「アメリカ暮らし」をこの「秋田 県南日々新聞」のためにもう89回も書き綴って下さっているアメリカはサンノゼ市の岩間郁夫さんが11日から13日まで大曲市に滞在した。岩間さんの大曲市入りは昨年10月31日に続いて2度目である。ケンニチを通じて岩間さんと知り合ったのは97年3月だった。今も「読者のお便り」のコーナーに残っているが、岩間さんからは次のようなメールがあった。
「2月始め、偶然、WWW上で貴紙を見つけました。以来、帰宅後、貴紙を読むのを楽しみにしています。他の新聞社のホームページと比べると、貴紙に添付される写真は私に強いインパクトを与えてくれます。大曲高校の卒業式の写真、一見何でもない高校の卒業式の写真ですが、海外で長く在住、米国企業で働く小生の様な自宅以外で日本語を使うことや日本文化に触れることの少ない者にとっては何か懐かしさが込み上げてきました。遂に秋田県には一回も出かける機会がないまま米国に来てしまい正直なところ、貴地を地図上で直にさせるような身近な知識もないのですが、地方の特色を良く出してくれているホームページだと思います」。
以来、岩間さんとは何度かメールを交換し、恐る恐る岩間さんに願ったのが米国で長く暮らしている岩間さんにその経験を書いていただくことは出来ないかと言うことだった。岩間さんは本当に気さくに「私で良かったらどうぞ使って下さい」と喜んで引き受けて下さった。原稿料も支払えないまったくのボランティアなのに岩間さんは「気にしないで下さい。日本語を書くための良い訓練になるのですから」とゆとりのないこちらの事情にまで配慮して承諾して下さった。それからはもう週1回のペースで「アメリカ暮らし」が書き綴られ、ケンニチは大曲市という地方の小さな都市を拠点にしながらも国際的な話題が掲載される、いかにもインターネット時代ならではの新聞として位置づけられた。
いつかは岩間さんに会いたい。「アメリカ暮らし」の掲載が回を重ねるごとにその願望は高まった。幸い岩間さんは出張で日本にも時々、来ていることがメールのやり取りで知った。こちらからは何度か「仕事の合間を見つけて秋田へも足を運んで下さい」とアプローチした。その岩間さんから「伊藤さん。こち編、読ませてもらいました。イヤー。うらやましい。伊藤さんは実にうらやましい生活をされてますね」とのメールがあったのは昨年4月に書いた「夜の街の会話」という記事を読んだのが切っ掛けだった。
岩間さんはメールで「夜の街の会話面白く読ませてもらいました。確かに飲み屋にいったら楽しくやらなくちゃ!ですよね。アメリカの飲み屋って精々、スポーツバーぐらい。大きなテレビの前でスポーツを観戦して、ビールを飲みながらポテトチップをかじってだけですよ。もっともビールは高くても一本3ドルぐらい、ボトルで頼んだビールなんてコップも出てきません。ましてや店の女の子が客の横に侍って、酒を飲んだら、もう御法度の国ですから。アメリカ人の所帯持ち男性が日本に出張で来た時は日本食云々より、女の子の侍る飲み屋に連れていって、ちょっともてる感じにさせてしまうと99%は最高に感激してしまいます。おしぼりを渡されて、たばこに火をつけてもらって、酌をしてもらって、肩なんかを抱いてしまうと、もう天国。あー!彼らは抑圧されているんだなー!といつも思ってしまいます。(本当にアメリカって飲み屋不毛の国なんです)それにしても伊藤さんの話術が女の子の興味を引かせるんでしょうね。いやーうらやましい!(私も抑圧されていますんで)99年のうちにはその夢を実現する為に秋田に伺いますよ」
このメールを頂いた時はこちらも小躍りして喜んだ。そしてその夢が昨年10月末にかなった。しかし、来る直前に静岡にいる岩間さんの父の具合が悪くなったとのことで2泊3日の大曲滞在はわずか1泊となってしまい、念願だった大曲の夜の街を歩いて飲んで歩くことは果たせなかった。仕方なく、最初の夜だけ大曲市役所や「おばこネット」の人たちとで市内のホテルで岩間さんを囲む会を開いて帰ってもらった。岩間さんは「また機会を見つけて必ず大曲を訪ねますから」と言い残して新幹線「こまち」に乗って旅立った。それから8カ月が過ぎ、再び岩間さんが大曲へと足を伸ばすことが実現した。
