続 闘病記から 第8章 5B
病棟15号室
病室でお世話になった優しい先輩達へ。ありがとう!!
病室でお世話になった優しい先輩達・・・・・貴女達は偉大な演出家。そして私は、入院病棟の病室と言う舞台設定で、ひたすら入院患者を演じます。5B
病棟15号室、ひとたびここに入ったら、ありとあらゆる社会的束縛から解放された、天上天下唯我独尊・・・(生老病死を背負ったこの地球上でたった一人の自分)・・・一人の人間としての個の存在があります。
幽霊の 正体みたり 小林さん
嬉しくもあり 悲しくもあり
「病院の怖いはなし」
ゴールデンウイークが近付き、入院経過の良い人達は一時帰宅をするための準備に入り、普段静かな病室(5B病棟15号室)には笑い声が響き、ウキウキした賑やかさが漂っていました。いつも冷静なドクター達でさえ、外出許可を出す時はニコニコ顔なのです。昨日までは連休を特別な行事と思い、自らも帰れると思っていた私の期待は見事に裏切られ、「そんなこと聞かないで下さい、貴女は自分の状態が解っていない・・・」とばかり、黄疸症状のひどかった私に対するM主治医の、その一連の冷静さは変わりませんでした。「貴女に特別など有りません。いまの貴女に外出の許可を出したら、私は医者をやめなきゃいけません・・・」と。
点滴、食事制限、トイレ、洗面所以外歩行禁止の絶対安静、入浴シャンプーは許可がおりるまで駄目、と言う厳しいおまけまでついてである・・・・・。かくして行動半径5メートルという誕生史上経験したことのないほどの、のどかなゴールデンウイークの幕開けとなったのでした。
その人は、連休前日に緊急入院してきました。名は小林さん・・・。埼玉の人でした。連休を利用し御主人の実家である秋田に来たのに着いて間もなく、ひどい下痢が続き、それが血便に変わったところで、病院に来て緊急入院になった人でした。話を聞くと、彼女は全く気の毒でした。楽しいはずの連休が他所の地での入院となり、しかも病院も連休体勢に入っていて検査も出来ず、どこが悪いのか解らないから治療も出来ず、食事をとることさえ出来ない、実に点滴だけで連休を過ごさなければいけない状態だったからである・・・。それなのに、許されないことには彼女が入院したことにホッとして歓迎していた人物が居たのである。6人部屋に一人は淋しい・・・病室にたった一人の病院の夜は怖い・・・と思っていた、外出許可の出なかった15号室の1患者でした。
小林さんは、昨日来たばかりなのにきょうはもう、隣の病室(14号室)の人達と仲良くなっていたりする、とてもきさくな方でした。そして私にもよく言葉をかけてくれました。小林さんのベッドは病室入り口からすぐ左側の位置、わたしのベッドは奥の窓際右にありました。同じ病室でも、横になってカーテンを少しひくとお互いの視界には全然入らない位置なのです。私はその日、乙武洋匡氏の書いた「五体不満足」を読んでいて感動し、涙をながし、何度もティッシュペーパーをとりだしては鼻をかんでいました。すると「モナミさん、何度も鼻をかむなんて風邪をひいたんじゃない・・・気をつけないと・・」。
小林さんが声をかけます。「んんん、大丈夫、大丈夫・・・・・」。困ったことに私は、とてもとても感激屋で涙もろい人間だったのです。
のどかな午後、トナカイのように目と鼻を真っ赤にした私が、トイレにたって14号室の前を通りかかった時、中から小林さんの明るい声がしました。「モナミさんもちょっと寄っていかない?・・・」。私は14号室に入るのは初めてでした。14号室は、15号室に居る人達よりも少し容態の悪い人達が居る、4人部屋です。1人だけ帰宅し加藤さん、泉さん、小川さんの3人
の方が残っていたのでした。自己紹介を終えると、もう何年も前からの知り合いのような親しい感情が湧き、皆いっせいに話し、笑いの渦に囲まれました。病気でここに居ると言うことだけで無く、連休も自宅に帰れなくて、ここで過ごすしかない者同士に共通する親近感でもありました。
検温時間までの30分をとても楽しく、涙を流しながらゲラゲラ笑って14号室をあとにし、又15号室でのゆっくりとのどかな時間が過ぎていきました。
私がここで過ごした時間を後悔するのに、そんなに長い時間はかかりませんでした。時間の経過と共にだんだん、あるひとつの話が私の心の中で大きく大きく広がって、気になりだしたのです。
