作詞家は言いたかったのだろう。

  それにしても余りに湿っぽいし、悲しいストーリーだ。日本の風土がこのような悲しみの琴線を響かせるのだろうか。希望を燃やす春があり、心をも湿らせる長い雨の日々の梅雨があり、そして短い夏を過ごし、燃える秋を迎え、雪に覆われる冬を迎える。四季折々の風土の微妙な変化が歌をも湿らせるのだろうか。山を愛で、木々の緑を愛で、雨を愛で、初雪を愛で、枯れ葉に涙し、酒に涙を流す。心の襞(ひだ)の微妙さを捉える。万葉集にしたってそうだ。

  我がやどに  もみつかへる  見るごとに  妹を懸けつつ  恋ひぬ日はなし

  記憶はかすかだが、ある万葉歌人は「庭の色づき始めたモミジを見てもあなたに心懸けて、逢いたいと思わぬ日とてない」と歌ったという。これが日本人の心の原点かもしれない。悲しいのだ。男と女の出会いはいつだって悲しく捉えたい。どうもそうした気質は日本の風土や季節感から生まれたのかもしれない。そんなことを思いながら、「心凍らせて」の歌詞に目を通した。

  市役所はいよいよ4月から限られた場所以外は禁煙となる。今、庁内ではその喫煙場所となる場所の確保のため、荷物の引っ越し作業であわただしい。二階は旧写真現像室があてがわれる。ちょうど記者室の隣の部屋であり、今は物置に使っている。畳を敷いたら4畳半ぐらいのスペースだ。喫煙者の自分はその部屋を見て「虎の檻か」と自嘲せざるを得ない。数日前から何とかタバコを吸わない努力をしてみようと朝の起きだての喫煙を止めている。愛煙家なら分かるかと思うが、この朝の目覚めと同時に口にするタバコの味は格別だ。そして朝食後に吸うタバコの味もまたいい。それをとにかく止めることにした。

  三日坊主か四日坊主か、それとも十日坊主となるかは分からないがとにかくここ数日、朝のタバコは休んでいる。止めようと思った初日はタバコもライターも手にせずそのまま出勤した。悲愴な決意だった。市役所に入って職員がタバコを吸う姿を見てもとにかく我慢した。折角、この時間まで我慢したからもう少し我慢しようと自分に言い聞かせながら時間をやり過ごし、取材に走った。しかし、その後が良くなかった。パソコンに向かい、原稿を打ちはじめて文章に詰まったら無性にタバコが欲しくなった。えいっとばかりに売店に走ってタバコを買い、とうとう吸ってしまった。いや。「吸ってしまったのだ」。この禁煙への道のほど遠さ・・・。

  いよいよ明日からは本格的なタバコとの格闘である。まだ止めると決意したわけではないが、虎の檻のような限られた個室の中に入ってタバコを吸うのはどうもみっともない。記者室も当然、禁煙となるだろう。他の職員が我慢を強いられているのに、この部屋だけは特権だとばかりにプカプカとタバコを吸っているわけにはいくまい。無理かもしれにないが、みっともない「虎の檻」に閉じこもっての喫煙の機会は出来るだけ減らしたい。そう決意だけはした。春の試練と思って。

  今日から仙南村在住のプロ写真家・泉谷玄作さんの「写真コーナー『秋田の風景』」が掲載されました。大型カメラを持って全国を精力的に歩き、風景と花火の写真を撮り続け、写真集やカレンダー、ポスターにと作品を発表している泉谷さんの写真をお楽しみ下さい。