無意識に昔聞いた音楽のメロディーが耳の奥に流れることがある。仙北町の誘致企業の新工場落成式で、工場を視察中に突然、それが聞こえてきた。メロディーはモーツアルトの「ピアノ協奏曲第21番」の「第2楽章」だった。スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」の主題曲にもなった美しい曲である。映画は貴族出身で、妻子もある陸軍中尉とサーカス団の娘が恋におち、地位も世間も棄てて心中すると言う愛の切なさ、愛の残酷さと美しさを描いたストーリーだったと思う。
モーツアルトのこの曲を聴くにはどうしても「フリードリッヒ・グルダ」のピアノでないと「だめ」と当時、このピアニストに夢中になったものだった。独特の装飾音が「第2楽章」の美しく悲しいメロディーを彩り、縁取ったからだった。ウイーン生まれのグルダというピアニストを知ったのは「レコード芸術」と言うレコード専門の月刊誌でだった。当時はレコード鑑賞が趣味で、休日なら朝から晩までステレオの前に座って、クラシックレコードをかけて聴いたものだった。その月刊誌のレコード評を読んで、フリードリッヒ・グルダと言うピアニストを知り、関心を抱いたものだった。ジャズ界からクラシックの世界に飛び込み、装飾音を取り入れた彼の演奏はクラシックでは邪道だとの批判もあったようだが、何よりも美しい音づくりはこの人をおいてないとの評価も高く一躍、世界の寵児になったものだった。
そのグルダ評を読んで、彼の演奏するレコードを買い求めたものだが、案の定、グルダの演奏するモーツアルトの「ピアノ協奏曲第21番」はそれまでのピアノと違ってとても新鮮で、素敵だった。何より音が良かった。心地よい響きが良かった。そして大好きな第2楽章では泣かせられたものだった。美しいスウェーデンの娘を想い浮かべ、悲しい恋の終末の映像を描いて、涙を流したものだった。
なぜ、取材中の工場視察でモーツアルトの音楽が聴こえてきたのだろう。不思議な思いだった。今はそんなゆとりさえないのに。そう。本当に忙しい。第一、急いでまとめなければならない原稿を控えている。新聞社は12月に入ると「新年号特集」を発行するため分厚い紙面を抱えることになる。毎年のことだが、その一面トップの特集記事が自分の担当になっている。「今年も頼むよ」。編集を担当している上司から頭を下げられ、「来春の知事選の展望でも書いてもらえないか」となった。
それを引き受け、先週の日曜日には図書館で97年春に行われた知事選に関する新聞に目を通した。その年の1月から3月は佐々木喜久治前知事の辞任と県庁の公費乱用、公文書改ざん、カラ出張など県庁批判の見出しが新聞紙面で踊り、出直し知事選に向けての候補者選考の動きを追った記事で埋まっていた。それらの記事に目を通し、ノートにメモを取り、現職の寺田典城知事と自民党推薦で立候補することになった村岡兼幸氏の戦いにスポットを充てる記事をまとめなければならない。それに没頭できるのなら楽だが、書いている合間を見ての取材と原稿にも追われる。音楽どころではないのだ。・・・と思いながらも懐かしい曲が耳に入ったら黙っていられなくなって、夜に本当に久しぶりにグルダの演奏するモーツアルトの「ピアノ協奏曲第21番」を聴いた。相変わらずグルダの演奏するピアノは良かった。
その曲を聴きながら心中に追い込まれるほどの恋って何だろうと想った。妻子を棄て、世間を棄て、好きな女性を抱いて死ぬ。確かにそれも美しく、幸せかもしれないが、残酷すぎないか。一時、一世を風靡した渡辺淳一の小説「失楽園」もやはり妻子を捨て、人妻と心中するまでの過程を描いたものだった。読み終えた後の感想は「やりきれなさ」だけが残った。妻ある男が他の女性を愛し、夫ある女が他の男を愛する。男と女。出会いがあり、もつれ合うこともあろう。もつれた糸がもたらす闇の世界は底知れず深い。苦しみも伴う。だからこそドラマとなり、小説が生れ、映画が生れた。しかし、現実の目から見れば解決の糸口さえ見いだせず、死を選ぶのはやはり悲しい。人を犠牲にして成り立った愛は悲しいし、残酷だ。
