こちら編集室「あんだんて」(9月1日)

 「大曲の花火」も終わった。秋田はこの「大曲の花火」が終わると急速に秋を迎える。半袖に半ズボンと言う姿で朝夕、犬を連れて歩けるのももうすぐ無理になるだろう。「夏よさらば、そして秋よこんにちは」となる。それにしても「大曲の花火」への人出はすさまじかった。いつからこんなにも観光客が全国規模となって押し寄せるようになったものだろう。不況はどこふく風とばかりに旅行会社が大型バスを次々と連ねて観光客を運んでくる。道路という道路すべてが大渋滞となり、大曲駅では臨時列車が着くたびにどっと人が吐き出され、大混雑となった。

 我が家では昨年に続いて桟敷席をひと枡(ます)購入し、桟敷での花火見学となった。昨年は妻の実家の娘さんとその友だちが桟敷に座ったが、今年は妻の実家の兄夫婦と4人で見学した。花火を見ながらいつも思う。アメリカの岩間さんや焼津のhaseさんなど遠方の方たちを招待できたらどんなに喜んでもらえるだろうかと。しかし、残念ながら招待しても大曲市では宿がない。ましてやあの混雑である。どうやってお客さんを接待したらいいのか。それを考えると不可能かなとも思ったりする。

 咲きだしたススキ=大曲市内小友でともかく花火会場に入るのも地獄の思いだし、帰るときの混雑はそれこそ話にもならない。いや恐怖感にさえ陥る。おそらく雄物川河川敷を埋めつくした数十万人もの見物客がどっと家路に付こうとするから、狭い土手の上は殺到した人ごみでにっちもさっちもならない。その人の海に流され「もう『大曲の花火』はこりごりだ」という人もいれば、「どんなに苦労しても『大曲の花火』だけは見たい」と懲りない人もいる。ともかく「押すな!押さないで!」と怒鳴ろうが、叫ぼうが、あがこうが、そしてどう、もがこうと、どうにもならない。自分の意思では動けず、ただ人の流れに流されるだけである。ジッと絶える忍耐力を発揮するしかない。

 その混雑を誘導して人の流れを整理する対策が取られてない、とある新聞が大上段となって主催者側の落ち度を叩いた。その気持ちは分かる。本当によくもこれまで事故が起きなかったものと不思議なくらいだ。しかし、叩かれた主催者側も「取れるべき対策は取った。考えられるあらゆる手段は取ったつもりだった。市役所だって男性職員のほとんどと言える237人が徹夜態勢で花火対策を取ったし、警察だって本部からも応援をもらって全力投球したし、消防団の協力ももらった。でもあの津波のような人の流れを限られた人数でどうやってさばけるのか」とぼやく。その通りである。みんな懸命に花火の人対策を取った。

 どだい人口4万人足らずの街に一気に62万人もの観光客が来るだけでも無理がある。どこへ行っても人、人、人の海だ。でもやはり「大曲の花火」は見せてあげたい。あるいはかなり前に人数さえ確認すれば宿泊は多少、遠くまで足を運んでもらうことになるかもしれないが、何とかなるかもしれない。ケンニチに経済的な余裕が生まれたら桟敷を2枡(1枡6人)か3枡を確保して実現したい。そして花火を見てもらいたい。そんなことを思いながら夜空を焦がす「大曲の花火」を見つめ、写真を撮り続けた。新しいカメラは感度も良く結構、シャープに写真を撮れた。中にはやや手ブレの写真もあったがまあ使える代物だった。

 それにしても花火の街である。大会が終わった翌朝、市内を車で走ったら昨夜のあの喧騒はどこへ行ったのか。街中が眠ったような静けさだった。花火大会に向けてだれしもが全力投球し、儲ける人は大いに儲け、会場整理を担当した人たちは徹夜で汗を流したことだろう。記者も翌日は花火の記事を書いて、ケンニチの紙面を入れ換えて自宅に帰ったらどっと疲れが出て眠りの世界だった。