今度は西仙北町の温泉「ユメリア」に宿を取り、接待を買ってくれた大曲市役所の斉藤千代繁さんと共に宿泊した。市役所のサービスマンを自称する斉藤さんは岩間さんのためにわざわざ山に入りタケノコ、ワラビなど山菜を採ってきてホテルでの夕食会でテーブルに出した。その夕食前に入った温泉ではそれこそ裸の付き合いとなって露天風呂に浸かりながら英会話を話題に話が弾んだ。日本人の若い男性がサンノゼで女性を講師に英会話を学んだ結果、おかまっぽい抑揚の付いた英語となってしまい講師の女性が「責任を感じている」と悩んでいるとの話には斉藤さんも含め大声で笑ってしまった。豊富な湯量に岩間さんは「イヤー。やっぱり日本は温泉ですね」と心底喜び、長旅の疲れをいやした。
夕食の席には女性同席の酒席の機会がないという岩間さんのためにコンパニオンを一人お願いしていた。岩間さんを楽しませたいというのが狙いだったが、若い女の子が入ると酒の勢いを借りて話が弾むのはこちらである。悪いクセだ。「ネッ。美人さん。あなたは高校を卒業してもう何年になるの?」「わたし?。もう10年です」「あっ、そう。じゃあ28歳か」「あらっ。いやだ。年齢がばれちゃった」。美人さんは美しい瞳を輝かせた。岩間さんから声が掛かった。「伊藤さん。うまいねー。直接、年齢を尋ねず、高校を卒業して何年か。うまいねー。アメリカでは女性に年齢を聞いただけで重大なセクハラなんです」とご忠告を受けた。ホテルの総支配人からは秋田清酒株式会社が西仙北町の地酒として醸造し、ベルギーの「モンドセレクション」で金賞を受賞した銘酒「大綱(つな)の響」のサービスもあって酒は大いに弾んだ。
そして翌朝、秋田市へ。もう「読者の広場」で話題になったから詳しい事は書く必要はないかもしれないが、秋田市のモナミさんが岩間さんを案内したいとの事で約束の午前10時まで秋田県庁に着くよう急いだ。県庁では木村雅彦さん、そしてこの新聞が立ち上げるまでにお世話になった成田秀さん、北京から県庁に帰った土門啓介さんが待っていた。モナミさんも岩間さんも同行した斉藤さんも全員が初めての顔合わせだった。なのにこちらが一人ひとりを紹介しただけでもうその場に集まった7人は旧知の仲のように打ち解けた気分で席を共にした。
木村さんが書いていたように岩間さんは「いやー。インターネットとケンニチとの出会いがなければ秋田には一生来ることもなかったろうし、みなさんとの出会いもなかったでしょう」と感無量の表情で名刺を交換しあった。世間では凶悪な事件が多発し、殺伐とした世相となっているが、インターネットで結ばれたとても温かくて平和で充実した時間がその場にはあった。紅一点のモナミさんは「岩間さんの『アメリカ暮らし』、土門さんの『北京レポート』を読んでいた時はもう少し年齢のいった方と思ってましたが、みなさんお若くて」と発言された。「えっ。そんなに年よりっぽかったんですか」。岩間さんも土門さんも笑いながら応えたが、モナミさんは「いえいえ。そんんな意味ではなく、とても文章がしっかりしてましたから」と笑顔で言い訳した。
そのモナミさんの美しい笑顔がまた良かった。県民ホールでの出会いはあっと言う間に過ぎてしまった。それほど岩間さんを囲んでの時間は充実し、時の流れを忘れさせた。県庁の3人とはその場で別れた。秋田市の案内役を買って出たモナミさんは「岩間さん。向かいが秋田市役所、そしてその隣がNHK秋田放送局」と建物を指で差した。「あっ。そうですか」。岩間さんは一人の観光客となってモナミさんの案内する秋田市の官庁通りを眺め、爽やかな風を受けていた。
