西木村での紙風船上げを楽しんだ翌朝の12日、中仙町の「ジャスコ」に寄った。家に帰ってからのお昼の食材を買い求めようとしたのだが、妻が買い物をしている間にこちらは店内の植木市に寄って「木瓜(ボケ)」の鉢植えを1個、買い求めた。実はこのような鉢植えものを自分で購入するのは初めての経験である。盆栽とか鉢植えの草花をいじったり、鑑賞したりするのはお年寄りの領域とばかりにこれまで関心を持ったことはなかったからだ。なのにその日は赤や白い小さな芽を付けて、今にも咲きそうな木瓜の木を見ていたら無性に欲しくなって店員を呼び止めてしまった。1鉢980円だった。
鉢植えの花と言うか木をいじった経験のない自分は「これ、暖房の効いた居間に置いても大丈夫なの?」と尋ねた。出来れば居間で、花が咲いていく姿を眺めたかった。だが、店員は「居間でも大丈夫ですが、花が咲いてから長く楽しんでもらうには少し寒い玄関が適当かもしれませんよ。ただ凍らせてはなんにもなりませんが」とのことだった。30数鉢も展示されてあったろうか。赤と白の2種類があった。どちらかと言うと白い花が好きだったが、枝振りを慎重に見定め、赤い花を買い求めた。
きっと春を呼びたかったのかもしれない。家の外は相変わらずの真っ白な雪の世界である。直径20センチほどの小さな鉢から天を目指して伸びた高さ15センチほどの木から芽吹いた30個ほどの赤い小さな芽が真っ赤な花を咲かせたら、我が家にも小さくて可憐な春がいち早く訪れることだろう。そんなことを思い浮かべながら木瓜の鉢を手にした。毎朝、毎夕、玄関から勝手口の雪寄せが続いている。さらに土曜、日曜日には裏に回って屋根から落ちた雪の山を取り除く作業もある。雪との格闘の憂さをせめて玄関に咲く木瓜の花で慰めたかった。
スーパーでの買い物を終えた妻を呼んで、「これを買ったよ。玄関に置くから」と言いながら、「今度はお互い失敗しないように気を付けようよ」と言い含めた。これまでいろんな鉢植えの草花や樹木を買い求めたり、よそ様から頂いては玄関に飾ったが、いつも水をやり過ぎたり凍らせて短命の内に終わらせてしまっている。草木を育てるのは下手な我が家である。買い求めた鉢植えの木瓜を手に「店員の話だと土が乾いた時点で水をやれば言いそうだから」と自分で初めて買い求めた鉢植えの木に愛着を込めた。
玄関には「少し緑が欲しいね」と買い求めた鑑賞用の竹や鉢植えの木もある。それに黄色いバラの花の造花も飾ってある。そして「葉子」と名付けたブロンズの少女像もある。日中はだれも居ない我が家だけに、仕事から帰ってこれらの花やブロンズ像を見ると「ああ。我が家に帰った」とホッとする。そこへ新しく参入した木瓜の花。赤く膨らみだした芽は今にもパチンと弾けそうだ。花が咲いたら写真でも撮って、春を楽しもうと思っている。
それにしても今年も昨年暮れの長期天気予報の「暖冬」の予測を裏切って大雪の年となってしまった。地球温暖化が叫ばれて久しい。温暖化なら日本海側に降る雪の量も少しは減るかと期待したのだが、昨年に続いての大雪だ。我が家ではとうとうこらえきれずに今月始めに屋根の雪下ろしをしてもらった。よその家では既に2回から、多い所で3回目の雪下ろしだから大分、我慢しての雪下ろしだった。雪国では屋根に雪を上げたままで過ごすと「ひやみこき」とか「だらしない」と陰口を叩かれる。今冬も隣近所では1月中に屋根の雪下ろしが終わっていると言うのに我が家では「まだ大丈夫。まだ大丈夫だろう」と屋根の雪を見上げながら根比べをしてきた。だが、その後も延々と続く降雪にとうとう我慢しきれなくなって住宅会社に雪下ろしを依頼した。
自分で屋根に上がって下ろしたらいいのだが、今の住宅を建てている際に一度、大工さんたちの後を追ってはしごを登りかけ、途中で下を向いたらとんでもない高さに驚き、とうとう屋根には上がれないでしまった。高所恐怖症なのである。元々、2階建ての家に生れ、高い屋根に上がるのに慣れていたら高さに対する抵抗感もついたろうが、改築前の自宅も平屋建てだった。戦前に建てられたそのころの住宅は土間に基礎用の石を置き、それに柱を建てただけだったので同じ平屋建てでも今の家に比べると高さが全然、違う。昔の家だったら自分ではしごをかけ、屋根に上がって雪下ろしをしたものだった。だが、今の家はとても屋根に上がる気にはならない。
