冬を忘れさせ、春のような温かい一日が過ぎたかと思えば、その翌日はまた一面の真っ白な雪の世界。昨日の温かさが嘘だったかのような吹雪の大荒れの天候となり、雪を飛ばす。春先の空はこうして寒暖を繰り返し、ゆっくりと花の季節に向かって歩み出すのだろう。まどろっこしいような季節の歩みだが、とにかく気温だけは日増しに上がっているのは確かだ。しかもカレンダーが一枚めくれ、3月に入ったと思ったらより春らしさを感じるまでになった。玄関の木瓜の花も一輪から二輪、三輪と咲き出し、朝の出勤時に妻と共に「また一つ咲いたね」と小さな春を楽しんでいる。
先日のラジオでいい話を聞いた。あるカウンセラーが「人間にとっての苦労は何一つ無駄なことはない。苦労することによって人間は成長します。苦しんだり、悲しんだり、辛い思いをした分、それが栄養になると思ってください。神さまは乗り越えられないような苦労は人に与えません」。確か、このような内容だった。聞いていて本当にその通りだと思った。
人は苦労しないと強くはなれない。苦労は買ってでもしろ、と昔から良く言われた。苦労を知らない人間は壁にぶちあたると挫折してしまう。それだけに様々な苦労は体験すべきだ。その点、いま最も苦労しているのは森喜朗首相だろう。森内閣の支持率はとうに10%を切り、不支持率は80%以上にもなった。日本中から総スカンを食らっている。アメリカの原潜と「えひめ丸」との衝突事故の際のゴルフ問題といい、ケーエスデー問題、それに外務省の機密費への対応といい、どれ一つとっても解決どころか混迷を深めるばかりだ。連日のようにマスコミに叩かれ、党内からさえも「森辞めろ」の批判の声が渦巻いている。いずれは退陣に追い込まれるだろうが、とにかく森さんはその批判を耳にしながらも馬耳東風として泰然とし、どうやって政権を維持しようかと毎日どん底の苦労をし、じっと耐えている。その忍耐力は中々、大したものだと感心する。感心はするが、なぜか同情する気持ちにはなれない。
朝日新聞の「首相ことば」録を毎日、見ている。そのせいかもしれない。森首相の「番記者」との言葉のやりとりがとにかくそっけないのだ。記者「首相、日米地位協定ですが・・・」。「歩きながら話しません」。記者「首相、沖縄県の・・・」。「歩きながら話はしないって言ってるでしょう」。このやりとりを見ていると、森さんは新聞社に恨みでももっているような感さえ受ける。いや森さんは正直な方かもしれない。新聞記者の書く悪口に心底腹を立て、その感情を記者たちにぶっつけているのだろう。だが、それを招いたのは森首相自身だと言うことを本人は気づいていないからやっかいだ。とにかく政権末期、死に体とも言われる森内閣は今、苦労に苦労を重ねている。政権が交代したらその苦労が森さんにどのような栄養を与え、人間として成長させるものか。見たいものだ。
森さんを直に見たのは10年ほど前だろうか。衆院選に立候補した新人候補の応援のため秋田入りし、その講演内容を取材しようと車を追った。会場となった県南のある町の体育館での講演会で、森さんは車から降りると大きな体でのしのしと待ち受けている群衆をかき分け、演壇に上がった。何を話したかはもう頭に残ってはいないが、早口で、まくし立てるような喋り方だった。エネルギッシュな弁舌だったが、国を一人で背負っているような自身とうぬぼれが有りありで、聞いていて好きにはなれない政治家だと言う印象だけがあの時以来、残った。
この人を迎え入れるため多くの運動員が動員され、講演が終わった後も若手の運動員たちはまるで神さまでも見送り出すようなしぐさで車に案内したのだが、一言も「ご苦労さん」のねぎらいもなく、無言で車に乗り込み立ち去ったのも印象に残っている。あの当時から将来の首相との期待感がかかっていた大物だっただけに態度もでかかったのだろう。森さんが首相になったとき、なぜか暗澹とした気持ちだった。かと言って森さん以外にどんな政治家が首相にふさわしいのか、地方にいてはそれさえも分からない。それにしても森さんは言葉の面でも行動の面でも首相としては軽率過ぎた。もう少し苦労を重ねて心と言葉づかいを磨く必要があるかもしれない。もう遅過ぎたきらいはあるが・・・。
