日曜日の18日、雨が降った。年が明けてから雨が降ったのは初めてだった。カレンダーを見たら「雨水(うすい)」とあった。辞書を調べたら「24節気の一つで、雪が雨に変わり、氷が解けて水になるころ」とあった。そのカレンダー通りの雨となった。季節は確実に春に向かっていると思った。昼の明るい時間も長くなり、少しでも太陽が顔を出すとポカポカと空気は温まる。とにかく雪が雨に変わった。冬の雨は雪道をシャーベット状にし、靴のつま先まで水分がしみ込み、やっかいだが日曜日の雨だけは嬉しかった。「これで寒さも一段落するだろう」。しとしとと降る雨を見つめながら、日曜日の朝はグシャグシャに融け出した玄関前の雪寄せをした。木瓜(ぼけ)の花も一輪だけ、日曜日の夕方までに咲いた。赤い花かと思っていたら、花びらの外側だけが赤いだけで、白い可憐な花だった。白い花は好きだ。透明な美しさがある。雨と同時に木瓜の花も春を運んできた。
24節気では2月4日の「立春」、そして18日の「雨水」、3月5日の「啓蟄」、20日の「春分」、そして4月5日の「清明」、さらに20日の「穀雨」と続く。いずれ冬ごもりしている虫がはい出る「啓蟄」、そして「春分」が過ぎないと本格的な春の訪れにはならないだろうが、とにかくこの冬も峠を越したとホッと一息つけた日曜日だった。そうしたこともあって、その日は「そばを食べに行こう」と妻を誘って横手市に走った。そば、ラーメンが大好きなのである。特に横手市の「水車」と言うそば屋さんのざるそばは大好きで、30年近いお付き合いとなっている。週刊文春の「うまい店見つけた」で紹介されたと言うのがこの店の自慢で、いつ行ってもお客さんでいっぱいだ。
読者が遠くから訪ねて来た時もこの店へは案内している。大曲市の悪口を書くつもりはないが、市内にはこうしたお客さんをお昼時に案内し、喜んでもらえそうな店はない。その点、横手市とその近辺にはラーメンでもそばでも、安心して案内できる店がある。だれを連れて行っても喜んで食べてもらえるからだ。いつだったか、相手には失礼だが五歳年上だけで女性と言うよりも「母」のような慈しみと憧れを持って接していたクラブのママさんを案内したのもこの「水車」だった。
その日は風邪気味だったが、ママさんには風邪であることを隠してのドライブだった。風邪を引いていることが相手に知られたら「会ってもらえない」との不安が先走って、風邪であることを黙っていた。今でもそうだが、自分はこの人を前にするとお酒が入っても子どものように小さくなってしまう。弱いのである。同年代、あるいは年下の女の人たちだったら、隣に座ってお酒を勧められても結構、冗談を言い、軽口も叩いてはしゃげるのだが、このママさんを前にするとお酒を飲んでいても緊張してしまう。50代に入ってもカサブランカの花のような華麗さを失わず「伊藤さんは子どものようね」と言われと小さくなってしまうのだ。
とにかく風邪を隠してのそば屋さん行きだった。その日も小雪が舞い、底冷えする寒い日だった。案の定、店に入ってからたまらないほど寒けが襲ってきた。その寒さをしのごうとざるそばではなく温かい「天ぷらそば」を注文して体の内部から温めようとしたのだが、だめだった。「ママ。寒い」。とうとう悲鳴のような声を出してしまった。ママさんは顔色を変えて「伊藤さん。風邪を引いているのね。さっきから元気がないなと思っていたら風邪だったんだ。それなのに無理をして・・・」と低く、静かな声で自分の不注意を叱った。叱っても声には優しさがこもっていた。ママさんは立ち上がって脱いだコートを自分の背に羽織らせ、「とにかく早く家に帰って眠りなさい。無理しちゃだめだからね」と声を湿らせた。
ママさんはひと目もはばからず自分の背を抱くようにして、車に急がせた。「ごめん。ごめん。ママに会いたくて、どうしても会いたくて風邪を隠していたんだ」。「もうあなたって、いつもそうやって私を心配させるから。でも車、運転できるの?。私が代わろうか」。「まだ大丈夫だよ」。車内の暖房を上げ、コートを着たままの運転だったが、幸せ気分は変わらなかった。
「ママ。『遣らずの雨』って歌あるでしょう」「ウン。知ってるよ。どうしたの?」。「その雨なんだけど、あれってね好きな人を帰さたくない雨であるかのように激しく降って来る雨なんだって。今の雪がそんなふうに降ってもらいたい。ママが帰られなくなるほど強く降ってもらいたい」。甘えたかったのだろう。風邪で辛かったのにもかかわらず、そんなセリフが口から飛び出した。「伊藤ちゃんはそんなことばっかり言って困らせるから」。ママの手が自然に自分の手に伸びてきた。
歌の題名も歌手も忘れたが「例えひと汽車遅れても すぐに別れは来るものを わーざと遅らす 時計の針を 女心ーのせつーなさーよ」と言う歌があったが、あのころはママと出会うと「時計の針」を遅らせて、別れの時間も遅らせたかった。風邪を我慢してでも会いたかった。そんな切なさがあった。恋とはいつでもそうしたものかもしれない。
「ママが好きです」と言ったのは自分からだった。「伊藤さんは私のことをお母さんだと思っているのでしょう」と呆れたのはママさんだった。それで良かった。会ってコーヒーを飲み、ケーキを注文しては自分で口にしたスプーンにケーキを乗せては「はい、伊藤ちゃん。間接キッスよ」と明るく、妖艶な笑顔を見せた。そこには「選ばれてあるものの恍惚と不安」があった。ママと会える恍惚、いつかは別れが切り出される不安。その狭間で心はいつも揺れた。
それは間もなく来た。たったそれだけの関係でも世間では「不倫」と決めつけたのだろう。自分には後ろめたさはまるでなかったが、その人の耳にはさまざまな声が届くようになった。こちらはただその人のそばに居て、話をしているだけで幸せだった。それ以上もそれ以下も望んだ関係ではなかった。その後、ママさんはいわゆる世間の目を気にして自分から遠ざかるようになり、こちらも女々しい行動は取るまいとあきらめた。その喪失感を埋め、悲しみと寂しさから逃れようとパソコンと言う新しい世界に飛び込み、それに夢中になった。それが「秋田県南日々新聞」誕生へとつながったから、人生は面白い。
日曜日の雨の日から秋田は急速に春に向かっているようだ。雪はその後、一度も降らず昨日22日は快晴に恵まれた。屋根にへばりついていた氷柱もその温かさで落ち、屋根の雪も消えた。そして「木瓜の花」も1輪から2輪、3輪と蕾を開かせている。木瓜の花が小さな春を呼んでいる。つい昨日まで毎日の雪寄せが嘘のような季候となった。そのせいかなぜかこのごろ人恋しい。会いたい気持ちが募る。せめてこれからは肩をすぼめて歩かず、両手を大きく歩って歩こう。春なんだから。