闘病記から 第7章 コスモス哀歌
小川さんに捧ぐ
弱々しく見えて強く、寂しそうに見えて賑やか、そう、小川さんはコスモスの花のような人でした。
隣の14号室にベッドに寝たきりで、しょっちゅうナースコールをしてはナース達を困らせている患者さんがおりました。ナースコールをしてもナースが来なければベッドをガタガタゆらすのです。その音が隣室の私達の病室にも響きます。
その方は食事の時いつも苦しそうにゲェーゲェーむせて、咳き込み、隣室にいる私達にまでその苦しみが伝わって来て、「ああ、また小川
さんが咳き込んでいる。かわいそうだね・・・」、誰が言うとも無しにその言葉が飛び出し、食事の時が流れるのでした。
私は、いつも14号室の前を通る時彼女を見ていたのですが、寝たきりの彼女の右手の指がいつも数を数えているように動いている事に
気がついていました。「短歌か俳句を作っているのではないだろうか・・・・」、私が短歌(単なる独り言ですが・・・)を作る時、彼女と同じように指を数えたりするのです。
ある時私は、介護に来ていた御主人にその事を聞いてみました。すると御主人は、元気な頃は俳句を作るのが趣味だったとおっしゃって、いろいろなお話をして下さいました。
最初(定年退職の前年)くも膜下出血で倒れて、車椅子で生活できるまでに回復したものの、その後何回か脳硬塞を繰り返し、15年もの長い間、入退院を続けているのだという事でした。彼女の体の左半分は麻痺しているのだそうです(左半身片麻痺)。長い闘病生活で骨はもろくスカスカになり(骨粗鬆症)、体中の血管はボロボロになっていて、いつ破裂してもおかしくない状態なのだと・・・・・・・・。説明されても私は何がなんだかサッパリ解らなくて・・・・・事の重大さを理解できませんでした。ただ、医学的な体の状態は解らなくても、寝たきりの彼女を見るだけで、それがとても重い状態である事は解ります。
私は一通り御主人から説明を聞いてから、小川さんに声をかけてみました。「小川さん、初めまして、隣の病室にいる・・・・・」、自己紹介をすると、小川さんはニッコリして、実にハッキリと自己紹介をしてくれたのです。「私は、小川・・・です。年は70歳、住所は秋田市・・、近所にはガソリンスタンドがあって・・・お隣は・・。」私はとても驚きました。小川さんの同室の人達は「何を言っても解らない人・・」という対応の仕方をしていて、私もそういう方だとばかり思っていたからです。解らないどころか多分小川さんは、全部解っていて、自分の思うようにならないからそれでナースを呼んだり、ベッドをガタガタゆらして解ってもらいたかったのだと思いました・・・。
次の日から私は時間をみつけては小川さんに声をかけるようになりました。何を話たら良いか解らなかったので、星野富弘氏の書いた「あなたのてのひら」を持参し、本を読みながらお花の話をしました。小川さんは、この花は自分の家の庭にも有るとか、御主人が庭にダリアを植えていてとても綺麗だとか・・・・・お庭の様子をとてもくわしく教えてくれました。自分は営林局に勤めていて自宅から自転車で通っていたことも・・・・そして、また元気に歩きたい、歩きたい・・・と。
健康な人間が歩く事は何の雑作も無い事なのに、ここ何年来、小川さんには、途方も無い大きな夢になってしまっていたのでした。なぜなら彼女は頭から足の先までの体を、左右対称に2分した左側半身が感覚を無くし、立つ事も歩く事も、ましてや骨粗鬆症で寝ていても、「腰が痛い、腰が痛い」という事実、血管がボロボロと言う現状では、とてもとても叶う夢ではなかったのです。
「車椅子、車椅子があるじゃないの?」。私は、御主人に話をしてみましたが、介護に慣れているナースでさえ2人がかりの移動を、小川さんより年輩で、しかも腰を痛くしている慣れない御主人がやれるわけはありませんでした。私は、いま自分が病気である事がくやしくて、「よおし、私が早く健康になって小川さんを車椅子で外へ連れてってあげよう・・・・」。
「人間が2本の足で立って自力で歩く・・・」ことが、こんなにも素晴らしい事であると言う事を・・・・この時程強く感じた事は有りませんでした。
小川さんの 指がいつでも かぞえてる
早くよくなれ 俳句のこころ
数えてる 小川さんの指 伝えてる
健やかなりし 思い出のかず
※ 歩きたい 歩けたらいい 歩きたい
いつも貴女が 言うことは1つ
※ 梅の花 白とピンクの 梅の花
見える貴女の 夢はいまどこ
(※ の句は、小川さんの俳句に私が下の句を詠みました)
それからの私は、余程のこと(朝から検査など)がない限り一日に一回は小川さんをたずねていろいろなお話をしました。私の顔をしっかり認識してくれた彼女でしたが、顔は解っても名前が出てこないと言う事も多く、その度に私は自己紹介をしていました。昼食に合わせて毎日お世話に来る御主人のために、その日に話した事などをメモにとって、彼女のまくらもとに置いておいたのです。
