走らなければいけない。そろそろ表紙の写真も更新しないと季節にそぐわなくなる。そんなあせりがあったが、先週22日の大曲市の中心商店街の火災、さらには大曲市役所職員の手続きミスによる1500万円もの公金の無駄な出費などが重なって表紙写真の更新は先のばしとなっていた。
商店街の火災は自宅にいて知った。次の「こちら編集室」の執筆に向かっていたら、携帯電話が鳴った。会社からだった。「駅前商店街で火災が発生した。写真は高橋君が撮りに走ったので取材を頼む」。「大きいんですか」。「ああ。かなりの被害になりそうだ。締め切りは2時間でも3時間でも伸ばすから取材を頼む」。
電話を切って、大急ぎでパソコンを車に積んで現場に向かった。火災現場の取材に向かうにはまず車の置き場所を考えることが大事だ。出来るだけ現場に近づきたいのはやまやまだが、下手に現場近くに向かおうとすると渋滞に巻き込まれ、二進も三進(にっちもさっち)もいかなくなる。
自宅から火災現場までは8キロほどの距離だった。走りながら駐車場所を考えた。街の方向を見ると黒い煙が立ちのぼっていた。車は市街地に入った。消防車がサイレンを鳴らし、追い越した。仙南村からの車だった。「あんな所からも消防車が来るとは。かなり大きな火事になるな」。そう直感した。フロントガラスから駅前の方を眺めるとモクモクと黒い煙が西から東へと流れていた。須和町の「大川寺」前の交差点を抜け、丸子川の橋を渡ると現場は眼と鼻の先の距離である。しかし、橋の向こうは案の定、車はストップされているようだ。橋の手前で左折して「青少年ホーム」前の駐車場に車を置いて、カメラを肩に現場へと走った。
現場は大勢の野次馬でごった返していた。燃え盛る火元の理容店の前に1台の消防車が置かれ、消防士たちが懸命に消火活動に取りかかっていた。火は既に右隣の洋品店に延焼し、さらに左隣のカメラ店にも延焼しようとしていた。次々と消防車が駆けつけ、放水作業が始まる中、被災店からの荷物の運び出しも始まった。顔を青く染めて商品などの荷物運びをする人たちの姿をカメラに収めるのは気が引けたが、とにかくこちらは火事と言う現場を記録しなければならない。シャッターを切り、いつでも原稿を書けるよう現場の様子を目に焼き込んだ。普通の火災なら燃えている最中でも火元の店や住宅の大きさ、経営者の名前、延焼した店の経営者・・・など情報が次々と入って来るものなのだが、今回の火災では情報はまるでなしのつぶてだ。火災現場の裏手へ回った。わずかな空き地は屋根から下ろした雪が山となり、ホースを手に消火作業に駆けつける消防士、消防団の足を阻み、転倒する。その度にホースはとんでもない方向へ向けられ、水が飛ぶ。その水をかけられて全身ずぶ濡れになる消防士、消防団もいた。それでも現場を離れず炎と戦う姿があった。その義務感、責任感の強さに感動した。
午後1時34分の火災発生だった。なのにもう3時を過ぎている。火の手は一向に緩まず次々と広がる。被害情報はまるで入って来ない。それに寒さも身に染みる。向かいのスーパー「グランマートタカヤナギ」に寒さしのぎに飛び込み、携帯電話で消防本部に問い合わせした。「今はただ消火するだけで、状況調査はこれからです。記者さんは今、現場ですか」「ああ。現場だよ」「状況はどうでしょうか」。逆取材を受ける立場となってしまった。仕方ない。再び現場に走ったがただオロオロするしかなかった。
