こちら編集室「指の思い出」(11月24日)

 時々、もの思いに耽ることがある。それも思考と言う迷路に迷い込んで出口を求めてさまようのだが、長いトンネルに入ったように解決の糸口さえ見いだせず、ただイライラを募らせるだけである。そんな時には好きな歌の歌詞に想い耽らせ、気持ちを紛らわせるのがいい。図書館に駆け込んで歌詞を読み、その詞から新しいドラマを想像し、その恋に恋するのもいいだろう。

 歌謡曲ではもう過去のもので「懐かしの名曲」と言う部類に入るだろうが「知りたくないの」という歌があった。菅原洋一さんが歌ったものだが、この歌の気持ちは痛いほどよく分かる。「あなたの過去など知りたくないの」と菅原洋一は良く通った太い声で、この歌を哀愁を込めて歌ったものだった。女心を歌ったものだが、好きな人の過去は知りたいが、知って傷つくのが怖いと思うのは何も女に限ったものでなく、男にだってそうした感情はある。切なさは男女共通するのものなのだ。「あの人のことは忘れてほしい たとえこの私が聞いても言わないで」。好きになった人は昔、どんな人を愛したのか。それを知りたいし、知って傷つくのも怖い。“二律背反”の心の板挟みとなって苦しむのだが、それでも過去のすべてを知って、すべてを受け入れ、すべてを許したい。だが、人間の心はそう簡単にコントロールできない。

 初霜が降りた朝のススキ過去を知ることによって嫉妬心が沸き、愛憎がかきむしられるからだ。それでも今の自分への愛が真実なら「昔の恋は早く忘れて欲しい」と男も女も出会った恋にすがりつく。「今度こそは・・今度こそは偽りのない愛だと思って」と。だから「あの人のことは忘れてほしい」「たとえこの私が聞いても言わないで」と願う。この歌の揺れる恋心が良かった。歌にはドラマがある。

 なぜかこのごろ小椋佳の名曲「少しは私に愛を下さい」の歌心に耽る日が多い。この人の詞は素敵だ。都会的なセンスを感じさせる。もう昔の話だからいいが、強く憧れた年上の女の人に酒の勢いを借りてカウンター越しに「少しは僕に愛を下さい。ひと滴の愛でいいから」と、とんでもない手紙を差し出したことがあった。受け取ったその人は大きな瞳を輝かし、ジーッとその手紙に目を通したのだが、読み終えて彼女の口から出たのは「伊藤さんは私をお母さんだと思っているのでしょう。だからこのような事を書いたのね。困った人」だった。そして彼女は豪快に笑ったが、少しもこちらは傷つかなかった。「いいわよ。あたしの愛をあげるから」。そう言ってこちらの駄々っ子のような甘えを彼女はフォローし、甘受した。見事な恋の手さばきだった。いや口さばきだったというべきか。

 今想えば、彼女の言った通りだったかもしれない。手紙を差し出した駄々っ子は、とんでもない喜劇を演じたことも知らないで、その晩は「大成功したんだ」と大いに自己満足し、夜空に輝く星を眺め、両手を大きく振って、ブラブラと深夜の街を“英雄気分”で歩いたものだった。坂本龍馬。勝海舟。近藤勇。河井継之助。明治維新で活躍した志士たちの名前を諳(そらん)じ、大いに気取って夜の街をブラブラと歩いたものだった。「時には母のない子のように」の歌ではないが、自分はいつだって女性の前では「母のない子のように」でいたいから困ったものである。

 少しは私に愛を下さい
 すべてをあなたに捧げた私だもの
 一度も咲かずに 散ってゆきそうな
 バラが鏡に映っているわ
 少しは私に愛を下さい

 たまには手紙を書いて下さい
 いつでも あなたを想う私だもの
 あなたの心の ほんの片隅に
 私の名前を残してほしいの
 たまには手紙を書いて下さい

 小椋桂のこの歌の歌詞は好きだ。あの時も自分のわがままは分かっていたが、手紙を差し出さずにはいられなかった。「あなたの心のほんの片隅でいいから自分の居場所をおいて置いてほしい」と。彼女に求めた愛は「男としての女としての」愛ではなく、ただ自分への優しさだけがほしかった。その人の心が自分の心に触れてくれるのを願っただけだった。幾つになっても「母のない子のような・・・自分でいたい」。そうした心の弱さ、悲しさ、甘えが残っている。お医者さんでさえ治せない幼児性センチメンタル症候群と言う病気が残っている。

 唐突だが「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で始まる川端康成の小説「雪国」は好きな小説の一つであり、高校生の頃から大切に読んできた。その中にこれから駒子に逢いに行こうとする島村の指の描写がある。

 「もう3時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人指し指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の感触で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと不思議に思いながら」

 そして「あんなことがあったのに、手紙も出さず、会いにも来ず、踊りの型の本など送るという約束も果たさず」だった島村。駒子と再び出会い、二人で部屋に向かって歩きながら、「こいつだけが一番よく君を覚えていたよ」と人指し指だけ延ばした左手の握り拳を、いきなり駒子の目の前に突きつける。

 小説「雪国」では

 「そう?」と、女は彼の指を握るとそのまま離さないで手をひくように階段を上って行き、炬燵(こたつ)の前で手を離すと、彼女はさっと首まで赤くなって、それをごまかすためにあわててまた彼の手を拾いながら「これが覚えていてくれたの?」「右じゃない、こっちだよ」と、女の掌(てのひら)の間から右手を抜いて炬燵に入れると、改めて左の握り拳を出した。彼女はすました顔で「ええ、分かってるわ」。

 この指のシーンが小説「雪国」の中で男女の心の機微を捉えた名セリフとして、映画やテレビドラマでは必ずと言って言いほど登場するのだが、ある著名作家はエッセーを通してその指を分析し、「川端康成は左利きではなかったから、あれは左の人指し指であるはずがない」と言い切った。そして「女を喜ばせる指はこの指でないといけない」とその指を名指しした。さらにそれを詳細に語り続けた。いつも駄文を重ねる自分の文章の勉強にでもなればと読んだエッセーだったが、その作家の悪趣味とも言える分析の結果、川端康成の名作「雪国」はたちまちのうちに卑猥なものに化してしまった。

 「雪国」を舞台とした幻想的な美しさも、高校時代から淡い憧れを抱いて温めてきた駒子への想いも台無しにされてしまった。島村と駒子との「あんなことがあったのに」と抽象的な表現力こそ川端文学の美しさだったし、良さだった。その耽美的な文学をなぜ打ち壊さなければならなかったのか。エッセーを書いた作家が一気に嫌になった。

 女の人の手を握った時に感じる柔らかで甘い感触はいい。「雪国」の島村ではないが、そう言えば自分も差し出されたその人の手を握った時に感じた冷たさ、ビロードのような柔らかさだけはいつまでも覚えているが、顔のイメージはなかなか浮かんで来ず、焦ることがしばしばだ。先日、手を握り交わした美しい人の顔はどこへ行ったのか。想い浮かばない。そして指の感触だけが残っている。その見えない人の指のせいだろうか。「少しは私に愛を下さい」。小椋佳の歌が静かに心に響くこのごろだ。