こちら編集室「犬を失った大館市のご夫妻」(10月13日)

 夕方、アキを連れて堤防を歩くと皓々(こうこう)と輝く月が目に入る。それがとても美しい。秋は月の美しい季節でもある。月を眺め、アキのトボトボとしたおぼつかない足どりの散歩に付き合っている。先々週、アキの具合が悪くなったことを「こちら編集室」で書いた。「読者の広場」にアキの具合を心配する読者の声があり、中には電話での見舞いもあった。そして妻の職場に迎えに行くと「アキちゃんはいかがですか」と声を掛けられ、同業他社の記者からまでアキを心配しての見舞いの声があった。ケンニチの読者っていいなーと感動させられた。

 おかげさまでアキはこのごろ食欲が出てきたようで朝、自分たちの目覚めの音を耳にすると「ワンワン」と食事の要求をするようになった。夕方もシャッターを開けると大喜びでシッポを振り、「ワンワン」とご飯を求める。相変わらず歩く距離は少ないがアキは次第に元気になっている。土・日の休みの天気のいい日は裏の庭につないで日向ぼっこをさせると、気持ちよさそうにゴロンと横になって眠っている。読者には本当にご心配をおかけし、申し訳なかったと反省する。同時にその温かい声援に感激させられた日々でもあった。

 近江屋さんたちが探している柴犬「モモ」犬の話題が続くが12日夕、大館市からケンニチを訪ねてきたご夫妻がいる。記者室のドアがコンコンと静かにノックされたのは午後5時近かった。「はーい。どうぞ」と声を掛けたのだが、ドアは一度半開きになって、そのまま閉じられた。「どうぞー」と再び叫んだのだが、入って来ない。仕方なしにこちらで出向いてドアを開けると50代後半のご夫婦がおずおずとした様子で立っている。奥さまが「あのー。大館の『おうみや』です」と聞き取れないほど静かな声で名乗った。どなたかなと思ったのだが「あのー。柴犬の近江屋です」と再び名乗った瞬間、こちらはその奥さまが手にした柴犬の写真を貼ったチラシを見てピーンときた。

 「ああ。あの大館の近江屋さん。モモちゃんの近江屋さんですか」。「そうです。このたびは本当にお世話になりました。お礼を言いたくて、そして虫のいい話ですがもう一度お願いしたいことがあって参りました」。奥さまのツネ子さんはご主人の哲夫さんを後ろに従えさせたまま無我夢中の表情で話し始めた。立ち話だった。そのままにしておくわけにも行かずソファに座ってもらったのだが、とにかく失った愛犬のことを喋らなければ気が済まなかったのだろう。ほとばしるように話し始めた。

 ここで近江屋さんご夫妻に触れたい。近江屋さんとはその日がもちろん初めての対面である。先々週、「アキよ頑張れ」を書かせてもらった。その最後に「大館市の人が柴犬の『モモ(3歳)』を懸命に探している。8月26日の『大曲の花火』当日の朝、大曲市若竹町の斎藤酒店さん隣の倉庫で犬が花火の音に驚き、見失ったというのだ。あちこちにポスターを張って、愛犬を探している飼い主の気持ちを思うと心痛む。人馴れしていて『モモ』と呼ぶと近づいて来ると言う。赤い首輪をして、赤茶毛の犬である。先週、その犬に似た姿を見つけ『モモ』と呼んだら近づいて来そうな様子を見せたという話しもあって飼い主が大曲市まで探しに来た。もしもお心当たりのある人がいたら090?3120?1943の『近江屋』さんへご連絡を」と紹介した。

 そのモモちゃんの飼い主なのである。奥さまは「何でもインターネット新聞でうちのモモのことを取り上げた下さったとかでありがとうございます。秋田市の人や大曲市の方から電話を頂きました。私たちはインターネットをやっておらず知らなかったのですが、電話をかけて下さった方の話をうかがってとても感動させられました。そして電話を下さった方からも言われましたが、どうかうちのモモの写真をその新聞に入れてもう一度、取り上げてもらうわけにはいかないでしょうか。市役所の記者室を訪ねると伊藤さんと言う方がその新聞をやっているからとも教えて頂きました」。奥さまのツネ子さんは今にも泣き崩れそうな顔で頭を下げた。隣に座ったご主人も同じだった。

