県知事選の取材で26日夜は秋田市へと走った。秋田市のホテルを予約してその夜は宿泊となった。覚悟はしていたもののホテルで一人酒を飲むほどわびしいものはない。カウンター席に座り、晩酌セットを注文し、生ビールを2杯、3杯と重ね、さらにお酒を注文した。酒を飲みながらこの日夜にあった知事選立候補予定者による公開討論会の取材ノートに目を通した。シャープペンシルでノートに走り書きしたメモの文字はまるでミミズが這ったような状態。自慢にはならないが字の下手さは天下一品と自負している。まるで幼い子どもの走り書きのような文字である。それがワープロに切り換えたら、今度は漢字は忘れ、メモを取るのにも漢字が浮かんでこない。このため取材がとても不自由になった。その結果、自分で書いた文字なのに後で読み返しても判読できないで悩むことがしばしばだ。記憶がまだ新鮮なうちに立候補予定者が喋った内容を思い出しながら、読めない文字を書き直した。無言でジョッキを空け、「もう一杯お願い」とバーテンダーに注文し、再びノートに目を通した。
9時半ごろにそのホテルのバーに入って1時間ほどそうした取材の整理をやって過ごした。話し相手がいなかったため、秋田市に出かける前に買い求めた文庫本に今度は目を通しながら、無言で酒を飲んだ。隣では二人の女性が話しに弾んでいる。こちらは無言でお猪口を口に運び、読書だ。さすがに気の毒と思ったのかバーテンダーが寄ってきて、「お客さま退屈でしょう」と声をかけた。「ああ。ホテルで一人で飲む酒ほど寂しいものはないね」とグチった。「私でよければ何なりとお相手致しましょう」とバーテンダーは笑顔で応えた。その日夜にあった知事選の公開討論会を話題にしばらく会話が弾んだが、内心では「なぜ秋田市まで取材に来たのだろう。交通費、宿泊費、それに飲食代を含めたらバカにならない出費だ。秋田県南日々新聞として果たしてそこまで努力しなければならないのだろうか」と自問自答した。自問しながらも「これが新聞記者としての宿命かもしれない」とも思った。
一人で興したインターネット新聞。読者がいて、スポンサーによる収入を得られる限りは経費をかけてでもやはり取材に力を入れるべきだろう。そう思いながら酒を飲み続けたが、無性に寂しくなった。孤独でもあった。記者仲間がいて討論会での3候補の話をああでもないこうでもないと侃々諤々(かんかんがくがく)やりながらホテルに泊り込んでの酒ならまだしも、話し相手もいないのではさびしがりやの自分は泣きたいほどだった。なぜか重い敗北感と疲労感が伴った。11時半過ぎに部屋に戻った。テレビを見る気にもなれず、ただ一人で文庫本を読んで過ごした。いったんベッドに横になって目をつむってみたが、どうしても眠れず冷蔵庫からワンカップを開けて飲み始めた。憂鬱な夜は酒だけが親しめる友だった。それにしても寂しく、悲しい夜だった。
そう言えば10数年も前だろうか。田沢湖町で冬の国体があり、産経新聞のカメラマンとして高原のホテルに1週間一人で泊り込んで過ごしたこともあった。あの時も夜、一人で時間をつぶすのに苦労したものだった。ホテルのトイレを暗室にし、ジャンプや回転などで活躍する本県の選手たちの姿を撮ってはホテルに取って返し、写真を現像し、本社に電送をかけると夕方だった。それからは話し相手もなく黙々と部屋で酒を飲んだり、バーに行って時間をやり過ごしたものだった。たまには別の社の記者やカメラマンと話が弾み、夜遅くまで酒を飲み続けたが、ほとんどが一人暮らしだった。
あの当時を思い出し、時間に負けまいと別なことを考えようと思った。ケンニチが携帯電話を使って記事更新を始めて3カ月になる。電話料が心配だったが、やはり1カ月に1万円前後の出費となった。まだ細々とした収入しかないケンニチにとっては1万円を超える電話料は痛かったが、新しいスポンサーが付いた。大曲市角間川町に本社工場を構える「大同衣料株式会社」である。そのスポンサーのおかげで電話料の分を超える収入が入ることになった。使い古された言葉だが「捨てる神あれば拾う神あり」である。他にも広告掲載の話が来ている。ケンニチの社会的存在感がこうして次第に大きく認められるようになった。継続は力だと思った。
