こちら編集室「恋の歌」

 まだ夜明け前、外へ出たら紫色に染まった西の空に大きな月が皓々と輝いていた。3つの星が逆三角形の位置に座して、その月に従容として従っていた。月は星と共に東山から昇って来ようとする太陽を静かに待っているかのようだった。東山には灰色の雲が帯のように延々と横たわっていた。その雲を次第に淡い黄色に染め、朝の光が射した。

 夜から朝へと引き継ぎを待っていた月が太陽に語った。「やあ。おはよう。どうだったの?。あちらの方は」。太陽は答えた。「いやー。相変わらずドンパチやってたよ。性懲りもなく。人間ってどうしてこうも昔から血を流すのが好きなのか」。月はやや顔を曇らせ「そう。じゃあ、私がこれからその国を照らすと言うことは人間同士の戦いに加担するようなものかしら」と声をひそめた。太陽は「まあ。仕方あるまい。人間が平和の大切さに気づくまで、俺たちは黙って眺めているしかないだろう」とあきらめ顔で語った。そして「ところで、こちらの方はどうだったい」と太陽は尋ねた。月は答えた。「平和そのものでした。一晩中、悲しい恋の歌を聞かされてねー。切ないくらい」。

 太陽は豪快に笑った。「そうか。俺には縁がないな。そういう歌を聴くなんて。何しろ日中から恋の歌もないからねー」。

 月と太陽との引き継ぎの様子を勝手に想像しながら、犬を連れての朝の散歩がこのごろの日課だ。日の出が遅くなり、その分、夜の闇を照らす月の出番も長くなっている。寒さが日増しに厳しく、着込んだ衣類は既に真冬のものとなっている。妻が仕事で遠くに出かけたため4日間も一人で家で過ごした。

 最初の晩は同業他社の記者から声が掛かって、夜の街を歩いたから寂しさも食事の不便もしのいだ。翌日は「湯どうふ」を作って自宅で飲んだ。その翌日も同じ豆腐では飽きるからと、丸い柔らかな豆腐だけを買って前の晩の「湯どうふ」の鍋で温めた。豆腐とレタスとハム。それだけのおかずだった。その翌晩もあれこれ料理を考えたが、レパートリーはやはり豆腐しかないので、残った丸い豆腐を一本、湯で温めてポン?油とネギ、それにカツオ節を振りかけて酒にした。添えたのはやはりレタスとハムだった。結局、3日3晩とも豆腐とレタスとハムだけのエネルギーで過ごした。それでも4日目の最後の晩は冷蔵庫の中から大根の漬け物を出して、少しだけ包丁で切った。

  男たちが燃えた幕末。「豆腐を馬鹿にする者は国を滅ぼす」と朝廷の使者をも大喝したのは日本陸軍の創立者で、戊辰戦争で活躍した大村益次郎だった。大村は「体の大きい外国人と対等に交渉できるようになるためには、日本人も大いに栄養を付けなければならない」との思想を燃やし、毎晩のように酒のサカナには豆腐を取り寄せ、部下にもそれを勧めたものだと言う。だから自分も豆腐、ではないがやはり好きなのである。寒くなったこの時期は「湯どうふ」、夏の暑い時は「冷や奴」。それだけで夜の酒は過ごせる。それにしても4日、実際は4日目の夜遅く妻は出張から帰ったのだが、長期間の留守は酒のおかずで堪える。(とこのような事を書くから、妻には『私はあなたの食事番だけの存在なの』と叱られる)

 出かける前、妻は「あなた。私がいないとやはり寂しい?」といたずらっぽい口調で尋ねた。これがアメリカ人なら照れる事もなく「ああ。寂しい。死ぬほど寂しい。愛してるよ」なんて言えるかもしれないが、もう30年も一緒に暮らした糟糠の妻だ。とてもそのような事は照れくさくて言えない。見送る車中でただ「ああ」とぼやっと言葉を濁しただけだった。「もっとハッキリ言いなさいよ」。妻は追い打ちを掛けたが「ウン」としか言えなかった。映画やテレビに登場するアメリカ人のようなスマートな夫にはなれない。

