夕方、犬を連れて堤防を歩いていると相変わらず蜩(ひぐらし)の澄みきった鳴き声が杉林の中から響いてくる。アキとパピー。そろそろお互い慣れたようだから一緒に散歩に連れ出そうかと思ったが、ちっとも落ち着きのないパピーは自由勝手に振る舞おうとするし、アキはその小犬の動きに神経質となってうなり声をあげることから、アキに食事を与えて散歩に連れ出してからパピーを連れ出すと言う二重の手間となってしまった。それでも蜩の鳴き声を聞きながら歩く堤防の風景は好きだ。子どもの頃からこの杉林を眺め、遊びの場としてきた。
杉林に入って一本の杉の木の皮をナイフで刻み取って、白い樹皮に名前を刻んだのも兄の友だちの教えからだった。杉皮をナイフで四角に刻み抜いて、露出した白い樹皮に名前を刻み、再び杉皮を埋め戻すだけの遊びだった。そして1週間後、また2週間後、再びその皮を剥(は)いで名前を確認した。たわいない単純な遊びだったが、名前を刻んだ木がまるで自分の分身のように思えてならなかった。刻まれた木こそいい迷惑だったろうが、あのころはそんなことはちっとも考えたことがなかった。その思い出の杉の木は今も昔のままの場所にスクッと立っている。多分、あの木だろうとアキを連れては眺め、パピーを連れていっては眺めている。
以前にも思い出の一つとして書いたが、昔、この林に入って母とすぐ上の兄と風呂の焚きつけ用にと落ち葉を拾ったものだった。どちらかというと自分より親思いの兄はせっせと母の下で杉の葉拾いに精を出し、こちらは遊ぶ方に熱心だった。皮を剥(は)いで名前を刻んだ杉の木を確認に行ったり、クルミの実を拾い歩いたりした。時には杉林の中をグルグルと駆け回り、木の枝にぶら下がって“ターザン”の真似をして楽しんだものだった。そうした遊びに飽きると母の下に帰ってブラブラと杉の葉を集め、小さな山を築いた。母はいつも黙々と作業に打ち込み、兄もせっせと葉っぱを拾い集めた。「マサオももっと熱心に手伝えよ」。兄は苦い顔で注意した。「いいんだ。いいんだ。マアは遊びたいのだから」。縄で結んだ大きな杉の葉の山を背中に積んだ母はニッコリとして言った。兄も母と同じように大きな杉の葉の束を背中に積んだ。その二人の姿を見てなぜか無性に悲しくなって「おれも担ぐ。おれも担ぐ」と泣いたことがあった。兄のように杉の葉を背中に背負わないと悲しくてならなかった。母は黙って小さな杉の葉の束を自分の背中に縄で結んで背負わせた。
あのころなぜあんなにも母も父も自分には優しかったのだろうか。跡取りと期待した自分とは親子ほども年齢が違う長男に失敗し、またその次の兄にも失敗した父と母は多分、老後は末っ子に頼るしかないと思っていたのかもしれない。同時に8人兄弟のうち一番早く、親とも別れなければならない定めにある自分がかわいそうでならなかったのかもしれない。事実、父は自分が33歳の時に77歳で病死し、母もそれから10年後には世を去った。
直ぐ上の兄もまたその上の兄も「俺たちは学校を卒業したら直ぐに東京に行くから、マア。お前は家に残って親の面倒を見ろよ」。そう言ってまだ小学生だった自分に言い聞かせたものだった。秋田に居る姉もまた近くに居る姉も「親の面倒を見れるのはマア、お前だけだからナ」と小さいころから言い聞かされていた。家を出た長男はその後、やはり父と母が恋しかったのだろう。自分が幼いころから何度も訪ねてきては泊まり「マサオ。おとなしくしてるか」と頭をなでては機嫌を取ったものだった。しかし、年齢の違いもあってかどうしても兄として馴染めず、父が亡くなる直前に死亡した時も我が家を代表して弔問に訪れたが、焼香だけしてそそくさと帰ったものだった。
病院のベッドに寝ていた父と母は長男の葬儀の報告を受けても「そうか。行って来てくれたか」とひと言つぶやいただけで目を瞑ったものだった。長男が家を出た時、父は「トンボが羽を取られたようなもんだよ」。そう言って悲しんだのが子ども心にも覚えている。母は放心したように居間の上がり框(かまち)に腰を落として無言で泣いていた姿も覚えている。以来、父と母は一心に自分に愛情を注ぐことで気持ちを紛らしたのかもしれない。その愛情が一途だっただけに余計、老いた父と母が悲しく見えた。父として母として甘えるよりもいたわる気持ちだけが強まった。
そして兄に去られた父と母の悲しみを知っているだけに、いつも自分の心には人に去られるという恐怖心が募った。親しくなってもいつかは“サヨナラ”されてしまうのではないかという恐れが募った。そんな寂しさにおののき、そして黙ってあきらめることを言い聞かせてきた。
昨日(26日)、激しい雨が降った後の夕方、西の空に鮮やかな虹が浮かんだ。その虹を見せたいと家に飛び込んで妻を呼んだ。「わー。きれい」。小さな声でつぶやいた妻を車に乗せ、虹の橋を追った。虹は追い掛けても追い掛けても同じ距離を保って近づくことができなかった。子どものころも虹を追い掛けた。虹の下には宝があると言い聞かされた。その夢を追った。自転車で虹を追った。追っても追っても虹には近づけず、虚しさだけが残ったものだった。昨日も虹を追った。そして近づけず、虹はいつの間にか姿を消した。
今日はこれから鹿角市への旅となる。こつこつと書き綴った原稿は市販の400字詰め原稿用紙で45枚分にもなる。達成感はあるが、どこかポッキリと空間が空いたような気がしてならない。虹を追ったせいだろうか。「ここを過ぎて悲しみの市(まち)。友はみな僕からはなれ、かなしき眼持て僕を眺める。友よ、僕と語れ、僕を笑へ」(太宰治『道化の華』)。一冊の本を持って鹿角への旅を楽しんで来ます。