そのひとつの話とは、ある市立病院で本当に有ったと言う14号室の加藤さんが体験した、怖い怖い実話でした。
加藤さんはこの病院に入院する前、その市立病院に入院していて、そこの同じ病室に30代後半の綺麗な女性がいました。彼女は不治の病(癌)に犯されていて、いつもそのことを同室の人達に嘆いていたと言います。自分がこの若さで死ななければいけないこと、残されるまだ小さい子供達のことなど・・・・・。ある時は笑顔で、ある時は苦しそうに、又ある時は悲しく涙を浮かべて・・・・・毎日毎日、来る日も来る日もこのような状態だったと言いました。ある日とうとう、癌の痛みに耐えられなくなった彼女は、大部屋から個室に移され、加藤さん達は毎日のように彼女を個室に見舞いに行ったのだそうです。そのうち個室から彼女の苦しむ声が一晩中聞こえるようになった時、その人は一人静かに病院の屋上から飛び下り、自らの命を断ったと言う、とても可哀想なお話でした。
ところが、この話はそれで終わりでは無かったのです。その事件があった後、彼女が入院していた病棟には、深夜パタパタパタパタ・・・・・、スリッパで歩く音が聞こえ、でも姿が見えない・・・・病室の前までスリッパの音、そして扉をノックする・・・・・でも誰もいない・・・・・。
ある日、加藤さんが深夜にトイレに行くと、トイレの窓の外に死んだはずの彼女が立っていて、「自分一人は淋しいので加藤さんも一緒に行こう」と、誘うのだそうです。加藤さんは、とても怖かったけど、「私はまだやらなければいけないことがあって、貴女と一緒には行かれない・・」と、しっかりお断りをしたのだと言う。それからは彼女は加藤さんの前には現れなくなった・・・・・・・・と。
私達(私と小林さん)は、溜め息をつきながらこの話を聞き終えました。可哀想な、でも結構よく聞く話なのでした。「わかるねー、そう言うことって現実にあるよねー」と言うのが、私達の感想でした。そう、たとえば映画、「シックス・センス」のように・・・・・・である。
ちょっと寄って、軽い気持ちで聞いて来た市立病院でのこの話が、夕食後あたりから、心の中に大きく大きく広がって気になり始めました。外が暗くなりだすと、改めて病室には小林さんと二人であること、そしてここも、紛れも無く人間(ひと)が死んで行く大きな総合病院で有ることを、認識し始めたのでした。おまけに、消灯後のナースセンターは、ナースの人数が激減することも知っていて、点滴をしているために私は夜中1〜2回トイレに起きていましたし、病院のトイレの窓は夜もあけていることに気がついていました。そう、そういう言う些細なことが、時間の経過と共に私の心の中で、少しずつ、少しずつ恐怖感に変わっていったのです。
でも何故か小林さんには言えなくて、とうとう消灯の時間が来てしまいました。
「今何時だろう・・・」、私はいつものように目が覚めて夜中トイレに向かいます。できれば避けたかったこの時間、目が覚めるのと同時に、昼に聞いたあの病院であった話しが、明確に頭の中によみがえります。
もし目が覚めていたならお誘いしようと心づもりをしながら、静かにそれでもしっかりと、小林さんのベッドを確認しましたが、あいにく小林さんは、スヤスヤ眠っているようでした。おおきな深呼吸をひとつして全身の勇気をふりしぼり廊下に出ます。薄暗い廊下のあたりの様子を伺いましたが人の気配は在りません。急いでトイレに向かいます。私がトイレの入り口に近付いたころ、廊下の私の背後にパタパタパタ・・・とスリッパで歩く音が聞こえました。が、もちろん、もう振り返る勇気などありません。15号室は病棟の端に有り、隣はエレベーター室です。こんな深夜に誰が・・・・・心臓が急にドキドキ脈打ちます。トイレの窓は・・・・・・・・・?やっぱり今日も開いています。私は小走りに急ぐのですが、点滴スタンドはガラガラ音をたてて、ユックリ、ユックリと促します。もう心臓はドキンドキン・・・・・・・・・・・。やっとの思いでトイレのドアを開け、中に入りしばしジーッと耳を傾けます・・・・・。パタパタパタ・・・と、紛れも無いスリッパの音は廊下からトイレに入って来ました。もう心臓は止まりそうなほどパニック・・・・・ドキドキドキンドキン・・・・・・・・・そして私が入っているトイレの前でパタと止まった・・・・・。