 日本人は、いや日本語と言うものの会話は昔から愛の言葉を交わすのは苦手なほうなのかもしれない。中にはそれを得意とする男性もいるかもしれないが、こちらは夫婦なんだからお互いの気持ちは口に出さなくても分かるだろうと思っている。それでいて文学では平安の昔から愛の歌、恋の言葉が見事に語られてきた。活字になると日本語の愛の言葉や恋の歌はとても感動させられるし、美しい。万葉集がそうだ。詩もそうだ。小説だってそうだ。

 万葉集と言えばこれまで縁のない世界だったが、読者からケンニチの「表紙の写真とそのコメントにいつもに感動させられてます」と愛の歌2首がメールで送られてきた。1首は表紙にも使っているが「君待つと 我(あ)が恋ひ居れば 我(わ)がやどの 簾(すだれ)動かし 秋の風吹く」だった。

 「あなたのおいでを待って私が恋い慕っていると私の家のすだれを動かして秋の風が吹く」と読者はその意味を解説して下さった。

 そして2首目は「後れ居て 恋ひつつあらずは 追ひ及(し)かむ 道の隅廻(くまみ)に 標(しめ)結(ゆ)へ我が背」だった。「あとに残って恋しがっているくらいなら追いかけて行こう 道の曲がり目に 印をつけておいてくださいあなた」と悲しくも美しい女の情念を燃やす。

 万葉集に触れたのは高校時代の遠い時代となってしまった。この2首を目にしたらなぜかもう少し調べてみたいと図書館に走った。「秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛(こちた)くありとも」の歌もあった。「秋の田の 稲穂がなびいている そのようにひたむきに あなたに寄り添いたい 噂はひどくても」。誰がなんと言おうと私はあなたと添いたい。歌を通じてそう訴えている。平安のいにしえも今も変わらぬ男と女のドラマである。いやあの当時の方が今よりも激しさを感じる。

 そして「ぬばたまの 黒髪変はり 白(しら)けても 痛き恋には あふ時ありけり」の歌にも目が引かれた。「ぬばたまの黒髪が 白髪に変わってもせつない思いに 出逢う
時はあるものです」。男と女。いつの時代でも切ない。

 恋の小説で好きなのは太宰治の「斜陽」だった。主人公のかず子が、弟が「師匠」として仰ぐ妻子のいる作家に恋をし、差し出した手紙ほど自己破壊的なものはない。「もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。私ひとりの力では、とても消す事が出来ないのです。とにかく逢ったら、逢ったら、私が助かります。万葉や源氏物語の頃だったら、私の申し上げているようなこと、何でもない事でしたのに。私の望み。あなたの愛妾になって、あなたの子供の母になる事」。太宰がかず子を通して語らせた愛の言葉ほどすさまじいものはない。

 そしてかず子がその好きな作家で飲んだくれの上原を訪ねる。そのシーンがまたいい。

 「外は深夜の気配だった。風はいくぶんおさまり、空にいっぱい星が光っていた。私たちは、ならんで歩きながら『私、ざこ寝でも何でも、出来ますのに』。上原さんは、眠そうな声で『うん』とだけ言った。『二人っきりに、なりたかったのでせう。そうでせう』。私がさう言って笑ったら、上原さんは『これだから、いやさ』と口をまげて、にが笑ひなさった。私は自分がとても可愛がられている事を、身にしみて意識した」。

 「二人っきりに、なりかったのでしょう。そうでしょう」。

 かず子のこの言葉に女の優しさいとしさを強く感じたものだった。恋した男と女はいつだって二人っきりになりたいものだ。二人でいつまでもどこまででも歩いていたいものなのだ。太宰の「斜陽」は大好きな小説だった。