だから、そうしたストーリーよりも自分は好きになった娼婦を助けようとサムライと言う地位も名誉も棄て、火災現場に夢中になって駆けつけた幕末の英雄、河井継之助を描いた司馬遼太郎の「峠」や美しい人妻への想いを抱きながら山へ登り、遭難死した若者を描いた井上靖の小説「氷壁」、そして川端康成の「雪国」のような小説が好きだ。特に河井の女に夢中になって走れる男の姿がいい。この人の自分でも「女好き」と自覚しながら、行動する姿が良かった。河井を迎えた娼婦が自分の悲しい身の上を「夕べに源氏を抱き、朝(あした)に平氏を迎える“浮き川竹の勤め”ですから」とあきらめ顔で語った言葉が忘れられない。
とにかく死ななければならない恋なんて悲しい。棄てられた妻子はどうなる。50数年も生きてくるとさすがに映画のストーリーや小説に感動するより、現実を見つめる。30年も連れ添った我が家の小さな「かみさん」の悲しい顔が目に浮かんでくる。人生、それでいい。そのような出会いのない静かで、平和な生活が送りたいし、そうしたい。いや自惚れまい。そんな出会い事態がそもそもあるはずがないではないか。想像を深めながら、ホロリと自分一人で悲しむ恋なら許すと笑った。しかし待てよ。最近、とても美しい人との出会いがあった。ドキドキさせられた。「この人となら・・・」。夢想を描いた。よからぬ想いに耽った。
そう想っていたら自分の「女好き」という病気(?)を心配して「海の深層水」を送って下さった遠方の女性からメールが届いた。「伊藤さん。我が家でもやっと、家族そろって冗談を言って笑える日が来ました。こち編で励まされ、元気を与えられ、嬉しかった。心配してくれてありがとう」とあった。その人の明るい笑顔がよみがえった。悪い病気はすーっとその瞬間、消えた・・・ような気がした。
もう一本、嬉しいメールがあった。大曲を離れて40年以上にもなるという静岡市在住の読者からのメールである。「年を重ねるほど故郷が懐かしく、秋田魁新報を郵送してもらっていたが、1年で講読を止めてしまいました。そしてインターネットで貴紙を知り、故郷・大曲の記事を楽しんでます」とそのメールにはあった。さらに「最近、お悔やみのコーナーが見られません」とも。おかしい。亡くなった方の名前は届け出がある都度、更新し、流しているはずだがと思って確認したら、そのページは読み取れなくなっていた。
先日、田沢湖町の「きたうら花ねっと」に駆けつけ、来年の紙面を海賀孝明さんの手を借りて作ってもらった際にこちらのミスでチェックしていなかったようだ。海賀さんに電話してトラブルはすぐに解決した。遠くの読者は故郷の亡くなった方にさえ気づかっていてくれるのだ。ケンニチは役立っているんだととても嬉しい気分だった。
その海賀さんからまた新しいプレゼントが届いた。「過去の記事」検索のコーナーを海賀さんは新しいページに切り換えて下さったのだ。読者の皆さま。どうぞケンニチの過去の記事のデーターもご利用下さい。書き込みのカ所に調べたいものがあったら、例えば人の名前、あるいは道路なら「道路」と打ち込むだけで道路に関するケンニチの記事が瞬時に見出しと共に現れ、簡単に調べることが出来ます。この膨大なデーターがケンニチの貴重な財産なのです。困った病気に苦しむ「ケンニチ編集っ子」の苦悩や涙もその中には眠っていることでしょう。そしてケンニチが病気で倒れそうになったらそこは武士の情け、いやふくよかな愛で救っていただきたい。ケンニチはその膝の上で眠りたい。
*蛇足だがピアニストのフリードリッヒ・グルダは数年前にも日本に来て演奏会を開いて日本のファンにいつものあの美しいピアノの音で魅了して行っている。1930年生まれだからもう70歳。元気にしておられるだろうか。