「トントン・・・・・・」と、ノックの音。
「ウア?????????????」・・・・・。
私が叫ぶのと、「モナミさん・・・」と呼ぶ小林さんの声は殆ど同時でした。怖い、怖い、幽霊の正体は小林さんだったのです。
実は小林さんも夜が近付くにつれ、「あの話」が怖くなっていたのでした。深夜、小林さんもトイレに行きたかったのですが、一人では怖くて我慢をしていたのだそうです。そこに私が起きたものですからこれ幸いとばかりに、急いで起き上がり私の後を追いかけたのだと言うことでした。でも途中で声をかけたら私が驚くと思い、無言で後を追って来たと言うのです。二人とも目には涙がいっぱいたまっていて(ホッと安心しての涙なのですが・・・・・)、思わずお互いの肩を抱き締めると言うハプニング。
良い年をした女性が二人、深夜病院のトイレで抱き合っているなどと、誰が想像しましょうか・・・・・・・。
昨日まで見知らぬ他人だった小林さんと、深夜トイレの中で抱き合わねば生きていかれないほど、実に病院には「コワーイ話」が沢山あるのでした。
そう、そこのあなた!!、入院の時はくれぐれもお気をつけて・・・
「 自流の歌を詠む(?) 」
小川さんの事があって、私が短歌を詠んでいることを知った同室の人達は、口々に「モナミさん、私にも歌を作って・・・」と言うようになりました。言われるままに私は、「そのことで少しでも病んでいる心が癒されるならと・・・・・」、一人一人の先輩達の優しさを歌に詠みはじめました。
りんどうの 花のようだと 思いけり
さわやかな印象(ひと) あたたかきひと
恥ずかし気 天を仰ぎて うす紅の
菊の花合う 安藤キエさん
いさぎよい 前向きの姿 通じ合う
友に持ちたし 貴女のあかるさ
むらさきの みやこわすれの 花のよう
皆に好かれる 工藤キミさん
聡明(かしこ)さと とても素直な かわいさを
合わせ持つなり あなたの笑顔
目立たずに いつも静かで うつくしき
トルコ桔梗の ような宏子さん
「 こころ 」
体に病を持ち、自分のしたい事を自分が出来ない。例え一時的であっても他人の手を借りなければ生きてゆけないと言う、弱い立場に立たされた人間の心に見えたもの。それはドクターやナースという医療に従事する人達の優しさと大変さであり、普段は感じなかった家族の優しさであり、そして何よりも、辛い気持の日々をじっと見守り、言葉をかけ、苦しくて不安な夜の長さを共に過ごした、同室の病気を持った先輩達の優しさでした。
私がここへ移って(個室から大部屋へ)最初に気が付いた事は、「なんて人間は優しい動物なんだ!!」と言う事でした。この病室に居る人達は、いくら具合が良いと言っても入院加療しなければいけないくらい容態の悪い人達です。それなのに誰に強要されることも無く、本当に自然に自分より具合の悪い人に声をかけ、手を貸すのでした。
弱い立場になり、苦しい時間を共有したもの同士のつながり。それは、夫婦愛、親子愛、兄妹愛、家族愛、恋愛、友情・・・などとはまるで違う・・・たとえ自分とどんなに親しい間柄の人でも、決して解りあうことはないであろうこの気持ち・・・・・。同じ境遇に居合わせ(病気になり、この病室いるということ)、同じ意識を持ち(病気になった身体を健康にしょうとする気持ち)、同じ時間を流れた人間(もの)だけに解りあえる気持ち、共感すると言うことは、まさにこのことかも知れないなどと・・・・・・・・・・・・・・。
「同病相憐れむ」とか「病友」とは、こういう気持ちを解りあえた人間の事なのだと、今まで病気になったことの無かった健康な心にズシンと響きました。
明るく笑顔で言葉をかけてくれた先輩達の優しさ、忘れません。
そしてもう1つ、「人間は最悪の時にでも良くなろうとする生き物」であることも・・・・・・・・・・・。心理学や、宗教や哲学は、「人間は性善説で生きている」と言います。ここで入院加療して居る人達は、例え他から見て、どんなに重病で大変な危機の状態に居る時でも「自分だけは助かる、元気になって病院を出て行くのだ・・・」と、思っていました・・・・・・まさしく性善説で生きている神々しい人間の姿をまざまざと見ることが出来ました。それは、まだ少し今を生き、これからを生きてゆかねばならない私にとって、本当にホッとし安心できた瞬間でした。
2000 12 26 モナミ