こちら編集室「ケンニチのモバイル化」(1月19日)

 秋田県南日々新聞は先週から携帯電話からも記事を送れる「モバイル化」がやっと実現した。ケンニチの発足当時から技術的な面で全面的にお世話になっている田沢湖町の「わらび座『デジタル・アート・ファクトリー』」の海賀孝明さんにケンニチのモバイル化を依頼していたのだが、携帯とパソコンとを結ぶアダプタケーブルを手にした海賀さんが先週、我が家に来てくれて、携帯用のソフトをインストールしてくれたのである。とにかくこのITの世界、パソコン音痴の自分には何一つやるにしても海賀さんや大曲市のmcs(松戸市コンピュータサービス)のお世話にならないと、海の上で漂流する小舟も同然なのである。

 マニュアルを読めばいいのだが、それさえ読む気になれず、仮に読んだとしても自分には理解できない世界だと端から諦めている。とにかくこのケンニチは、技術的な面ではまったくの他力本願で通してきた。大曲市内の電器店でアダプタケーブルを購入してくれた海賀さんは、ちょこちょこっと使用説明書に目を通しただけで「フムフム。なるほど」とうなずき、後は添付されたCD−ROMをパソコンに挿入し、いとも簡単に作業を進め、「伊藤さん。これでもう携帯からケンニチの記事更新もできます」と未知な世界をあっさりと解決してくれた。こちらはまさに“神業”を見る思いなのだが、海賀さんははにかんだ笑顔を見せただけだった。

 ケンニチを更新するためにはFTPと言うソフトに接続し、海賀さんのいる「きたうら花ねっと」のサーバーに更新した表紙の内容と新しい記事を送るのだが、我が家の電話回線を使わずに携帯電話から記事を送れる作業を目にした時はえも言われぬ感動が沸いた。「ああ。これからは電話がなくてもケンニチの記事は送れるんだ」と。実はこのモバイル化は前からの念願だった。ただ携帯電話を使っての作業だけに電話料金が心配だった。しかし、この春に行われる県知事選の取材などでは秋田市に走ることが多く、記者会見の後で大曲市まで帰ってから原稿を書くと言う移動での時間的なロスを埋めるためにもぜひ、取り組みたい手段だった。お金よりもニュースの早さに力を入れたかった。とにかく電源さえあればどこでも記事を書き、その場から新しいニュースを送りたい。報道に携わるものはどうしても早さを追いかけたくなる。そのためにもモバイル化はぜひともやりたかった。

 今年も大雪の様相となってきた。南外村で撮影。海賀さんはさらに「伊藤さん。携帯電話の電話帳はどうしてる?」と聞いた。実はiモードを購入した時は、電話番号の登録を教えられながら数人分までは入れたのだが、その面倒くささについ投げ出して、今は登録方法さえ分からなくなっている。「携帯を使っての電話登録は面倒でしょう。今日、買ったケーブルにはパソコンから携帯電話の電話帳に登録できるソフトも入ってるみたいだよ」と言いながら、その使い方も教えてくれた。そのソフトも使ってみたがとても便利なものだった。ケンニチはこうして海賀さんの手によってまた新しい世界に踏み出した。

 ケンニチのモバイル化宣言に対して読者からは電話料を心配するメールもあった。確かに携帯電話を使っての記事送信は高くつくことだろう。しかし、何と言っても便利さには代え難い。先日も先が見えなくなるような雪の降りっぷりを見て、「これは災害型の雪だな」と直感、県仙北建設事務所に駆けつけて管内の降雪状況を取材した。そして気象台からも大雪警報が出された事も知った。放っておけないナと取材を終えてすぐに親しくしている人の事務所を借りて、原稿を書き、ケンニチに新しい記事を挿入した。しかし、気がついたらそこの事務所からでは電話接続ができない。もう夕方だった。せっかく新しいニュースを入れたのに自宅まで走らないとどうにもならなかった。ジレンマと精神的な負担が重なった。「ああ。携帯電話さえ使えたら」。ケンニチ専用の電話回線がない悔しさがじわりと胸を締めつけた。

 とにかくお金よりも、だれにも縛られず自由に報道する手段を手にしたい。それが念願だった。幸いにもケンニチは広告収入やインターネット関連の仕事で経済的にもいくらか余裕もできた。妻にも事情を話し、これからは携帯電話の料金がかさむことへの理解を求めた。とにかく1カ月、モバイルを使ってみて、その料金を見てからNTTドコモとどのような契約をしたら最も経済的になるものかを検討したい。