御主人は、その事をとても喜んでくれて、「モナミさん、入退院を繰り返して15年にもなると、誰もお見舞いに来てくれる人はいなく、声さえかけてくれなくなっていたのに、ありがとう、ありがとう・・・・・」とお礼を言いました。そう言われてみると、小川さんを知ってからの一ヶ月半の間に、「御主人のお姉様」という方を一度見たきりでした。平日はもちろん土曜日も日曜日も来訪者はありませんでした。
小川さんには息子さんがいて、お孫さんが1人いるそうです。彼女は、息子夫婦に男の子が生まれて、サッカーのラモス・ルイ選手の名前から「・・」とつけたのだと、かわいいお孫さんの写真も見せてくれました。が、息子さんも、そのパートナーの方も、もちろんかわいいお孫さんも彼女の病室で見る事は有りませんでした。「健康な人間はいつも忙しくて、15年も入退院を繰り返している人には、かまっていられないのでしょうか?・・・誰ひとりとして、好きで病気をする人など居ないと思うのに・・・・・」。御主人は私に「私達夫婦は2人共公務員でしたから、お金はいっぱい有ります。退職して、これからユックリ旅行等しようと思った時にこの人が倒れて・・・・」、それからの15年間を御主人は看病にあたってきたのでした。若い人達は、頼りにならないと・・・。お金は、なければ困るだろう。でもお金がいっぱいあっても、幸せでは無い・・・小川さんの健康はお金では買えなかったのだから・・・。そんな事を考えていたら生きてゆくということが、とても悲しくなってしまいました。
楽しそうに私とおしゃべりをする小川さんの脳は、現実と過去をグチャグチャにし、時間の観念もゴチャゴチャで、時には幻覚をみせて惑わし、いつもいたずらをしては困らせているのでした。
退院して2週間後、始めて外来で診察を受けた後、私は肺炎で七階の内科病棟に移っていた(私達が入院していたのは五階の胃腸科です)
小川さんをお見舞いしました。
七階の内科病棟は、ドクターやナースまで病気ではないかと思う程、重苦しい感じのする静かな病棟でした。久々に私を見た小川さんは、
「良く来たねえ、良く来たねえ」と喜び、半袖姿の私に「腕を出して寒く無いか」と何度も言いました。
小川さんの S 主治医が来て私に「御家族の方ですか」と聞きました。私は「友達です」と答え、「具合はいかがでしょうか」と尋ねると、ドクターは、あまり良い状態では無いと答えました。後で解った事ですが、この日の小川さんは熱が高く、苦しい時間を過ごしていたのです。御自分が熱が有って具合が悪く寒かったから、私にも「腕を出して寒く無いか」と何回も聞いていたのです。
その日はとても暑い一日でしたから・・・・・
小川さんが食事の時にいつもゲエーゲエーむせて、咳き込み苦しい思いをしていたことがじつは嚥下(えんげ・・飲み込み)障害というものであることを、私は退院後新聞の記事で知りました。それは県立リハビリテーションセンターの医師が書いた記事でした。
『高齢の方や脳卒中などの後遺症の患者さんで体の一部に麻痺のほかに食事の際に次の症状がみられる。 1) むせる 、2)せきこむ、3)つまる、 4)飲み込みが悪くなる・・・・・etc嚥下障害があると誤嚥(誤って気管に食べ物が入り込む)の危険がたかまり肺炎になる事が多い。・・・・・・・・』・・・・その他に、嚥下障害に対する県立リハセンの取り組みなどが書いてありました。
そういえば小川さんの食事には、いつも葛湯がついていました。あれは嚥下障害のある小川さんが水分をとるための葛湯だったのだと知りました。でも、「味噌汁」もついていて、それを飲むといつも彼女はゲエーゲエーむせて、咳き込み苦しんでいたのです。一人で食事をとる事の出来ない彼女は、口に運ばれるものをとる以外出来なかったのですから・・・。どんなに苦しかったことでしょう。
ドクターやナースと言う職業は、普段あまり健康では無く、入院経験があり、少し病気がちな人が向いているのではないか・・・などと、私はふと思いました。病気の苦しさや、病人の辛い気持ちは、やはり経験した人でなければ解らないのではないかと・・・・・。私が健康な時、病気の人のことなど考えた事も無かったし解らなかった・・・。
人間が自分の体験しないことを、その人の身になってどのくらい思えるか・・・・・小川さんを少しでも楽にしてあげようと、一生懸命になっていたドクターやナースでさえもである・・・・・・・・・。
この日、小川さんはいつになく「きっと元気になる、きっと元気になる」と、何度も何度もおっしゃって、私達はその度に握手をしました。「きっと、元気になる」と何度も何度も・・・・・・・・・。
私は、嚥下障害の有る人でも食べられるというプリンを持って行ったのですが、彼女は食べる事はなかった様です。
そして次の日の午前9時、私は御主人から電話をいただきました。小川さんが早朝に亡くなったと言う知らせの・・・・・・・・・・。
あんなにも 元気になると 握手して
別れたあの日 貴女はうそつき
弱々しく見えて強く、寂しそうに見えて賑やか、そう、小川さんは
コスモスの花のような人でした。
2000 6 25 モナミ