新潟の少女監禁事件の初公判が報道された24日の新聞社会面には驚かされた。凶悪事件の見出しの乱立となったからだ。この国はいつからこうも危険な国になってしまったのか。不安をかき立てられ、腹立たしくなるばかりだった。トップ記事には「地獄に来てしまった」と少女監禁事件の異様さが大見出しで躍り、その横には栃木県の少年グループによる少年リンチ殺人事件の記事が並んだ。さらにその下には「抵抗しないから殴った」と埼玉県狭山市の16歳の少年3人による高校生の傷害致死事件、そして新潟のトンネルでの少年焼殺事件。殺伐として身も心も凍るような事件で紙面はいっぱいだった。新聞に殺しや恐喝、誘拐など凶悪事件の見出しが載らない日が珍しいくらいとなってしまった。それにしても24日朝の紙面は異様だった。日本中で殺人事件が起きているような紙面だったからだ。しかも、その多くに少年が絡んでいる。狂った少年たちとでも言いたくさえなる。
新潟の少女監禁事件で被告となった男は37歳。小学校4年生だった少女を連れ去り、9年間もの間、自宅で監禁し、逃げないように暴行を繰り返したという。血も涙もない異様さ、冷酷さ、残忍さ、狡智さ、身勝手さで腹が立って仕方がない。新聞には検察側の冒頭陳述の要旨が掲載されたが、少女が監禁中に受けた暴行や精神的な苦痛は検察の冒頭陳述でさえも語り尽くすことができないだろう。読んでいても辛くなるようなものだった。つい活字から目をそらしてしまった。
救い出された女性は「男が町に出ないようにしてください。私の知らない女の子のためにも」と訴えたと新聞にはあった。女性ならずともこのような犯罪者なら二度とこの世には出してもらいたくない。本当にそう願いたい。公判では恐らく被告の精神鑑定と言う手続きになるだろうが、女性を9年間にわたって監禁し、逃げられないようにと食事から行動までをも制限し続けた冷徹で狡智な頭脳が働くこの男に精神的な病気の結果の犯罪で刑法上の責任は問えないとなったら、女性もその両親もその怒りはどこへ持って行けるだろうか。これは個人的な感情だが、男を精神病にはしてはいけない。当然の罪に報いさせるべきだ。
それにしてもどうして日本はこうも病的で残忍な少年、若者の事件が相次ぐ、危険な国になってしまったのか。どこかで歯車が狂ったようだ。おまけに森首相でさえも「日本は天皇を中心とした神の国だ」と暴発してしまった。さすがに“まずい”と思ったのか、その翌日には「少年が関与する人の命を軽視する事件が相次ぎ、人命の大切さへの理解や宗教的な情操を深める教育が大切だということだ」と釈明した。その言いたいとすることは分かるし、理解できる。しかし、だからと言って「天皇を中心とした神の国」はやはりおかしい。まるで戦前の亡霊が首相の座に就いたような発言だ。天皇のために徴兵を受け、天皇のために軍事訓練を受け、天皇のために死ねとでも言いたいのかと、と我が耳を疑った。終戦から半世紀を経たのにこのような神の国発言が首相の口から出るとは・・・。口にすべきことでない暴言であり、首相のフライングだった。今日26日、森首相は改めて国民に向けて釈明するという。当然だ。しかし、釈明の結果によってはもっと荒れることになるかもしれない。
確かに森首相の言うように暴走する少年や若者たちのために教育は学校だけでなく、家庭も地域社会も含めて何らかの手を打たなければならないと思う。そうでなければ余りにも簡単に人の命が落とされてしまう。愛知県では「人を殺してみたかった」という高校生の手によって主婦が殺害された。67歳である。主婦にとってどんなに残念なことだったか。そして高速バス乗っ取り事件でもやはり主婦が少年によって犠牲になった。どう考えても救いようのない事件である。犯罪を犯した少年の生育過程になにがあったかは知らないが、憤りを覚えるだけだ。