 そして翌日の月曜日、ケンニチはまた新しい世界が開ける事となった。待望の3つ目のバナー広告が掲載されたからである。大曲市角間川町の「香水とガラスアクセサリー」のお店「あんだんて」さんが9月からスポンサーとなって下さることとなった。そのバナー広告をデザインしてくれたのはこのケンニチの題字をデザインした千畑町の総合広告代理店「グラフィック」の高橋成人さんである。高橋さんは取引先の松戸市コンピューターサービス(mcs)秋田センターでバナー広告のデザインを仕上げた後、たまたま居合わせたmcsの佐々木徹さん、鈴木正道さんの3人でケンニチにその広告を掲載する作業に入った。

 「伊藤さん。良かったね」。高橋さん、佐々木さん、そして鈴木さんは心からケンニチの広告が増えた事を喜びながら、記者室から運んだ自分のパソコンを操作し、広告を掲載するための編集作業に入った。いつもなら「きたうら花ねっと」の海賀孝明さんの手をわずらわせなければいけなかったが、今回はこの3人が手伝ってくれた。

 3人はケンニチの編集画面を呼び出し、「秋田清酒株式会社」と「おおさわ胃腸科内科クリニック」さんのバナーの隣に載せたいとするこちらの希望を聞いて、作業に入った。しかし、なぜか簡単には「あんだんて」さんのバナー広告を載せるスペースが取れない。3人は「ああでもない。こうでもない」と複雑なソフトをいじり、試行錯誤しながら懸命だった。その3人の姿を見ていて「ケンニチはいいなー」と思った。ケンニチのために3人はその持てる技術と知識を生かし、無償の協力をしてくれたのである。

 秋田県南日々新聞=ケンニチ・コムはこのように何かあると皆が助けてやろうとする。ボランティア精神を発揮してくれるのである。中でも佐々木さんは翌日から再び松戸市の本社に戻らなければならない忙しさなのに夕方の7時過ぎまでその作業を買ってくれた。佐々木さんとはパソコンを買って以来の付き合いだが、何かがあると海賀さん同様にケンニチのために力を貸してくれる。ともかくケンニチはこうした人々の温かい支援に支えられ、紙面はまた新しい装いとなった。「あんだんて」さんのバナーのおかげでケンニチの表紙は随分、明るくセンスが良くなったような気がする。

 そして「あんだんて」の伊藤美果さんとは「こんな田舎からでもインターネットを活用する事で世界に向けて情報発信できる。ケンニチも『あんだんて』さんのお店の名前が広く、広く知られるように頑張りたい」とエールを交換しあった。いつかは大曲市角間川町の南団地にある瀟洒なお店「あんだんて」が新しい大曲の“美と香りの文化”として観光スポットになれることを祈りたい。

 さて記者は7日から11日まで台湾政府からの招待で台湾に行く事になった。「大曲の花火」が9月9日に「第2回台北花火節」として打ち上げられることから、その取材と台北周辺の観光地を取材してもらいたいとのことだった。肩書はもちろん、自分が勤務している「秋田民報社」の記者としての招待だが、一緒に大曲から行くメンバーはからは「伊藤さんにはぜひ、パソコンも持参して台湾からケンニチへ現地報告をしてもらいたい」との声がかかる。果たして現地で使えるかどうかは分からないが、その意に応えたいとは思っている。もしもだめだったら許されたい。

 パスポートはとっくに期限切れとなっていたため、秋田県庁に急いで新しいパスポートを申請するなどこのところ何となく気ぜわしい。2度目のヨーロッパに行ったのはもう7〜8年も前だ。以来、海外とはもう縁はないだろうと思っていたが、インターネット新聞のおかげで友人知人の輪は広がるばかりだ。いずれは岩間さん、そして俊子・ポランスキーさんのいるアメリカも訪ねたいと思っている。その時は秋田からのいや日本からの読者と共に行ってみたい。そんな夢が広がっている。先の長い話だろうが・・・。