4時半近くになってやっと鎮火の報告が出た。現場のあちこちを探し回って5時近くに消防署の幹部職員をつかまえ、「頼むから被害状況を教えてもらえないか」。「まだ詳細な状況は掌握してませんが、オーイ、○○君。こちらの記者さんに現時点での被害状況を教えてやってくれ」。若い消防士は「分かりました」とノートを取り出した。「済まん。もう手がかじかんでここではペンさえ取れない。どこか落ち着ける場所を提供してもらえないか」。「ああ。そうですね。どうぞこちらへ」。案内されたのは救急車の中だった。エンジンがかけっぱなしだったため、幾分、体が温まった。その中で被害状況を聴き、メモに録って、会社に駆けつけた。午後6時近くになっていた。会社では編集長らが「ご苦労さん。寒くて大変だったろう」とねぎらいながらも、「原稿の方を早めに」と急かす。当然だ。いつもならとっくに新聞印刷が始まっている時間帯だ。急いで原稿を書き上げ、終えたのは午後7時近くだった。その場ですぐにケンニチにも記事を突っ込み、やっと長い1日が終えた。
家に帰ったらコートも背広も火の粉を受けてきな臭くなっていた。火災現場をウロウロしながら、何度も煙をまともに被った。痰を吐き出したら真っ黒に汚れていた。「もうこのコート、臭くて着れないね」と妻にぼやいた。「クリーニングに出してみたら」。妻はコートを手に向かいのクリーニング屋に走った。背広も少し臭ったが、こちらはタンスに入れないで2?3日、どこかに架けて置いたら消えるかもしれないと妻は5畳の洋室に運んだ。「火事の取材、コート1着の被害か」。そんなことをつぶやきながら、風呂に飛び込んだ。
翌朝も火災現場に走った。焼けただれた建物は真っ黒に汚れ、悲惨な状態だった。夕方までに火災原因が判明し、その記事をケンニチに突っ込んだ。消防署員からは「消火が遅いなど、いろいろと批判の声も聞かれましたが、人命救助のため初期消火が遅れたと書いて下さった伊藤さんの記事を見てホッとしました。ありがとう」とお礼も言われた。「そう。良かったね」。こちらもそうした感謝の声を受けると何より嬉しい。
とにかく火災原因も判明し、これであの喧騒も一段落し、後は普段どおりの日常生活に戻れると思ったら25日の魁朝刊でとんでもない大曲市役所のミスによる公費の無駄な出費がスクープされていた。記事は市側の怠慢によるミスを厳しく突いていたが、こちらは1500万円ものお金を無駄にしておきながら、議会全員協議会でその経緯は報告したものの、議会という公式な場を通じて市民に釈明も謝罪もせず、議会もその責任を追及すると言う問題意識もないまま半年近くも闇に放り込んでおいた事実に無性に腹が立った。
その隠し事をした市役所の責任とそれに追従した議会の馴れ合いにスポットを当て取材を開始しようと、朝一番にまず議会代表である議長宅に駆けつけた。議長は突然の訪問に戸惑いの顔を見せたが、言うべきことは言いたかった。「おかしいじゃないですか。1500万円もの公金を無駄にしておきながら、議会はその責任の追及さえ怠った。これだけの金額を無駄にしておきながら、トップの責任さえ問えない。議会は当局のチェック機関という責任を放棄したんではないですか」。
「そう言われればその通りなのだが」と議長は口を濁し、「とにかくこれから市役所へ行って議会としてどう対応するか副議長とも相談したい」。議長宅からほかの議員宅を回り、そして市内の宅地開発業者を訪ね、宅地開発に関するレクチャーを受け、取材のための知識を頭に叩きつけた。その足で市役所都市計画課に向かった。
「今回の問題での取材は秘書課が窓口となってます。そちらの方でお願いしたい」。市役所ではすでに報道陣への対応をどうするかで態勢を整えていたようだ。総務部長、建設部長が呼び出され、目の前に座った。そして経緯説明を受けた。「今度の問題、最終的に市民に謝罪も釈明もしなかった市長に一番の責任があり、口をつぐんだ議会にも問題があります。ミスはだれにだってあります。それを批判する気持ちはありません。その時点で市が議会でミスを認め、市民に釈明していたらこんな騒ぎにはならなかったでしょう。あなたたち事務屋に怒りをぶっつけてもしょうがないが、市民に事がバレなければいいだろうと言う認識に立ったこの市役所の不健康な体質が問題なんです」。二人はかしこまった表情で黙っていた。
