幸せな家庭を夢見て結婚したのに夫からの暴力におびえる−。安全であるべき家庭が恐怖にまみれている。そんな家庭ってなんだろう。そんな人生ってなんだろう。横手市のかまくら館で先日開かれた「秋田県DV対策フォーラム」を取材しながら、そう思った。DV、いわゆるドメスティック・バイオレンス。家庭内における妻への暴力や虐待をテーマにしたフォーラムだった。この問題に関しては正直言って全く無関心だった。以前にも女性読者で「あきたDVを考える会」の運営委員になっている方から熱心なお話しを聞いていたが、やはり別世界の話のこととしか思えなかった。それがフォーラムに参加して、コーディネーターを努めた婦人団体連絡協議会の阿部恭子さんの話しや県女性相談所の山王丸愛子さん、あきたDVを考える会の山下博子さん、秋田県警犯罪被害者対策室長補佐の伊藤治喜さんの事例報告を聞いて、家庭内における暴力がとても身近なところで日常茶飯事のように発生していることを痛感した。
話を聞いて正直言って空しさと嫌悪感が募った。そして夫から殴られたり、蹴られたりしながらもジッと耐えている女性の生活って何だろうと思った。そうした人生って何だろうとも思った。結婚とは、家庭とは、相互に支えあい、協力しながら共に喜び、ささやかながらも幸せを感じとることではないだろうか。悲しみや辛いことがあっても、それを共有し、共に悲しみ、共に耐えることではないだろうか。そうでなくては家庭はやりきれない。家庭は共に笑える場であるべきだ。
山王丸さんはフォーラムで「この場では言えない多くのことがある」と顔を曇らせながらもある教師の妻の事例を報告した。その夫は仕事から帰ると家の中の掃除が行き届いているかと障子の桟(さん)に指をあて、ホコリを見つけただけで妻を殴ったという。果ては庭に枯れ葉一枚が散っているだけでも暴力を振るったという。常にイライラし、妻を殴ることで腹いせを晴らしていたと言う。
山下さんの報告にも驚いた。山下さんも自分同様、DVなんてよその世界のことと関心を持ったこともなかったが、教え子の女の子からから母に暴力を振るう父のことで相談を受け、家庭内暴力が身近なところで発生していることに気づき、DVを真剣に考えるようになったと言う。その教え子の父は酒を飲んでは暴れ出し、見るに見かねない暴力を母に振るうため、パジャマ姿で親子で逃げて一晩中、車を走らせていたと言う。
これは想像だが職場から腹を空かして帰ったのにまだ夕飯の準備が出来てないからと腹を立て、妻を殴る。さらには夫以外の男性と親しく言葉を交わしたからと嫉妬心を燃やしては殴る。酒が入って、出されたつまみが気に入らないからと怒鳴り、髪の毛を鷲づかみみにして放り投げる。体中が殴られたり、蹴られたりで青痣(あざ)となりながらも「私が悪かったから」と受容し、我慢する。DVとは妻の人格さえも奪い、安全であるべき家庭を恐怖のどん底に追い込む世界ではないだろうか。考えて欲しい。そんな恐怖におびえ、夫を迎え、共に生活する家庭って何だろう。「子どものためにも我慢しなければ」と耐える人生って何だろう。ケガをしても「恥ずかしいから」と病院にも行けず、泣いて暮らす家庭って何だろう。
主婦の立場ってそんなに弱いものだろうか。妻には人格もないのだろうか。結婚すると妻はただ夫に隷属し、不平や不満があっても口にせず、さらには殴られても、蹴られても我慢する。欲しいものがあっても小遣いさえ与えられず我慢する。我慢。がまん。ただひたすら耐える。そんな生活ってなんだろう。奴隷のように虐げられ、暴力だけでなく言葉でも「お前はバカだ。無能だ」と罵詈雑言を浴びされ、精神的にも追い込まれながらも、離婚したら食っていけないと耐える生活ってなんだろう。子どものためと我慢を重ねる人生って何だろう。いや。父が母親に暴力を振るう姿を見せられる子どもはどんな気持ちで育ってしまうだろうか。子どもだって恐怖のどん底に陥ってしまっているのではないだろうか。
フォーラムを聞いていて、なぜそうした人たちは離婚しないものかと単純な疑問が沸いた。同時に暴力を振るう男性への言いようのない怒りが沸いた。安全であるべき家庭で殴られ、身の危険を感じながらも我慢する人生はあり得ないし、あってはならない。その人があなたをただ奴隷のようにこき使い、そしてただ性的な欲求を満たすために体を求めようとするのなら、それは家庭ではない。牢獄だ。そのような人とは暮らすべきではない。いっその事、家を出て、離婚と言う手続きを踏み、新しい人生を歩み出すべきではないだろうか。
