長い夜だった。妻に「おかゆ」を作ってもらい、味噌を舐め、柔らかく煮た魚をおかずにしての夕食だった。胃に負担を掛けたくないと言う自然な自己防衛意識が沸いたのか、いつもならどんなに胃の調子が悪くても欠かしたことのない酒がその晩は飲みたいとも思わなかった。味噌とおかゆがこんなにも美味しいものかと大満足して5月1日夜はベッドに入った。酒を断ったのは何年振りだろう。普段は酒の勢いを借りてバタンキューと眠りの世界に入る生活を繰り返している。それがアルコールなしだ。それでも本を読んでいるうちに眠りに誘われた。そして眠っては目覚め、眠っては目覚め、その都度、寝返りをうっては目を閉じ、いつの間にか眠っていた。胃を壊したと同時に風邪気味も重なったようだ。朝、目覚めたら手のひらはグッショリと汗ばみ、下着もうっすらと濡れていた。
書くべきかどうかと随分迷ったが、やはり私的なことでも語るべきだと思った。「秋田県南日々新聞」はスポンサーからの支援と読者からのアクセス数で維持されているインターネット新聞である。個人で運営しているとは言え、やはり新聞という形式を取っている以上は社会的責任がある。責任がある以上、個人的な都合で新聞を数日でも休むことになったら読者にその理由を述べる義務もあるだろう。
数日前から胃の具合が悪かった。食事を摂るとその後がムカムカするのである。特に4月30日は1日中、胃がむかついていた。そして5月1日朝、食事後、歯を磨いて出勤の準備に取りかかったら強い吐き気と共にウッと食べたトーストを吐いてしまった。それから再び吐き気が起こり、ワッと吐いたのが真っ赤な液体だった。吐血したのである。
そばにいた妻は「どうしたの?。これは血じゃないの?。大変。すぐにお医者さんに行かなきゃ。血を吐くなんてただごとではないわ」と大騒ぎとなった。自分はその真っ赤な液体が血なのか、あるいは何か食べ物の色が胃の消化液で解かされ赤くなったのではないかと信じたくなかった。しかし、時間が過ぎると共に自分の胃の中に何か魔物でも住み着いたような不気味さが沸いてきて、掛かりつけの胃腸科内科の先生に電話した。「すぐに来てみて下さい」。先生の好意のこもった返事にホッとして走った。医院に着くとすぐに看護婦さんから体温計を渡され、さらに数分もすると他の患者さんを差し置いて診察室への呼び出しがあった。
いつもニコニコした笑顔で迎える先生だったが、その日は少しの笑顔もなく「血を吐いたみたいだって」と言い、脈拍を調べ、血圧を計ってから胃腸の当たりを触診した。「触診では緊急を要するほどの事態ではないようですが、とにかくカメラでのぞいて見ます。朝食を摂ったと言うから、お昼ごろまで待って下さい。それまではベッドに横になってもらい点滴をします」となった。2階の病室で点滴を受けた。疲れがたまっていたのかそのまま眠ってしまった。
そしてお昼近く、胃カメラでの診断となった。カメラを飲むのは2回目である。相当、辛いだろうなと覚悟したが、事前に飲んだ喉(のど)の麻酔が効いたのか、意外と楽に飲み込めた。目の前にテレビがあり、胃カメラが胃腸の中に侵入していく様子が映し出される。胃の中の襞(ひだ)を見ながら「胃の中ってこんなにきれいなものか」と自分でも意外と冷静な目で画像を見つめた。自分の胃を見ながら、先生がやろうとしているのを目にすることが出来たから精神的にも楽だった。「アッ。ここだ。やはり血が出てるね」。襞から薄く出血している様子が見えた。
診断を終えた後、先生は「今朝、吐いた時に胃腸に強い圧力が掛かったんです。そして2度目に吐いた時にその圧力で胃の壁が避け、そこから出血したものと思われます。とにかく止血の薬を出しますが、安静にしてもらわないといけません。今日は仕事は絶対、無理です。体を休ませて下さい。また出血を繰り返すようでは入院となります」。