 愛犬を失ったご夫妻の悲しみは痛いほど分かった。聞いているこちらも涙が出そうになるほど辛かったし、悲しかった。だが、あれからもう1カ月半にもなろうとしている。依頼は快諾したが、果たしてご夫妻の希望はかなうかどうかは全く自信がない。「とにかく写真も掲載しますし、ケンニチの表紙から呼びかけてみます」と言いながらもご夫妻には「とても残酷な話ですが、もうあきらめるわけにはいきませんか」と言った。「気持ちは本当に良く分かるのですが、いつまでも失った犬にこだわらず精神的に切り換えるためにも別の小犬を飼って気分を入れ換える方法を取ってみてはいかがでしょう」と勧めた。

 ご主人も奥さまも「何度も何度もあきらめようとしました。でもモモは私たち夫婦の命の恩人なのです。それを思うとどうしても忘れられないのです」と切り返した。「私たち夫婦は山菜取りが楽しみで、良くモモを連れて山歩きをしたのです。山は怖いもので、何度か道に迷って遭難しそうになった時もあります。モモは私たちのそうした危難をこれまで2回以上にわたって助けてくれたんです。道に迷うとモモだけが先に走ってワンワンとこっちに帰れる道があるんだと報せてくれたものでした。それを思うとどうしてもどうしても不憫で、割り切れなくて」。ご主人も奥さまも目を潤ませた。どうしようもないほどの愛着だった。

 8月26日にモモを大曲市で失って以来、ご主人も奥さまももう数えきれないほど犬を探しに大曲市に通ってきていると言う。見失った若竹町の酒屋さんの近くに自分たち夫婦の匂いが染みついた衣類を置いてモモが戻ってくるのを首を長くして待った日もある。建築業をされているご主人は「来なかった日を数えた方が早いくらいです」と困惑しきった表情だった。市役所やコンビニエンスストア、警察署などとにかく人が集まりそうな場所を歩いてはモモの写真を添えたチラシを貼ってもらい、さらには通行人にさえもそのチラシを配ったと言う。

 大館市から大曲市へは車でも2時間半の距離だ。「もう大曲市内はほとんど分かるくらい歩きましたし、走りました」。そうした近江屋さんたちの犬思いの気持ちが通じてか、モモと言う柴犬は大曲市では中学生でさえも知っているほど有名になっているようだ。それが幸か不幸かモモと言う柴犬は「50万円も100万円もしたらしい」ととんでもない噂にもなっているらしい。近江屋さんは「そんな。本当にただの雑種なんです」と困惑する。とにかく「モモらしい犬を見た」「モモらしい犬が人に連れられて散歩してもらっている」。そのような情報が電話に入るたびにご夫妻は走ってきたと言う。しかし、そうした情報も先月29日を限りにピタリと止み、代わって耳にしたのがケンニチに書かれた柴犬探しの話題だったと言う。藁をもつかみたい思いだったろう。「どうかお願いします。写真を持ってきましたのでもう一度、インターネットで取り上げてもらえませんでしょうか」。ご主人も、奥さまも頭を下げ、懇願した。

 ナツメの実これほども近江屋さん夫妻に愛された柴犬「モモ」。どこをどう歩いているものか。あるいは見知らぬ人に拾われ、新しい人生(犬生)を過ごしているのだろうか。しかし、近江屋さん夫婦も、そして自分もそうは思えなかった。近江屋さんたちの愛情が、柴犬「モモ」のすべての血管にしみ込み、ぬぐってもぬぐっても消えないのではないかと思うのである。もしも見知らぬ家庭に拾われたとしてもモモは空腹を補うことはしても、近江屋さんの愛情を求めて大館市へと向かって走っているのではないかとさえ思う。しかし、もう1カ月半の日々が過ぎた。モモはどうしているだろうか。

 近江屋さんご夫妻を見て思った。このご夫妻はこの1カ月半。一度でも笑ったことはあったろうかと。きっと笑いたくなるような話を聞いても見ても、このご夫妻は笑えなかったろうと。奇跡。神業。なんでもいい。近江屋さん夫妻の下へモモ、帰ってあげて。そう願いたい。

 近江屋さんたちは記者室にモモの写真を置いて午後5時半ごろ帰途に付いた。翌日、聞きたいことがあって近江屋さんの携帯電話を鳴らした。「夕べは何時ごろ自宅に帰りました」。ご主人は「そうですね。家に着いたのは9時ごろでした」。大曲市から角館町に入り、それから西木村の山道を走って阿仁町、比内町、そしてやっと大館だ。ご夫妻は帰りの車中、どんな会話を交わしたものだろうか。多分、未だ帰らぬモモを想って無言の帰宅だったろう。哀れささえ感じた。モモがこの夫妻の元に帰れる日を望みたい。本当に心底からそうしてやりたい。近江屋さんへの連絡先は0186−42−8259、携帯電話は090−312−01943。自宅は大館市出川字下沢岱62。