やはり疲れていたのだろうか。衆院選が6月と決まって以来、4月から5月、6月とほぼ3カ月間、土・日もない日々だった。毎週、どこかで個人演説会や集会があり、そして後援会事務所開きがあった。そのせいか衆院選が終ったらどこか体がかったるくアキを連れての散歩もパピーを連れての散歩もおっくうでならなかった。足に重さを感じ、いつからこうも自分の体は老化したのだろうと苛立ちさえ覚えた。そんなことから2日の日曜日はどこへも出かけず朝の9時ごろまで眠り、朝食後も本を読んでも眠くなるので再びベッドに横になった。午後からも1時間ほど午睡した。そして夕方、アキを連れ出し、パピーを連れ出して堤防を歩いたら体がとても軽くなっていたのに気付いた。やはり疲れがたまっていたのだ。やっといつものペースで足が進む。
こうしてホッとしながら、市役所記者室で仕事をしていたら県広報課から講演依頼の電話があった。今月27日に鹿角市で開く県内市町村の広報担当者を対象にしたセミナーで「秋田県南日々新聞」をメーンにしながら文章に関してアドバイスしてほしいとの事だった。時間は1時間半との事であり、こちらはその長い時間をどうやって持ちこたえたらいいのかと戸惑った。それこそ依頼を受けた瞬間は頭の中が真っ白になる思いで「えー。1時間半ですか!。ウーン」。思わずうなってしまった。どうしようかと悩んだが、せっかく自分を講師として選んでくれたのであり断るのは失礼だし、悔しい面もあるから、ともかくお引き受けした。
引き受けた理由のもう一つは「講演が終った後は参加者のみなさんと懇親会もありますので、鹿角市のホテルに宿泊となります」と広報課の方の優しい配慮につられてしまった面もある。その言葉に乗って「なら、そちらを楽しみに参加させてもらいます」と調子良く言ってしまった。頭の中は講演よりも見知らぬ方々と会ってお酒を飲める楽しみでいっぱいだったのである。
確かに今年は3月に秋田大学で「地域の情報化を考える」セミナーがあり、インターネット新聞「秋田県南日々新聞のもたらした反響」という演題で30分ほど話をした。続いて大曲市のライオンズクラブでも同じ題名で話をした。少しぐらいはもう慣れたかと思いたいのだが、ノミの心臓しか持ち合わせてない自分は未だに人前で話をするという事には全く自信がない。
それだけに講演会などの取材に行くと講師の方が身振り手振りで原稿も手にせずに延々と1時間も1時間半もの長い間、喋り続けるというのを目にすると大したものだと感心するばかりだ。天性というものだろうか。うらやましくさえなる。こちらは自分の言いたいことがあっても原稿なしで喋ることは逆ささまになっても出来ない。今回もだからかなりの量の文字数をワープロに打ち込んでいる。
どうしてこうも人前で話すのが苦手なんだろう。亡くなった父や母はどうしてもっと頭の回転のいい子として生んでくれなかったものかと疎ましくさえ思う。まあ、親を怨んでも仕方ないことだが、なのにお酒が入り、女性を前にするともう時間を忘れて話し続けられる。(読者のみなさま。ご寛恕を)いや、酒なんか入らなくても次から次へと新しい話題が頭に浮かんで相手に退屈という時間を与えない。これに関しては自信さえある。困った体質だ。先日も飲み会があり、出かけた。
隣に座った美女はいつの間にか打ち明け話をしだした。「私ってバカだったの。相手の勤務する会社の将来性ばかり見て結婚したばっかりに大失敗だった。伊藤さん。男性はやはり性格が大事よね」とホロリとした調子で自分の過去を語り出した。女性の打ち明け話には滅法弱いこちらは下心と自惚れで酔いが一気に回り出した。それでも熱心に耳を傾けた。
小さなお子さんを抱えて離婚協議中というから話しは穏やかでない。だけど30代のその女性の美しさはどうだ。こちらは目を見張った。意志の強そうな唇。竹久夢二のモデルにでも登場しそうな濡れた大きな瞳。スラリと伸びた美しい足。これはただものではない。その美しさに見とれながら「なんでこんなにきれいな人をお嫁さんにしながら、不幸にするのか。バカじゃないか」と見たこともないいずれは“元夫”となるだろう男性を想像しながら一人で毒づいた。
