まだ台湾にいらっしゃるのですね。私の方は週明けからデイズニーワールドなどのテーマーパークが集中するフロリダ州のオーランド市に出かけ不在となります。そんな訳で出発前にブエノスアイレスの旅の完結編としてタンゴの話をさせてください。
南米の音楽と云うとブラジルを代表するリズムの軽やかなサンバやボサノバ。若しくはアンデス山脈に連なる地域のインデイオの余韻を感じさせる竹笛などの民族楽器が奏でるフォルクローレのイメージが強いのですが、アルゼンチンはこの世界とは全く違った音楽の世界、つまりタンゴに尽きるような感じがします。ブエノスアイレス一番の繁華街(新宿のような通りは存在せず、銀座通りと云う感じ)、には多くの一流店が並び、1kmほどの長さで歩行者専用道になっているフロリダ通りを歩くと、所々でタンゴを踊ったり、演奏したり、タンゴを歌う大道芸の人達を何組か見かけます。CD店を覗くと、どの店もやはりタンゴのコーナーがあり、伝統的なタンゴから前衛的なタンゴまで多くのCDが並べられています。また、この町の名の売れたナイトクラブは夕食とタンゴの演奏とダンスを組み合わせたデイナーショーが中心ですし、一般市民がちょっと立ち寄るタンゲリアと呼ばれるタンゴのライブハウスやタンゴバーもずいぶん見かけました。
音楽ですから好みも色々だと思いますが、私はタンゴの音楽は以前から非常に好きです。バンドネオンが刻む切れ味の良い和音のリズムと対照的に糸を引くようなリードの音色。加えて、哀調を感じさせる響きを持つバイオリンとピアノの音楽は私が持っていたアルゼンチンのイメージでしたが、ブエノスイアレスの町を歩いてみて、肌で感じたアルゼンチンはやはりタンゴの世界と実に良く合う印象でした。
タンゴの発祥地はブエノスアイレスの昔の港町であったボカ地区と云うところだそうです。ボカ地域はヨーロッパから渡ってきた移住者がアルゼンチンに最初に足を踏み入れた土地であり、生活を始めた地域でもあったそうです。当時はこの地域はブエノスアイレスの中心として繁栄していたそうです。日系移民者の人達の多くもこの地域から生活を始めたと聞きました。タンゴはそこで暮らす下層労働者の中で育った音楽で、もともとはキューバー音楽の影響を受けた音楽と云う話しも聞くのですが、個人的には懐疑的で、やはりヨーロッパルーツの音楽のような感じがします。当時、タンゴの踊りそのものに相当官能的な表現があり、歌の歌詞もキザでやくざっぽい男と酒場の女の色恋を歌ったものが多く、アルゼンチンの上流階級には品の良い音楽と見なされず、その子弟がタンゴ何ぞに興味を持つのはもっての他!であったようです。
舞台衣装と云うこともあるかもしれませんが、タンゴを踊る男性ダンサーの衣装は大抵、帽子を深くかぶり、派手なチョッキとスーツ、そのポケットに赤のハンカチをちらつかせ、派手な革靴を履いて踊ると云う格好から、その雰囲気は少し伝わってきます。タンゴはバンドネオンと云う楽器がドイツから入ってから、音楽として発展、後にバイオリンとピアノとベースが組み合わせて編成されたのがオルケスタと云うタンゴの標準編成楽団だそうです。特に1900年の初めに当時の有名な女優がある映画の中でタンゴを踊ってから、世界的なタンゴブームが起こったと聞きました。
そのタンゴ発祥の地であるボカ地域を実際に歩いてみました。この古い住宅地域はブエノスアイレス市のその後の発展から完全に取り残されてしまった印象で昔の港であったドブ川に沿った古い町並は、人の通行も少なく道路清掃もままならない古ぼけたさびしい地域でした。この地域の中で唯一目立つ存在は、タンゴの曲でも知られるカミニートと云う100mほどの通りで、その特徴はトタンで囲った家々に、船の塗装用の余ったペンキをトタンに塗った派手な彩色の家の並ぶ石畳の通りです。ここが今はタンゴをのルーツを代表する観光スポットになっていました。
この付近には、町の芸術家が随分暮らしているらしく、道路には絵画や工芸品を売る出店(単に小さなパネルに絵を掛けて売っているだけですが)があり、観光客商売をしていました。正直なところ、この町はさほど観光に力を入れているようにも感じられず、ただ、ひっそりと移り行く時代の中で、昔の町並みと生活がそのまま残っていました。
さて、タンゴの踊りです。私はダンスのことは全く無知なのですが、今まで見ていたタンゴの踊りはどうも社交ダンス化したタンゴの踊りのようで、実際に、この町で何回か見たタンゴの踊りは、遥かにそのステップも複雑で、動きも激しく、ただ驚くだけでした。興味を持ったのはタンゴの歌の歌詞です。スペイン語は分かりませんから、英語の説明を聞くと、歌詞そのものには実に男女の別れ、未練、憎い、恋しい云々の文句が多く、何となく日本の演歌に共通するのがあり、ひょっとしたらタンゴはアルゼンチンの演歌かもしれません。
そ