正午にはキャッスルホテルで「あきたNEWS」のshizukoさん、それにHitomiさんと落ち合う事になっている。斉藤さんの車に乗り込み、アトリオンを少しだけ見学してホテルに急いだ。shizukoさんが待っていた。岩間さんとshizukoさんもケンニチの「読者の広場」を通じて名前を知っているだけで会うのは初めてだった。少し遅れて駆けつけたHitomiさんももちろん、初めての出会いだった。なのに6人の昼食会はアメリカの話題を中心に話が弾み、ここでも時間はあっと言う間に流れた。アフリカと中近東を除き行ったことのない国はないという国際的なビジネスマンとして活躍されている岩間さんの話題は豊富で、同席した3人の女の人たちは目を輝かしてその話しに耳を傾けた。とても温かくて居心地のいい時間の流れに染まった。 昼食の場として通された和室の大きな窓からは千秋公園が一望に眺められた。モナミさんが岩間さんのためにと予約してくれた部屋だった。岩間さんを囲み初めて会った3人の女性だったのに、お互いケラケラと良く笑った。ケンニチを通じて知り合った和みの場だった。
昼食の後は仕事を抱えたHitomiさんを除いて5人で千秋公園を歩いた。モナミさん、shizukoさんの2人は岩間さんに秋田の空気を楽しんでもらいたいと女性ならではの気配りでユックリと歩きながら会話を弾ませた。その姿、その様子を見ながらケンニチってなんてステキな人たちに支えられているんだろうと幸せな気分でいっぱいだった。公園では「千秋まんじゅう」を買い、5人がそのまんじゅうを囲んで顔を向き合わせ、芝生の上に膝を下ろして食べた。どなただったろうか。「大の男と女5人がこんなふうに一つの輪になってまんじゅうを囲んでおしゃべりしているのを見たらどう思うんでしょうね」とつぶやいた。みんなその声にケラケラとまた笑った。
「岩間さん。今度は秋田市で泊まり込みの会を開きましょう。こんな美しい女性が我々を接待してくれるから最高です」。能天気な気分の自分はそう言って誘った。「いいですね。今度来るときは秋田市というスケジュールにしましょう」。岩間さんは約束してくれた。秋田市でなら県庁で出会った3人とも同席できる。想像しただけで楽しみが膨らんだ。モナミさんもshizukoさんもその提案にいい笑顔だった。二人の女性はさらに「秋田市ではぜひ、ここを見せてあげたい」と元秋田銀行本店だった「赤レンガ館」に案内し、そこを見学して秋田市での時間に幕を閉じた。
その夜はアメリカでは絶対に体験できない女性が優しく(?)接待してくれるクラブでの飲み会が待っていた。大曲では昨年、岩間さんが来たときに付き合ってくれた「おばこネット」の佐藤さんが待っていた。クラブに行く前にまずは小料理屋での酒席となった。岩間さんからはいろんな話が出た。アメリカでの裁判の事、教育の事、隣近所との付き合いの事など豊富な知識で岩間さんは語った。
その中で一番、印象に残ったのは子どもの教育の事だった。アメリカでは同じ住宅街に住んでいる人たちは子どもはみんなで教育するという協同意識が強く、悪いこと危険なことをしている子どもを見つけると、他人の子でも厳しく注意するという点だった。子どもは社会の共通の宝として守り、育てると言う意識が強いというアメリカの優れた社会性に考えさせられた。ひるがえって日本はどうだろう。街が大きくなればなるほど他人の子にはまるで無関心である。われ関せずという風潮がはびこっている。これがある意味で最近の少年の心の病を育てているのかもしれない。
飲みに行ったクラブでは自分はさてどうしたろう。ママさんの歓迎の言葉と笑顔だけは記憶に残っている。そして隣に座った美人さんの記憶も残っている。何度も耳元で美人さんは自分の名前を教えてくれたが、もう覚えてない。ただ自分の髪が伸び過ぎてしまったのでそろそろ床屋さんに行かなければと話したのに対し、その美人さんが「私の抱いたイメージを壊さない程度で髪を切ってね」とかわいい事をつぶやいたことだけは記憶のどこかにかすかに残っている。トラの緒を踏みそうな危険で甘い記憶だ。岩間さんとはどんな会話をしたのか。とうとう自分はまた一人だけ楽しむ身勝手な酒を飲んでしまったようだ。気がついたら12時を過ぎていた。ママさんが「伊藤さん。アメリカからこんなにステキなお客さんを連れてきてくれるなんて。ママ。とても今夜は感激しました。ありがとう」。確かそんなふうに言って大きな瞳を輝かせたのも記憶に残っている。(写真は左から斉藤さん、モナミさん、岩間さん、shizukoさん)