 それにしても世の中、高校生も大人もみな携帯だらけである。歩きながら携帯で話し、食堂でそばをすすりながら携帯でメールを確認する。いつでもどこでも友だちや会社とつながっていると言う安心感がそうさせるのかもしれないが、貧乏性の自分はどうしても電話料金が心配になってしまい、むやみやたらに携帯を手にする気にはならない。携帯から電話をかけるくらいなら公衆電話を見つけ、そちらの方に走ってしまう。貧乏性。親から受け継いだこの血は変えようがない。

 携帯と同時にもう一つ変わったのがある。それは車だ。会社と自宅を往復する移動時間が多くなったため、少しでもガソリン代の節約につながればと妻の車である軽四輪乗用車に最近、乗り始めたのである。最初は「軽なんて」とバカにしていたのだが、雪道を橋ってその安定性の良さに感心するばかりである。自分の車は後輪駆動だけに雪道になると後ろのタイヤがスリップし、冷や冷やしながらの運転である。ところが妻の車は四輪駆動。どんなに路面が凍っていても安定しながら走り出すのである。軽も恐るべし、とその性能の良さに感心するこのごろだ。とにかくこの冬は軽の足に頼り、乗り切りたいと思っている。

 しかし、ケンニチは相変わらず見栄っ張りである。春を迎え、雪が姿を消したら再びBMWのハンドルを握りたい。何しろ、ケンニチの編集っ子はゆとりもないのに車だけはいいものに乗りたいと言う子どものような願望が昔からあった。しかも、車に乗り出してからの夢はドイツのスポーツカー「ポルシュ」の購入だった。だったと書いたが、もう諦めているからだ。1000万円を超えるこの車、本気で欲しくてカタログを取り寄せたことさえある。諦めたのは年齢的にももうポルシェのようなスピードの出る車は運転が無理だからと思ったからだ。

 とにかく軽を見直し、軽の足に頼っての取材活動となっている。16日にはその軽で横手市に走った。長崎市に本部がある「コスモス文学賞」の新人賞を受賞した大橋尚子さんの取材があったからだ。2年前の12月暮れ、6歳になる長女を病気で失うという悲しい体験をされた大橋さんはその娘の短い生涯を形に残したいとペンを執り、「愛しい人」と題して随筆にしたのである。その随筆が新人賞に輝いた。コスモス文学の会からその受賞作が掲載された本が送られてきたことから、大橋さんに取材を申し込んだ。大橋さんもパソコンは未知の世界とかで、パソコンは自宅にあるがインターネットに夢中になっているのはご主人ばかりでご本人は見ることがないとのことだった。それでも「主人が帰ったら県南日々新聞を見せてもらいます」と快く取材申し込みを受けてくれた。

 その翌朝、大橋さん宅に駆けつけ、悲しい体験を乗り越えて娘さんの死を文学の形として残した大橋さんの話を聞いた。取材を終えて、インターネットの話に飛んだら、大橋さんはキラキラと目を輝かし「夕べ初めて県南日々新聞を見せてもらいました。すごいアクセス数なんですね。内容にも驚きました」と嬉しいおほめの言葉を頂くと同時に大橋さんから「あのー。私も文化欄に何かを書きたいのですが、いかがでしょうか」と思わぬ協力話となった。

 コスモス文学賞で新人賞を受賞するような方がケンニチで文筆活動をしたい。とても名誉な話にこちらは「ええ。お願いします」と小躍りした。大橋さんは「書いているのが好きなんです。ケンニチの温かい内容が気に入りました」とまで言って下さった。取材してこのように読者とのつながりが増えていく。ケンニチは年の始めにまた一つ、大きな幸せを頂いた。こちらは大橋さんに「とてもまだ原稿料を差し上げられるような新聞ではないだけに、どうか書いて頂けるとしたら楽しみながら書くという方向でお願いします」と頭を下げた。大橋さんも「お金とか何かとかではないの。ケンニチを見て、この新聞に私も参加したいと言う気持ちになったのですから」と美しい目を輝かせた。

 お子さまを亡くした悲しみは、まだまだ重いしこりとして大橋さんの胸を締めつけていることだろう。取材中はほとんど笑顔を見せることのなかった大橋さん。それがインターネット新聞に原稿を書きたいとのお話しになったら幾分、表情も柔らかくなり、慎ましい笑顔さえ見せた。大橋さんは「私も主人から教えられて、パソコン操作も覚えようと思います。書き上げた原稿はあるいは主人からメールに書き直してもらってから送るかもしれませんが、いずれは自分で直接、送れるようにもしたい」。大橋さんは娘さんを失った悲しみは悲しみとして受け止め、自身の生きる新しい道を求めようとしているようだった。大橋さんの登場を心待ちしたい。