そしてきっと素面なら言えなかったかもしれないが、その女性がタバコを手にした時は「僕はタバコを吸う女性は嫌いだよ」と言ってしまった。身勝手なもので、自分ではタバコを吸いながら女性がタバコを吸う姿を見るのは嫌いなのである。それを正直に言ってしまったのが良かったのか悪かったのか。あるいはお世辞だったのか。「伊藤さんのようにハッキリ、そう言ってくれるお客さんって私、大好き」とその美人さんは目を潤ませ、タバコをくわえようともせずにもみ消した。
そして2度目の出会い。彼女は隣に座ってもタバコを手にしなかった。「あれタバコは?」と聞くとその女性の先輩である女の子が「伊藤さんが先だって、タバコを吸う女は嫌いだとおっしゃったでしょう。だから彼女、ピッタリとタバコ止めたのよ。憎いわねー」とこちらをにらんだ。そしてその美人さんも黙ってうなずきながら温かい視線を送ってきた。その美しい瞳にこちらの心はグラグラと揺れ、思わず「恋の病になりそうだよ」と本音を吐いてしまった。
相手は目を輝かし「伊藤さん。それほんとう?」と見つめながら「アタシ美人さんじゃなくてちゃんと名前があるの。○○よ。○○」。美人さんは自分の名前を2度繰り返して「ネッ。名前を覚えて」とあだっぽい笑顔を見せた。「いや。美人さんでいい。ひとみ美人だ。それでいい」。病気にならないよう必死の抗いを見せながら「あなたのような美人さんはやはり不幸になってはいけない。幸せにならなければいけないのだ」。夜の街での会話はこうして再び深夜まで及んだ。酔うととにかく口が回る。
いっその事、県から依頼のあった講演もお酒を飲みながらやろうかと野蛮なことを思ったりして自分自身が慌てている。そうはいくまい。真面目な人たちの集まりだ。とにかく何を喋ろうか。毎日がそのことで頭がいっぱいであり、コツコツと原稿を書き進めている。それにしても1時間半。果たして維持できるだろうか。「疑心」は「暗鬼」を呼ぶように「不安」は「不安」を呼ぶ。県からは追い打ちをかけるようにこちらの「経歴と講演の演題が決まったらファクスで送って欲しい」と2度目の電話が入り、その翌日には文書でもっての正式な依頼通知が来た。演題は「県南日々新聞のもたらした反響とインターネット時代における文章のあり方」とした。
インターネットを始めてとにかく大事にしなければならないと痛感したのは「文章」だからである。毎日のようにメールが来る。中には売り込みも多い。メールに関して感じたことはやはり真心のこもった文章は読めるし、直ぐに返事を書きたくなる。しかし、単なる製品の売り込みやホームページのPRだったりすると見るのも嫌になる。ましてや何をこちらに訴えたいというのか言語は明瞭だが、意味は不明と言ったメールもある。また新聞と名乗っているだけに問い合わせも多い。しかも、ペンネームだったりイニシャルだけでどこに住んでいるのかさえも分からないままでの問い合わせだ。こちらは自分の素顔を記事やエッセーを通じて表面に出しているつもりだが、相手がペンネームやイニシャルだけだと正直言って、返事を書くにしても疑問を感じる。それでも問い合わせがあれば図書館などに走って調べ、「不快」な思いはさせたくないようにと文章には気遣う。メールを発信するにはそれなりの苦労が多い。
中にはていねいなお礼のメールを下さる人もいるが、場合によってはウンともスンとも言って来ない人もいる。まだ文章というかメールのエチケットに慣れてないかもしれないが、これが県や市町村役場の人だったら許されないだろう。「県民からのご意見を待っていると言うからメールを出したのに来たのはこんな意味不明な返事だった」とか、「役場からはこんな意味の分からない返事が来た」となったら行政に対する不信感は募るだろう。それだけに今度の講演では文章の大切さを話したいと原稿を書き出した。しかし、書いても書いても1時間半もの時間を消費するには足りないようにさえ思う。どうしよう。どうしようと不安を抱えたままだ。それでいながら心の中では先日、お酒を飲むに行って出会った美人さんの少し寂しい笑顔が目に浮かんでくる。その心に向かってもう一つの心の誰かが「おい。また病気になったらどうする」と警戒信号を送ってくる。そのアンバランスな心の揺れ。これも人生だ。