このような事件が発生するたびに思うのは少年を生み、育てた家庭のことだ。犠牲になられた方には心から同情し、ご冥福を祈りたいが犯罪少年の親たちの気持ちを思うとまた心痛む。人を殺害し、凶悪犯の親となってしまった不幸な人たちはどんな気持ちでこれから生きて行けるのか。子どもによってズタズタに心は切り裂かれ、世間には顔を出す事さえままになるまい。だれが将来、犯罪に走るだろうと子を育てるものか。おそらくどの親も子の幸せを祈って、せいいっぱい可能な限りの愛情を注いだはずだ。なのに12歳、13歳、14歳、そして15歳、17歳と大人に近づくに従って狂気染みたゆがんだ考えとなり、世を恨み、世間をあっと言わせたかったと犯罪に走ってしまう。なぜこうも殺伐とした社会となってしまったものか。
愛情の喪失。友情の喪失。心の喪失。信頼関係の喪失。夢の喪失。社会への絶望。親の愛からの逃亡。友からの逃亡。そして友のいじめ。精神的な豊饒さよりも物質的な豊饒さ。無関心。断ち切られた心と心の糸。要因はさまざまだろう。とにかく複雑怪奇な背景から少年たちは人間的な温かさを失い、獣へと化してしまった。そして不思議なことだが事件の背景から父親の姿が見えて来ない。犯罪少年の父親たちはどうしたのか。父たちの存在感が見えない。ここにも不気味さがあり不条理さ、弱くなった男たちの希薄さを感じる。
でも記者はまだ信じたい。いや信じられる。人間関係の温かさを。今回だってそうだ。haseさんの祖母が亡くなったことを「読者の広場」で知らせたら、いろんな方がネット社会を通じてお悔やみを書き込んでいるではないか。多くの読者がケンニチを通してhaseさんの祖母の死を悼み、そしてご自身の肉親の死を思い出し、悼んだ。人はまだまだ優しい。この優しさがある限り、もっともっと健全な社会を築けると思う。そう期待したい。
ああ。心病む少年たちよ。明治の人は次のような詩を詠んだ。
ああをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも、親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや、人を殺して死ねよとて 24までをそだてしや。(与謝野晶子)
記者も高校生のころ生きるのに絶望したことがある。社会や将来に絶望した事がある。学校をさぼり、友と自転車で山へと走り、山の中で弁当を広げ、生きる事、人生について考え、話し合ったものだった。高校生が人生について考えても、話し合っても結論は見えて来なかった。でも話し合える友はいた。大人ぶってタバコを吸い、いい女を語り、嫌な先生の悪口を言い合い、手にした詩集や石川啄木の歌に感動したものだった。16歳、17歳、18歳。もうそんな年ごろになると親にその日、その日の出来事を報告したり、心許して話すのには抵抗を感じるかもしれない。親が何かを言うと押しつけと感じるかもしれない。うるさいと怒鳴りたくなるかもしれない。記者もそうだった。だから親たちはタバコを吸っても見てみぬ振りをしていた。酒に興味を示しても「高校生となれば、大人なんだ」と認めてくれた。
とにかく学校に絶望しても、社会に絶望しても、将来に絶望しても、親と話すのがおっくうになっても、家に帰ると安心だった。親の姿を見るとホッとしたものだった。例え親と口をきかなくても「ああ。オヤジがいる。オフクロもいる」と安心したものだった。そしてそこには自分の吸える空気があった。家庭という空気であり、安らぎがあった。家庭とはそうしたものだ。ゆったりと時が流れ、その時が子守歌のような安心感を与えた。親のためになろうなんて考えはサラサラなかったが、その安心感を与える場の空気は汚したくなかった。それが親を泣かせたくないという事とも一致していた。子どもに居心地のいい場所が失われているのだろうか。(写真は田沢湖町の抱き返り渓谷で)