こちらも相変わらず苦労が重なっている。文章に苦労し、言葉に苦労し、酒に苦労し、お金に苦労し、禁煙もできずにタバコで苦労している。おまけに夜、お酒を飲むに行っては相手の女性の扱いにも苦労している。どう褒めたら喜ばれるのか、女性を前に言葉を選び、アルコールで弱り切った頭をひねり、苦労を重ねているのだ。ラジオでお喋りしたカウンセラーは「どんな苦労でも人生にとって無駄な苦労はありません」と言っていたが、お酒を手に目の前の女性で苦労する自分にはどんな栄養剤となって戻って来るのか。
夕べもとても美しい人と出会った。美しい人だからお酒を飲んでいても褒める言葉に苦労はしなかったが、なぜか感情的にとても昂った。それは探し求めていた人との出会いとなったせいもあるかもしれない。「今度、店を移ることにしたんです。そちらにも来てくれますか」と言われ、その店の名前も場所も聞いていたのだが、相変わらずの記憶力の悪さで忘れてしまい、訪ねたくても行けないでいた。そのため約束を破ったようで、気にもなっていた。代行車で家に帰るたびに様々な運転手から情報を集め、その美人さんの勤めているお店を探した。その努力が実ってようやく数カ月ぶりにその店を探し当てた。そんな苦労もあったせいかもしれない。
小林旭の「昔の名前で出ています」では「京都にいるときゃ 忍と呼ばれたわ 神戸じゃ 渚と名のったの 浜の酒場に戻ったその日から あなたが探してくれるの待つわ 昔の名前で出てーいーまーす」ではないが、その晩、久しぶりに会った美人さんは「伊藤さん。来てくれたの」と美しい瞳を輝かし、「いつか来てくれる。いつか来てくれると待ってました。嬉しい」とカウンター越しにしばらく手を握り合って喜び合った。
感情も昂り、恋に似た気分で胸がいっぱいとなった。あるいは恋に恋をしたのかもしれない。前の店でも何度か名前を聞かされ「わたしのこと美人さんでなく、ちゃんと名前で呼んで」と耳もとで甘くささやかれたのだが、とうとう覚えることもないままだった。
「美人さん。会えて良かった。随分、探したんだよ」。うっとりした(多分?)目で彼女を見つめていたことと思う。「伊藤さん。まだ私のこと美人さんなの。もう名前を覚えて。○○です」。美しいソプラノがカウンター越しから響いた。水で冷えきっていたのだろう。握っていた手が冷たかった。ママさんが寄ってきた。「○○さん。随分、嬉しそうね」。「ママ。このお客さん、前のお店でとても世話になった方なの」。美人さんの目は潤んでいた。その目を見ながら「こりゃ苦労するぞ」と水割りを口にしながら強く自戒したが、案の定、苦労の駄賃として戻ってきたのは自宅に帰ってからのかみさんの不機嫌さだった。そのご機嫌をどうとりなすかでしばらく苦労した。とにかく、かみさんを泣かせたり、苦労をかけてはいけない。深く反省した。苦労はやはり無駄にはならなかった。
さー。とにかく3月だ。長い雪との格闘も終わった。朝、目覚めると外の雪が気になって新聞に目を通す前に玄関を開け、外の雪を眺め「ああ。またか」とうんざりしながら流雪溝の重いふたを持ち上げ、スノーダンプで雪を運び、雪捨ての繰り返しだった。その雪との格闘から解放された。昨日1日はそんなホッとした思いで大曲高校の卒業式を取材に行った。思えばケンニチの春は大曲高校の卒業式の取材でいつも始まっているようだ。高校生たちのはつらつとした喜び、卒業式での別れの涙を目にすると胸がジーンと来る。彼ら彼女らのエネルギーに触れてケンニチは春を毎年、迎えている。そしてついにアクセス数も45万を超えた。目指す50万と言う大台ももうすぐだ。50万を達成したら、どこかからチョコレートを手にお祝いに駆けつけてくれる女性がいるかもしれない。バレンタインデーで貰えなかった、いや義理チョコを少し貰ったかな(?)、とにかくその憂さを義理チョコでない本物で晴らし、苦労をしてみたい。かみさんのお小言を気にしながら、相変わらず困った夢を追っている。