こちら編集室「北京からの来客」(10月6日)

 中国は北京から高橋陽一さんが訪ねて来られたのは先月の28日だった。几帳面な人らしく約束の午後1時きっかりに携帯電話が鳴り、大曲市役所に着いたことを報せた。すぐに下へ降りて行って初対面の高橋さんを記者室へと案内した。高橋さんは湯沢市出身で、今は北京で中国人がオーナーとなって経営している会員制レストラン「長安倶楽部」の日本料理「日本橋」の料理長をされていると言う。昨年結成された「北京秋田県人会」の会長でもあり、「休暇を利用して湯沢市の実家に里帰りすることになったが、ご相談をしたいこともあってお伺いしたい」と初めてのメールを頂いたのは9月23日だった。

 まだ39歳と若いが、お話を聞いていてとてもしっかりした方と言うのが印象だった。北京と言えば今は秋田県庁に戻られた土門啓介さんとのつながりがあっただけに高橋さんとの出会いもケンニチ・コムとしてはとても心待ちだった。高橋さんは「何から話をしたらいいのか」とカバンを開けて「北京秋田県人会」の資料やご自身が投稿している「北京かわら版」の「旬の日本料理」の作り方などを手元に置きながら、「実は北京秋田県人会も近々、ホームページを開く準備をしているんです。で、伊藤さんの県南日々新聞にお願いしたいのはそのページのリンクを張ってもらいたいことと、もう一つは戦前・戦中にも北京には秋田県人会があったと言うことを最近、知りました。その当時の様子など知っている方がいたら何とか連絡を取りたいので、その呼びかけをケンニチさんにお願いしたいのです」。

 北京秋田県人会の高橋会長高橋さんの話の内容を概略すればこのようなことだった。北京秋田県人会のホームページをケンニチにリンクするのは快諾した。秋田の人たちも海外のいろんな所で活躍していることを知り、ケンニチがその人たちとの情報交換の場として役立つのならどんなことでも協力したかったからだ。それに高橋さんの話を聞いていてケンニチの記事が事細かに読まれていることも知ってとても嬉しかったのもある。

 その高橋さんが戦前・戦中にも北京に「秋田県人会」があったという事を知ったのは7月に開いた県人会に参加された三浦先生と言う方が、子どものころに北京で暮らしたこともあり、当時(昭和13?15年ごろ)の写真とその当時、日本人向けに発行されていた『東亜日報』と言う新聞を持ってきたことからだった。高橋さんは「今の北京秋田県人会の会員は21人。そのうち残念ながら県南の人は自分も含め3組だけなんです。三浦先生の話では当時はもっと多くの会員がいて、活発な交流を深め合ったらしいんです。その当時のことをもっと知りたいし、ケンニチを通じて北京秋田県人会が紹介されたら、きっと北京、いや中国にはもっと多くの秋田県人が滞在していると思うんです。その人たちと連絡が取れるようになれば嬉しい」ともおっしゃった。高橋さんの言う三浦先生は本荘市出身とかで、高齢のため8月に帰国されたようだ。

 とにかく北京秋田県人会、そして高橋さんのためにケンニチが少しでも役に立つならとこの「こちら編集室」を通じて紹介することにした。ここで少し高橋さんの経歴に触れよう。高橋さんは中学を卒業すると同時に板前を目指し、秋田市の老舗「割烹秋田くらぶ」で修行。「日立社員クラブ」「麻布三越料理長」「セビリア万博日本館料理長」、そして「北京三越料理長」を経て、中国人がオーナーの高級レストラン「長安倶楽部」の日本料理長に就任した。三越から北京に派遣されたのが93年と言うから、もう7年間も北京暮らしをされている。

 高橋さんによると北京の日本人会は会員2000人ぐらいで、留学生も含めると1万人前後の日本人が北京で暮らしていると言う。高橋さんは「中国と言う国は毎日が発見の連続です。とにかく国の広さを感じる。この国で暮らそうと思ったのはまあ、北京の第一印象が良かったからかもしれない。この国で暮らすと言うことは一回でもイヤだなと思ったらおそらく続かないでしょう。とにかく大都市ではあるけど、少し郊外に出かけると自分の生れ育った田舎とどこか似ているような懐かしさを感じさせます。それが良かったからかもしれません」と話す。
 働いている長安倶楽部のお客さんの多くは北京の高級官僚や会社社長、外交官などだという。高橋さんはそこの日本料理長として16人のスタッフのトップだ。スタッフ全員が中国人。言葉の障害は「相手が自分の話す日本語を覚えようとしてくれるから、そんなに苦労はないですね」と笑う。「困るのは日本料理独特の『おひたし』とか、ガスで『コトコト煮る』とか『グツグツ煮る』と言っても相手にはイメージがわいて来ないようなんです。だから『おひたし』とはこういうものだとスタッフ皆に皿盛りの見本を見せて、教えたり、『コトコト煮るんだ』というのもガスの火を相手に見せながら、教え込むんです」と目を細めた。その目が優しい。「中国人はどちらかと言うと短気。だから怒鳴って教えるよりもじっくり見てもらって料理を覚えてもらうようにしてます」。高橋さん自身、板前修行で苦労しただけに部下との付き合いを大切にしているのだろう。