新聞記者は行政の不正とは戦わなければならない。そして市民の視線に立って問題を整理し、それを記事にしなければならない。職員のミスによる公費の無駄な出費を書いた記事はその日の夕方までにケンニチに流れた。コピーが次々と市職員の間に渡った。幹部職員からは「隠すつもりはなかった」との釈明も聞かれた。隠すつもりはなかったのに半年近くも闇に閉ざしていたとは不思議な社会だと思った。1月31日までに明らかになったように、いずれ市長ら3役が責任を取って減給などの処分をすることになった。しかし、本当の意味の信頼回復までには時間がかかるだろう。
とにかく新聞記者は行政の不正とは戦わなければならない。そんな事を思いながら、雪の晴れ間、六郷町から千畑町、太田町、仙北町へと走った。市役所とは昨年暮れ以来、わだかまるものがあった。しかし、今度の公費問題、その感情を記事にぶつけただろうか。車のハンドルを握りながら自問自答した。どちらかと言うと相手を批判する記事を書くのは苦手だ。しかし、市民や生活者の立場に立った視線は大事にしたい。その目から見ると今度の場合はどう考えてもおかしい。税金から出した1500万円もの無駄な出費を謝罪もせず、一般会計の補正予算で処理し、「手続きは間違ってなかった」とまで言い切った幹部職員の感覚はどう考えてもおかしい。それこそ市民感情からかけ離れた認識ではなかったろうか。その意味でも自分の判断は間違いではなかったと言い聞かせた。
その翌日、食堂で会った読者から「伊藤さん。とても分かりやすい内容の記事でした。そしてありがとう」と声を掛けられた。その一言がとても大きな力となった。
空は青空が広がり、とても気持ちのいいドライブとなった。雪道が不安だったが、除雪能力も一段と高まったのだろう。どの町村を走っても青空の広がったその日は道路に雪はなく、アスファルトがむき出しとなって快適に走れた。走りながら雪景色の美しさに感動した。
千畑町では白い、とても美しい山に出会えた。山の名前が分からなかったため、千畑スキー場でゴンドラに乗って頂上までの散策を楽しんだ後、太田町役場に寄った。役場職員から笑顔の歓迎を受け、デジカメの中に収録された山の写真を見せた。「ああ。これなら真昼岳ですね」。山に詳しい職員は山の名前をあて、「いい山でしょう」とまるで自分の家の庭を褒めるように写真を見つめ、目を細めた。私たち報道に生きるものは時には戦うことも必要だが、一人ひとりとの出会いは大切にしたい。郡内の町村役場を訪問し、その温かく素朴な人柄に触れ、このような仕事に就けた喜びをしみじみと味わった。
あの雪晴れの日のドライブから今日は一転して吹雪空である。2月2日。白い悪魔が微笑み、牙をむき出しにして笑っているようだ。用事があって角間川町から大川橋を渡って国道105号を走った。激しい吹雪で先が見えない。対向車の姿さえハッキリしない。思わずブレーキをかけて車を停めようかと思ったが、下手にストップすると追突される危険も大きい。とにかくスピードを落とし、歩くようなスピードで走った。相変わらず妻の軽四輪乗用車に頼っているが、吹雪の日はどんな車だって怖い。大曲署に問い合わせたら朝から7件ものスリップ事故が起きていると言う。とにかく無事に会社までたどり着いた。
長かった1月である。我慢の一カ月でもあった。そして2月を迎えた。今月10日には西木村で紙風船揚げがある。昨年のこの日はケンニチのアクセス数25万ヒットを祝って海外も含めた61人もの方々から寄せられた19万1000円もの寄付によって「秋田県南日々新聞」の名前と自分のイラスト、それに寄付して下さった人全員の名前が描かれた紙風船が3個も夜空に揚がった。今年はその催しを企画して下さった「あきたNEWS」のshizukoさんの呼びかけで、再び西木村で会うことになっている。お祭りを通して、そしてshizukoさんファンとの出会いを通して、ケンニチにとってもより明るい2001年を期待したい。ケンニチは今日で43万6000件を超えた。年内には待望の50万ヒットも記録されるだろう。