捨てる神あれば拾う神。こんなこともあった。ケンニチは別に市役所から褒めてもらいたくてやっているわけではないが、大曲市のピーアールのためには結構、尽くしていると自負はしている。一般職員からは関係する記事を見たとお礼を言われることはあるが、市首脳部からは感謝の言葉を頂いたことはない。まあ新聞だから市のミスがあれば批判記事も書かざるを得ないから、気にはしてないが22日に閉会した定例市議会の本会議で一般質問した熊澤龍雄議員が秋田県南日々新聞を引き合いに次のような感謝の言葉を述べた。
「まことにありがたいことに『ケンニチ』、秋田県南日々新聞は、秋田民報社の伊藤正雄さんが個人で開設しているホームページです。大曲・仙北の的確な『ニュース速報』を提供しております。私も毎週欠かさず見ています。アクセス数は2月8日で44万9番だったのが、3月8日では45万4429番でした。月に約1万4000人以上の人が見たことになります。全国の人びとが、伊藤さんの『ケンニチ』をクリックしているのです。大曲・仙北のニュースを全国いや世界に発信しているのです。みちのく秋田の風景を見て郷土を懐かしく思ってクリックしている人もあるでしょう。あらためて伊藤さんに感謝を申し上げます」と演説した。
聞いていて目頭が熱くなる思いだった。熊澤議員は市役所総務部長を退職後、市議選に出馬して2期目。パソコンは苦手な年齢のはずだが、議員は「私も昨年パソコンをリースしました。新成会の皆さんと一緒にNTT大曲支店に行って短い時間でしたが、インターネットを開く勉強をしたのです。パソコンの用語すら分からず最初は苦労しました」と述べたように慣れるまではホームページを呼び出すことさえも難儀されたことと思う。熊澤さんの言いたかったことは市のホームページの工夫の足りなさだったようだが、それを強調するためケンニチを引き合いに出したようだ。
市側の答弁は相変わらず形式的でお役所言葉を羅列しただけの無感動なものだったが、ケンニチを好意的に観て下さっている熊澤議員の温かい配慮には頭が下がった。他の議員からも「伊藤さん。私も熊澤議員と同じ気持ちです」と言われ、感動の思いだった。議会が終わった後に親しくしている市職員から「伊藤さん。良かったですね」とも言われた。議会の一般質問で秋田県南日々新聞の名が取り上げられるとは思ってもいなかっただけに晴れがましい思いでもあった。
こんなことを思い浮かべながら一人で過ごしたホテルだった。知事選の公開討論会。これを企画したのは大学生や市民グループ、そして県南のタウン誌経営者らだった。取材に行こうか行くまいか。直前まで悩んだが、やはり新聞記者として大事な知事選は自分の目で見るべきだと判断して秋田市へ走った。スタッフは35人。みんなボランティアで会を企画し、運営した。主婦の姿もあった。学生たちの姿もあった。いそいそと来客を迎えるスタッフの誠意のこもった態度。そして聴覚障害者のために入れ代わり立ち変わりステージに登場する手話ボランティア。その姿を見ていて秋田も変わったなと思った。ボランティアの素晴らしさにも感動した。
その知事選が29日告示された。現職と新人の3人による戦いである。ケンニチがスタートを切ったのが96年12月。それから5カ月後の4月、当時の佐々木喜久治知事が県政腐敗の責任を取って辞任し、出直し選挙となった。あの時は横手市長を辞めて知事選に立候補せざるを得なくなった寺田さんを追って横手市や秋田市へと取材に走ったものだった。結局、4人の争いとなり候補者を追って県南各地を東奔西走した。あれからもう4年の月日が流れた。時の流れの早さを実感する。再び知事選の取材に全力を挙げよう。メランコリックな気分になっているゆとりはない。自分を励ましているうちにいつの間にか眠りに就いていた。