冬の間、会社近くの自転車屋に預かっていた自転車を外に出した。山にまだ雪が残っているせいか、時折吹く風は冷たいものの、自転車が爽快な季節になった。警察や市役所など近くへの取材は自転車がいい。自転車に乗って市内を走ると新しい発見につながる。特に狭い小路から小路へと縫うように走ると、古かった家が新しく建て替えられていたり、また在るべきはずの家が消えて空き地になっていたりする。人生50年から70年、80年と長寿社会となった。しかし、いくら長生きするようになったと言っても限りがある。家が新しくなる所もあれば、住む人が居なくなり、空き地になるのも仕方ないだろう。人はそれぞれに様々な歴史を刻んで一生を終える。
道を走っていて嬉しいのは花との出会いだ。スイセンが咲き、乳白色のコブシも咲き出した。そしてサクラも開花した。花の季節である。街が何となくソワソワし、街全体が華やいできた。頭上からはピーヒョロロとトンビの声が届くようになった。その声に誘われて空を見上げると、2羽のトンビが大きな輪を描いていた。そのズーッと遠くの高い空をジェット戦闘機だろうか。長い飛行機雲の尾を引いて2機が東の空を南から北に向かって飛んでいた。人は昔から空に憧れた。鳥のように大空を自由に飛びたいと昔から憧れた。そして遂に飛行機を誕生させ、地球の果てから果てまでの旅を自由にさせた。
「空を飛びたい」と言う歌があった。加藤登紀子さんの歌だった。「ああ人は昔々、鳥だったかもしれないね。こんなぁにもこんなぁにも空をー飛びたーい」。確かそのような歌だった。本当に大空を自由に飛べたらどんなにいいだろう。青空に浮かぶ雲から雲へと渡り歩けたらどんなにいいだろう。雲の上を飛びたい。雲の上を自由に歩きたい。
小学校のころからいつも帰り道はトボトボと一人で歩いて帰った。青い空、白い雲を眺め「雲っていいなー。自由に空の旅を楽しめる」。そんなふうに憧れたものだった。
小学校への道はまだ砂利道で、周りは田んぼしかなかった。細い水路があって、田植えのころはいつも澄みきった水が勢いよく流れていた。畦から笹の葉をもぎ取って笹舟を作り、水路に流して競争しながら家に帰ったものだった。同級生と話すのは苦手なほうだった。特に女の子とは口も利けなかった。学校が居づらいほどではなかったが、仲間に入ってワイワイがやがやと遊べる性格でなかったからいつも下校は一人だった。
だから青空と白い雲を眺めての下校だった。雲の様々な形を楽しみ、空に輪を描くトンビに憧れ、帰り道を急いだものだった。単調な一本道は今も覚えている。多分、まだ1年生か2年生だった。後ろから自転車で追い越した担任の女の先生が「伊藤君はいつも一人で帰るのね」と声を掛けられた。先生はそう言い残してサッと風のように追い越して行った。その後ろ姿をジーッと目で追いながら、とても悪いことを自分はしているようで怯えたものだった。先生の言葉には別段、意味はなかったのかもしれない。あるいは友だちを作って、みんなと一緒に帰るよう注意したかったのかもしれない。とにかくその一言がナイフのように胸に突き刺さり、傷んだものだった。
人の輪にとけ込めない性格の人間が大人になって人の話を聴き、文書を書く仕事に就いた。女の子と話すのが苦手だった人間が大人になって酒を覚え、夜の街を歩き程々に口説ける才能も身についた。結婚もし、子どもはいないが静かでささやかな幸せも築いた。無口だった幼いころの性格は変わり、酒を飲めば饒舌なほどお喋りができる大人へと変わった。人は小学生や中学生の時代、無口だからとかおとなし過ぎるからとかで一生が決まるわけではない。人間とは社会人になって大きく育てられる。社会が人を育てるとこのごろは思う。
