こちら編集室「レッドバイオリン」(10月20日)

 一日、一日を大切にしたい。そう思って朝、家を出るのだが、取材を終え原稿を書き上げ、ケンニチを更新しているといつの間にか夕方になり、その日一日があっと言う間に過ぎ去っている。寝ころんで“沈思黙考”に耽るどころか、自分の時間さえ取れない多忙な日々だ。だからふり返って「昨日はいったい何をしたっけ」と頭の隅の思考回線をいじっても思い出せないことが多い。「光陰矢の如し」とはよくぞ言ったものだと思う。月日の流れの早さを強く感じるこのごろなのである。

 バイオリニスト・川井郁子さんの存在を知って、その方のCD「レッド・バイオリン」を買い求めたのは8月の暑い盛りだった。このごろ取材で遠くに出かける時はもっぱらその川井さんの演奏するバイオリンを聴いて過ごしているのだが、ふと気がついたらもう10月になっている。

 川井郁子さんと言うバイオリニストの存在を知ったのはある写真週刊誌でだったが、買い求めたのはその川井さんの美しさに一目ぼれしてしまった面もある。大きな瞳、そして顔全体がとても清楚で、バイオリニストと言うよりも女優と言っていいくらいだ。そして記事の中にあった「発売2週間で1万枚突破はクラシックとしては異例」と言ううたい文句にも引かれた。女優のようなと書いたが、川井さんは女優でもあると同時にバイオリニストと言ううらやましい才能と美貌に恵まれた方なのである。

 ナナカマドの実(六郷町の町民の森で)とにかく買い求めた結果は大満足している。「アランフェンス協奏曲」に始まり、アルビノーニの「アダージョ」、ビゼーの歌劇「カルメン」などクラシックの名曲をアレンジしたものと、自作オリジナルの曲を組み合わせたラテン風の世界は何度、聴いても飽きさせない。

 パーカッションやアコーデオン、フルーゲルホーン、それにギター、ピアノなどの楽器との組み合わせで時には悲しいほどやるせなく、時には情熱的に、時には濁流のような激しさで、そして時には細い糸が切れてしまいそうな弱々しさでバイオリンの極限の音の美を聴かせる。繊細で悲しくて、そしてとても美しい。

 川井さんは写真週刊誌のインタビューにこう答えている。「いま、悲しい思いをしている人は多いですよね。でも、悲しみや苦しみはエネルギーがあるから感じる感情だと思うんです。前に向く始まりなので、人びとの悲しみや苦しみと深く共鳴しあえるような音楽でありたいと思うんですよ」と。

 川井郁子さんの音楽とこの言葉を多くの人に聞かせたくて川井さんのCDを紹介したくなった。悲しみや苦しみはエネルギーがあるから感じる感情。前に向く始まりなのだと言う川井さんの言葉は素敵だった。悲しんだり、苦しんだりしている人は、無数にいるだろう。自分もどちらかと言うと傷つきやすい。ちょっとした人の言葉にひどく沈み込んでしまう。でも、そうした悲しみや苦しみも確かにエネルギーがあるから感じる感情だ。そしてそれを何とか乗り越えなければ人は生きていけない。悲しむのも、辛くなるのも前に向かおうとするエネルギーがあるからだろう。

 ケンニチはまだささやかな力しか持っていないが、ケンニチを楽しみにしていて下さっている読者とは喜びも悲しみも怒りも共鳴しあえたらいいなと思っている。ベッドに寝たきりになりながらも常に前向きに生きようとする羽後町の山内峯夫さんに共鳴し、先月、山内さんを訪ねたのも、横手市の横手総合動物病院の村岡登さんたちによる「人と動物のふれあい運動」の取材のため大森町を訪ねたのも、困っている人たちに少しでも元気を与え、役立つ情報を送り届けたかったからだ。

 もう大分なるが先月末、秋田市から女性の読者の訪問を受けた。その前は北京から高橋さん、東京府中市からは神岡町出身の渡部さんの訪問も受けた。そして大館市からは柴犬をなくされて悲しむご夫妻の訪問を受けた。秋田市の女性読者は「伊藤さんにこうして私も含めて会いたいと読者が訪ねて来るのは、きっと伊藤さんはある意味でカウンセラーにもなっているからではないでしょうか。伊藤さんと会うだけでなんか心がなごむ。伊藤さんって、ケンニチを通してそのようなカウンセラー役をなさっていると思うのですよ」とおっしゃられた。その人の優しい目を見て「そうかな・・・。自分なんて聖人君子でもないし、モーゼの十戒だって守れない、いや守ろうとも思わない破戒者なのに」と心の中でつぶやいた。

 訪ねて来て下さった方とはコーヒー程度のお付き合いしか出来ないが、自分を訪ねてきてくれる読者がいるという事を日々の糧とし、喜びとしたい。そう思いながら過ごしている。とにかく一日一日が矢のようなスピードで過ぎていく。山々からは紅葉の便りが聞かれるが、まだそれさえ観に行けないでいる。昨年は八幡平の紅葉を観に行ったが、今年はどうにも行けそうにない。今週の日曜日ならとも思っているが、天気予報を見るとどうもスッキリしない。秋はやはり抜けるような青空の下で燃えるような山の風景を観たい。

 それにしてもこのごろ人恋しい。やはり秋のせいなのか感傷的にさえなる。逢いたいなと思う人がいる。逢えたらいいなと思う。そのように思う人がいることを幸いとしているほうがいいのかもしれない。窓から見える外は雨で濡れている。秋の雨で濡れている。その雨を眺めながら10月20日の午後を一人で過ごし、一人でこの項を書いている。午後3時半。ひっそりとした空気だ。今日も間もなく闇が訪れることだろう。川井郁子さんのCDを聞きながら夢を見ようか。この美しい人のひざ枕で眠る夢でも・・・。ケンニチはこうした破戒願望者なのである。