雪下ろしを依頼すると1回で5?6万円の出費は覚悟しなければならない。屋根を見上げるとそれほど上がっているようには見えなかったが、雪下ろしに来て下さった4人の大工さんたちの話では「結構な量だった」と昼休み中に話して聞かせた。改築前の家だったら屋根に30センチも積もると障子の開け閉めが出来なくなって、それが雪下ろしのバロメーターとなっていたものだが、今の住宅はそうした兆しはまったく見せない。その強さもあって、つい雪下ろしの依頼もおろそかになってしまう。
前回もこの欄で書いたが春、子どものころは雪解けのころになると屋根に上がって川向かいの映画館を眺めながら、スピーカーから流れてくる石原裕次郎や小林旭の歌を聞きながら日向ぼっこを楽しんだものだった。お昼には当時、やっと出回りだしたお湯を入れるだけで食べられる即席ラーメンを口にしながら裕次郎やアキラの歌に聞きほれたものだった。屋根に上がるためのはしごも要らなかった。屋根から下ろした雪が屋根までつかえていたからだ。ポカポカと春めいた陽射しを受けながら屋根に上がって両膝を抱いて、即席ラーメンを食べながら、裕次郎やアキラの映画の世界に夢を馳せ、彼らの格好よさにただ憧れたものだった。
あんな不良っぽい人生を歩みたい。中学生のころはそんな願望も持った。彼らのまねをし、ブラブラと肩を怒らし、ボクシングの練習に打ち込んだこともあった。近くにある横手川沿いの杉林の中を走り込み、足のバネを鍛え、両拳を勢い良く前に突きつけ、仮想のケンカ相手を殴るまねをしては一人意気込んだものだった。しかし、体を鍛えようとしてもどちらかと言うと運動嫌いな自分はそんな無意味な時間潰しにすぐ飽きて、自宅で漫画や小説を読んで過ごす時間が長かった。特に手塚治虫の「鉄腕アトム」は心を発散させ、夢中で読みふけったものだった。治虫は「鉄腕アトム」を通して、あのころの子どもたちに人を差別することがいかに相手の人格を傷つけることになるかを教えようとした。今、思い返しても素晴らしい内容だったし、絵も素敵だった。
小説は活字を通じて主人公の苦悩を語り、喜びや悲しみを語ってくれた。中学、高校生のころから口が重く、自分自身の思いをうまく伝えられなかった自分は、背後に自分に代わって語ってくれる作家のような代弁者が居て、自分の心の中を分析し、解説してくれたらどんなに楽だろうと小説の世界に没頭した。その趣味は今も続いている。いやなことは本の世界に没頭し、早く忘れようと手にした司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は全3巻の長編小説だった。昨年暮れから読み出し、やっと今月始めに読了した。この小説の世界に勇気と生きがいと言う“心の薬”を求めた。「竜馬がゆく」は3度目の出会いだった。
小説と付き合っているといろんな言葉を学ぶ。蓬頭垢面(ほうとうくめん)はよもぎのように乱れたぼさぼさ頭と、垢で汚れた顔を言う。外観を気にかけない無精を例えたものだが、司馬遼太郎は竜馬をこの熟語で表現した。まさにこの言葉こそ竜馬にピッタリだった。「アメリカでは大統領と言うものが娘っこの生活を心配する。おれはそう言う国を造りたい」と竜馬は民衆を主人公とした国を目指した。風呂に入るのも嫌い、顔を洗うと言う習慣さえ持たなかった。それでいて何度も書いてきたが竜馬ほど女性に愛された歴史上の人物はいないだろう。土佐藩の家老の娘お田鶴さまの言葉を借りれば「まったく眼が話せない坊や」の竜馬は「蓬頭垢面」、「櫛風沐雨(しっぷうもくう)」のまま司馬遼太郎のペンの力によって私たちの心に天を駆け抜ける竜のような強烈な印象を残させた。光彩陸離としたその生きざまは大きな勇気を読むものに与えた。
ジャスコで買い求めた木瓜の花はささやかな春の喜びを我が家に運んできた。真っ赤な芽は間もなく弾け、可憐な花を咲かせるだろう。こうした小さなものから与えられる喜びもあるんだなと玄関に飾った木瓜の花を眺めている。それにしても雪の日々が続く。