しかし、変われぬ人もいる。いつだったか。お酒を飲むに行って出会った女の子は当時まだ20代後半だった。夜の世界で生きるには余りに純真過ぎた子だった。傷つきやすい子だった。本が大好きとかで客がだれもいないときはカウンターの片隅で文庫本に目を通していた人だった。初めてその姿を見た時のいじらしそうな姿が気に入って、飲む機会があれば通ったものだった。気弱そうな顔だちだったせいか、酔っぱらい客はそうした女の子に限って時には威張りたがる。蔑(さげす)みたがる。酒は女性たちの接待があってこそ楽しくなるものだが、酒を飲みながら好き勝手放題に文句を言い、抗うとカウンター越しに「飲み屋の女が何を言うか」と威張りたがる。
酔った男たちはその女の子がまだ一人で店に居る時、嫌と言うほど言葉でいじめ蔑み、捨てぜりふを言い残して店を去ったのだろう。そんなことが遭ったとは知らずにドアを開けて中に入ったら一人でカウンターの前に座り、両手を前に差し出して、肩を震わせて泣いていた。「どうしたんだ?」。異様なムードに声を掛けたら「伊藤さん。飲み屋で働くのはそんなに悪いことなの。女が飲み屋で働くのってそんなに悪いことなの」と突っかかってきた。「いや。俺たち男は君のように話し相手になってくれる人がいるから酒が楽しい。感謝したいくらいだ」。しどろもどろになりながらも懸命に慰めた。
その子はその後も口癖のように「夜の仕事から足を洗いたい」と言いながらもどんな事情があったのか店から店へと転々とし、今は遠くの小さな都市でやはり夜の世界で働いていると噂に聞いた。結婚に失敗し、小さな子を抱えての暮らしだったから生活は苦しかったろう。自分には気を許せたのか、飲むに行くと客の目を盗んでは身の上話となり、最後は「夜の仕事から足を洗いたい」だった。
夜の仕事から・・・と言われても力のない自分には「なら昼の仕事に切り換えたらどうなの。その気になったらいくらでも働く場はあるよ」と勧めるしか方法がなかった。小さく頷いて職安にも通い、しばらくしてから「縫製工場に勤めました」と笑顔で報告があったが、またしばらくすると「あたし。夜も働いているでしょう。それが同僚の人たちのうわさになって嫌な顔をされるの。とても勤まらなかった」と再び夜だけの仕事に戻った。 そうしたことを繰り返しながらいつも自分の不運をぼやいていた。暗い表情のまま酒を注ぐ姿を見かね「なら、いっその事、結婚を考えたらどうなの。子どもがいても喜んで迎えてくれる人だってあるだろうし」と勧めたが、いつも曖昧な寂しい笑顔を見せたものだった。その彼女も今は40代に入っているだろう。
今も酔っぱらい客の毒舌に泣いているものだろうか。「夜の仕事から足を洗いたい」。彼女から何度も聞かされたセリフだったが、この言葉には少し自分にも抵抗があった。夜の世界で働いている女の人たちの仕事を、彼女自身がバカにしてるように思えてならなかったからだ。
中には昼は別な仕事を持ち、さらには生活のために夜も働いている女の人たちだって多い。夜の仕事、酔客を相手にする仕事だって立派な仕事だ。彼女自身がそうした仕事を自分で蔑み、そうした目で見ていたせいもあったろう。それが酔っぱらいの目からは面白くなく、イジメが彼女にあるいは集中したのかもしれない。昼の仕事をしたいと望みながらも、よその小さな都市で相変わらず夜の仕事をしていると人のうわさで聞いた。彼女は変われなかった。そして掬(すく)ってやれる男性も現れなかったようだ。夜の街で聞いた少し寂しい話だった。
それにしてもお酒を飲みに行って女の子から身の上話を聞かされ、悲しい思いをしたり同情してはその情に流されるのもこのごろはおっくうになった。以前は深刻に受け止め、そこにドラマを見つけ、真摯になって話に耳を傾けたものだったが、このごろは笑って飲んでいるのがいい。先日飲むに行って会った美人さんからも身の上話を聞かされたが、なぜか30分ほどもしたら尻がムズムズして「分かった。分かった」と言い残して立ち去ってしまった。自分はやはり女の子から甘えられるより、甘えていたほうがいい。元気を与えてくれる年上の人を求めてそちらの方へと足は向かった。そして小林旭の「さすらい」を歌ってほどよく酔った。
あれほど「夜の仕事から足を洗いたい」と言いながら、寂しい笑顔を見せて泣いた彼女ももう40代。遠い昔の話となったが、せめても幸せの青い鳥を見つけてほしいと今も思う。