このことはフォーラムを終えた後、山王丸さんにも率直な疑問としてぶっつけたが、山王丸さんも「やはり愛しているんでしょうね。保護しても夫が迎えに来ると帰ってしまうもの。あれほどひどい暴力を受けても、迎えに来た夫から『もう一度、やり直さないか』と優しい言葉をかけられると女って弱いものね。帰ってしまうのよ。そして年に2度も3度も私たちの一時保護所を出たり入ったりする人もいるから」と虚しそうな表情を浮かべた。確かに夫への愛情もあるかもしれない。もう一度、やり直せるならという希望も沸いて来るかもしれない。しかしDVはエスカレートする危険が極めて高いとも言われる。離婚するまでのエネルギーの消費も大変なことだろうし、離婚後の生活も心配だろう。ましてや小さなお子さんがいたらなおさら生活が不安だろう。だが、殴られたり蹴られたり、その上「お前はおれのモノだ」とばかりに「モノ」扱いされて一体、その人の人生は何だろうと思ってしまう。
山王丸さんは「妻を殴るのは躾(しつ)けだと思っている男性も多い。自分は殴られる痛みも知らずに、殴ることで躾けると思っているんだから」と吐き捨てるように言った。まるで犬やネコのように妻を躾けると言う発想を持っている同性がこの世にいること事態に腹が立った。
夫婦とは互いに必要性があるから成り立つし、平和な家庭になる。夫も妻もお互いを必要とし、いつもそばに居てほしいと思うから共同の生活が成り立つ。夫婦とは同格であるべきだ。暴力に泣いて暮らすくらいなら、とても短絡的な発想だが、この世にはあなたを必要とする男性が他にもいるかもしれない。その必要とする男性との出会いを夢見てもいいのではないだろうか。あるいは結婚なんてもう二度としたくないと思うかもしれない。それならそれでいい。生涯一人で暮らすのもいいかもしれない。とにかくおびえて生活するくらいなら、暴力を振るう家庭からは飛び出すべきだ。泣いている人はあなたばかりではない。山王丸さんは積極的に外に出て、女性相談所など専門機関に相談してほしいと訴えた。
とにかく家庭内での暴力に泣いている女性がいるのなら、その人の親は放っておくべきではない。救いの手を出すべきだ。また我慢させるべきではない。ましてや自分の大切な人生ではないか。我慢する人生、殴られたり蹴られたりし、耐える人生なんて地獄だ。自分自身を取り戻そうよ。明るく希望を持てる人生を見つめ、出直そうよ。暴力で解決を図ろうとする夫なんて見捨てちゃえ。哀れに思う必要はないんだ。
私事になるが我が家では共働きである。勤め先の就業時間は妻が8時半、自分は9時。30分の開きがあるが、出勤はいつも同じだ。別々の車に乗って出勤する不経済なことはする必要がないと1台の車に乗って朝夕、行動を共にしている。家に帰ると妻は台所に、こちらは犬の散歩、そして風呂に湯を入れ、その合間をみてはメールの確認やケンニチの「読者の広場」の書き込みをチェックしたり、返事を書いている。台所から声が掛かって「手伝って」と言われると食器洗いもする。そしてパピヨン相手にビール、酒と一人の宴会が始まる。「あんまり飲まないで。こんなこと注意するのは私しかいないのよ」。いつもの妻のグチが始まる。
大概は聞き流し、妻が風呂に入っている間はテレビ、あるいは新聞や小説を読みながら酒を飲み続ける。先程の「体に良くないから酒は控え目に」と言われた注意はどこ吹く風で、胃袋に酒を飲み込ませる。会話なんて30年も共に暮らすとそれほどあるわけでもない。むしろ無言の食卓だ。それでもホッとした時間が流れ、「さあ。寝るか」と寝室に移動する。これが毎日だ。平和な家庭なんて平々凡々だ。でも幸せな時間がそこにはある。たまには仕事がらみの酒があって外で飲む。酒が入って夜の街を歩き、美しい女性を前にグラスを手にすると軽い冒険心も沸き起こる。「今度、お昼一緒にしない」。軽口を叩いて誘う。「あら。いいわねー」。お互い淡いアバンチュールの夢を抱く。これ以上書くと我が家の平和にも危険信号が点滅する。ストップしよう。ともかく世の男性諸君。家の中を暴力で暗くしてはいけない。家庭とは笑い声があって、そして平々凡々でいいのだ。暴力の嵐が吹き荒れる家庭は悲惨だ。