人間、生きている限り「照る日」もあれば「曇る日」もあろう。とにかく人生はいろいろだ。自分もこの県南日々新聞を立ち上げて以来、随分、「照る日曇る日」を味わってきた。それでもどちらかと言うと「照る日」が多かった。様々な読者と交流し、出会いの喜びを味わった。多くの方がファンとしてケンニチを支え、応援してくれた。人間っていいもんだなと喜んだ。感動もした。紙の新聞では想像もつかなかったような広域的な読者と交流し、その輪は海外にまで広がった。本当に嬉しいことに「照る日」が多かった。
なのにである。普段、そうした多くのファンの支えを意識しながらも、なぜか時々、とても鬱々(うつうつ)とした孤独感に陥ることがある。それはやはり一人で取材し、写真を撮りに走り、編集しているせいもあるかもしれない。組織があっての取材と編集活動なら、その仲間と話し合って情報を交換し、仕事を分け合い、時には取材行動も共にして夜は酒を飲み、マイクを握って歌うという楽しみもあるだろう。しかし、一人ではそれが何も出来ない。
勤務している会社の連中と話し合ったらいいじゃないかと言いたいかもしれないが、人手が足りず、とにかく紙面を記事で埋め、新聞を発行するだけで手がいっぱいで心理的にもまた、物理的にも余裕がない。取材して書いた原稿をフロッピーに収録して会社に届け、編集者に編集を依頼し、とんぼ返りに次の取材に出かけるという毎日だからだ。たまには広告の営業担当と食事を共にするが、広告もこの長い不況で大変らしく、口から出てくるのは「広告が少なくなってね」とぼやきだけだ。新聞社にとって広告は購読料を上回る貴重な収入源だけに彼らの苦労には頭が下がる。「大変だろうが頑張ってくれ」としか言いようがない。
照る日曇る日。ケンニチはここ半月ほど曇る日に陥っていた。なぜか、原稿が書けない。一般記事なら習慣として身についたものだから苦労もないが、週1回の「こちら編集室」がとても重荷となっていた。もう自分の体験した人生から言って語り尽くし、書き尽くしたせいもあるかもしれないが、“こち編”に向かおうとするとさっぱり文章が浮かんで来ない。ケンニチを立ち上げたころは思いつくまま指先が動き、原稿も進んだのだがなぜかこのごろは気が重い。(ごめんなさい。こんなぼやきを書いてしまって)。
きっと気負い過ぎもあるかと思う。名文なんてもともとその才能もないのに、文才なんてプッ、それこそお釈迦さまがお腹を抱えて笑ってしまいそうだ。そんな自負や矜持なんて爪先ほども持ってない。ただ、当初はある面では楽しみながら“こち編”に向かっていた。それが最近はとても苦痛に変わってしまった。倦怠期かもしれない。
これではいけない。もっと気楽に書くべきだと自分を励まし、語りかけるのだが、なぜか自分の書こうとしていることに自信を失い、「こんなことを書いたらあの人はどう思うのだろうか」と読者の目を意識し、次第に“自家撞着”に陥ってしまい、苦しんでしまう。もともと文書力も創造力もないだけにその恐れはこの新聞がスタートした時点から十分にあったのだが、以前はもっと気楽に書いていたはずだ。なぜなんだろうとこのごろ思う。
取り越し苦労の気性に甲斐性なしの自分である。その上、自分を語り過ぎ、心情を吐露し、読者にまで心配をかけてしまう。考えてみればおかしなことだが、いや考えてみなくても実際、おかしなことである。まあ読者の皆さまもう少しこの愚痴を我慢してもらいたい。永い間、ケンニチとお付き合いしてきた読者はもうお気づきのようにどちらかというと幼児性を捨てきれずに大人になってしまったセンチメンタルな自分なのである。乾燥しきれないまま成長してしまったのである。小さなことにこだわり、グズグズと感情を湿らせる。“こち編”はだからもともと自分の心のつぶやきの場としてスタートだった。
いわゆる“社説”のように公器としての主張はするつもりは毛頭なかった。記事は公益性の下に取材し、報道しているが「こち編」は自分自身を語る場とした。それは愚痴になったり、泣き言となったり、幼いころの思い出でを語る場となった。好きなことを好きなように語ってきた。それはこれからも変わらない。思いつくままキーボードを叩こう。曇る日は愚痴を語り、照る日は大いに喜び、報告しよう。
曇る日から照る日へ。孤独なケンニチ活動だが、見えない読者からの期待感の高まりは感じられる。今朝も記者室に電話があった。それは「ケンニチ」への記事掲載の依頼だった。直接、お会いしてその内容を聞いた上で紹介したいと返事をしたが、ケンニチを通じての反響を電話の主は期待しているようだった。コツコツと続けてきた活動は報われるようになった。
メールでの訴えもあった。それは雄勝郡羽後町の山内峯夫さんからのメールだった。山内さんは6年前に脳梗塞で倒れ、手も足も満足に動かず寝たきりとなったまま59歳になったという。その山内さんからは4月から始まった介護保険への不安の訴えだった。どうやってメールを送ってきたのか。またパソコンを使えるということにも正直言って驚いた。メール内容があいまいだったために山内さん宅に電話を入れたが、言語にも多少の障害があるようでうまく聞き取れなかった。奥さまに代わってもらい話を伺ったら「これから病院に行くので後でメールで返事します」とのことだった。そうしてやりとりしてまとめたのが山内さんからの「読者のお便り」だった。
山内さんは書いてきた。「私のパソコンは普通のパソコンですが。ヘッドホン見たいなものを頭にかぶり口にストロウ見たいのを加えて頭を動かすマウスです。クリックは口で【ふっと吹いて】クリックです。其れから 画面半分が文字盤で後は文章造るのです。普通より違うのは其れだけです。マウスだけで【200000円】位です」と。
羽後町は大曲市から南に30キロほど離れた所に位置する。ケンニチは「県南日々新聞」と県南全体を取材エリアとするように名付けておきながら、ほとんど大曲市とその周辺の取材で終っている。なのに山内さんのような読者もいてくれたんだと思うととても嬉しかった。山内さんは今度の介護保険のことで「何か」をケンニチを通じて訴えてみたいと思ったのだろう。ケンニチが山内さんの願いに果たして応えてやれるかどうか、また役立てられるかどうかも自信はないが、山内さんを取材したいと思いメールを送ったら快く引き受けて下さった。手も足も自由にならなくてもパソコン操作を学び、情報を取ろうとする山内さんの執念のようなものに感動し、とにかく会いたいと思った。
さてそのケンニチ。今日はこれから秋田市へと高飛びである。いつも事件事故などでお世話になっている秋田市のテレビ局の記者2人に「お礼も込めてお酒を飲みたいね」と話したら、大喜びで会場を設定して下さった。しかも某月刊誌の美人編集者、某テレビ局の美人アナウンサー同行とのこと。美人には滅法弱いこちらは今朝から時の流れの遅さにイライラしながらこの原稿を書いている。ケンニチは気さくで気のいいテレビ局の記者たちの支援まで受けて取材活動が守られている。今夜は「照る日」になりそうだ。アツアツの体温となって。アルコール漬けとなって苦しむ明日のことは考えまい。