 苦労するのは日本料理の材料を調達することだと言う。「日本なら市場に行くと魚でも野菜でも新鮮なもので水準の揃ったものが何でも簡単に手に入る。北京にも市場はあるのだが、自分の目で確認し、品定めしないといけない。そして作る料理を考える。頭を使わないといけない。でもそれがやりがいがあると言うことでしょうか」。高橋さんのもらう給料は中国人スタッフが一カ月平均3万円前後なら、その10倍以上。もちろん日本の給与水準に合わせたものだ。「北京では物価が安いから3万円でも暮らしていけるし、自分だってもらった給料の半分も使いません。将来の帰国に備えて蓄えに回してます。北京で働いている日本人の多くがそうじゃないでしょうか」と物価の安さの分を蓄えに回す北京事情を話した。

 自宅近くの朝の風景確かに物価は安そうだ。タクシーだって初乗りは4キロまで10元(約130円)。しかも、観光のためタクシーを1日貸し切りにして乗っても500元から700元と言うから日本円で6500円から9100円。「だから4人乗って北京観光を楽しんだら安いものです。北京なら紫禁城、天壇公園、それに万里の長城までだって高速で1時間ぐらい。結構、観る場所はあります」。高橋さんのそんな話しに耳を傾けていたら自分もいつかは北京を訪ねてみたくなった。「ええ。来て下さい。来るんだったら北京の4月か5月。このごろなら柳の白い芽が雪のように舞ってきれいだし、今の季節なら“北京秋天”と言われる抜けるような青空が見られます。ツアーだったら5泊6日で15?6万ぐらいでしょう」と勧められた。行ってみたい。そう思いながら高橋さんの話しに耳を傾けた。

 北京の日本料理店は高橋さんが入ったころは30件ぐらいしかなかったのに最近は日本食ブームとなって150件にも増えたと言う。日本酒、あきたこまち、それに稲庭うどんでさえ現地で作られているとも聞いた。「でも、やっぱり楽しみは秋田のお酒です。僕も湯沢市出身ですから、帰る時は北京の秋田県人会の仲間のために湯沢の酒をお土産に持って行きます。みんな待ってるんです」と遠い北京に思いを馳せた。

 北京秋田県人会の会員名簿を見た。秋田市や能代市、大館市、それに「秋田が好きな山形県人」もいる。さらには最初の勤務地が秋田支局だった縁で加入した毎日新聞中国総局の記者もいる。雄物川町や協和町出身の方もいる。日立や沖電気、第一製薬、三菱商事北京事務所、全日空北京支店と言ったいずれも大手企業の第一線で活躍されている秋田県人だ。ケンニチは一人で運営しているため、高橋さんのふるさとである湯沢市の情報を取材し、書いたことはあまりない。あったとすれば湯沢市の「絵どうろう祭り」や小正月行事の「犬っこ祭り」の写真を表紙に飾った程度だ。それでも高橋さんは北京でケンニチからの情報を大切に読んで下さっていた。ありがたいものだと思った。

 「みんな仕事を持っているために直接のお手伝いはできないが、秋田の人たちが北京を訪ねたいとかで北京の観光情報がほしいとかがあったら、みんな何らかの便宜は図りたいと思ってます。例会は2カ月に一回集まってワイワイがやがやとお酒を飲む程度ですが、私たち北京秋田県人会の将来の目標は天安門広場で秋田市の竿燈を上げることです」と大きな夢を語った。

 そして高橋さんは「12月には両親を北京に招待することにしてます。本場の中国料理をイヤと言うほど食べさせたい」とも言った。親孝行なのである。高橋さんと話をしている間に一つの仕事が入ったため、高橋さんを車に同乗してもらって取材先のホテルに行った。車内で「北京では車は運転しないのですか」と聞いたら「中国では車を持つ気にもなりませんね。特に北京でなんか信号が赤だろうが青だろうが構わずに車は走るし、人は横断するし。怖くて自分で運転する気にはなりません。それにタクシー代だって安いからどこへ行くにもタクシーを利用してます」とも答えた。その高橋さん。「最近の困った風潮は北京の若者たちの茶髪です。これってみんな日本の留学生たちが中国で流行らせているみたいなんです。中国人も日本人も茶色の髪より、本来の黒い髪が美しいのに」と残念がった。「北京秋天」。今ごろは蒼い、抜けるような青空が北京の空に広がっているだろうか。ケンニチは北京とも新しいつながりが広がった。