とにかく吐血するということはただごとではない。いつからそれほど自分は自分の胃に負担をかけていたのだろう。3日から始まる連休を利用して2泊3日の予定で東京のディズニーランドへ初めて行く旅は即、キャンセルとなった。先生も「それは無理です。もしものことがあれば大変ですから、休んで下さい」とストップをかけた。
ディズニー行きに備えて柴犬のアキは妻の実家に泊めてもらうことにし、パピーはペットホテルに宿泊を予約していた。これらもすべてキャンセルとなった。先生は「明日の朝も来てみて下さい。もう少し様子をみないといけませんから」と親身になって心配して下さる。こうして5月1日は何も取材もできず家で過ごすこととなった。本来ならこうした書き方もいけないかもしれないが、気になって仕方ない。結局はパソコンの前に座って読者とスポンサーと向き合うこととなった。
吐血した時は「とうとう来るものが来たか」と一抹の不安に包まれた。しかし、「まだそこまでは・・・」と自分の健康に対する自信もあった。その自信は裏付けもない単なる運任せの自信である。おかしなもので病院で点滴を受け、眠っていると次第に体全体が病人のようになってだるくなる。点滴が終えるころ看護婦さんが迎えに来た。「伊藤さん。ご気分はどう?」。こちらは声まで弱々しくなり、それでも茶目っ気と言うか、いや深刻に自分の病状を考えたくない逃げの姿勢が強かったのかもしれない。「今の気分。そう看護婦さん、あなたの胸を借りてホロホロと泣いてみたい気持ちです」。「またまた。この患者さんは」。こんな会話でもしないと気持ちが滅入ってしまう。そんな気分だった。
ケンニチを始めた当時から心配だったのは病気のことだった。取材するのも原稿を書くのも自分だけ。そしてケンニチにニュースを流すのも自分一人。その一人が風邪や何らかの病気で体が動かなくなったらどうすべきかはいつも念頭から離れなかった。風邪で体が全く動かず、休まなければならなくなったらだれかに電話連絡してケンニチの「読者の広場」からその事情を書き込んでもらおうと思っていた。幸いに今回は体は自由だ。薬も効いてきたのか胃のムカムカも治まった。大量に渡された薬を目の前に「こんなに飲むの」と早くも嫌気をさすほどの元気も取り戻した。それでもどこか不安は消えない。
そして今日2日。「もう一度、様子を見ますから朝食も、水も飲まないで来て下さい」と言われ再診を受けた。カメラを飲み込み、診断を受けた結果、食道部分に潰瘍が見つかった。「伊藤さん。これはしばらく安静にしてもらうしかありません。特に食べ物は柔らかいものを中心にしてよくかんで食べることです。薬も変えます」。食道潰瘍と言う病名が付けられた。明日から6日までゴールデンウイークの後半となる。4連休のうち3日間は東京でのレジャーを予定していたが、予定はすっかり変わって自宅での静養を強いられることになった。あるいは吐血と言う出来事は神さまが大事になる前に知らせてくれた危険信号だったのかもしれない。この際は、自宅で本でも読みながらユックリ過ごしてみようと思う。こんな理由から4日の金曜日に掲載する予定だった「こちら編集室」を早めに書いて、読者へのお知らせとしたい。下記の文章は東京へ行くのを前提に書きためたこち編である。
秋田の春を彩っていたサクラはすっかり葉桜となった。花吹雪をまき散らし、大地をピンク色に染めたサクラだった。西木村のカタクリも華麗な春の宴に幕を閉じ、いまごろは静かな息づかいで休んでいることだろう。ミズバショウ、カタクリ、そしてサクラと秋田の花紀行は華やいだ。今はレンギョウと、ユキヤナギ、そして花スモモの季節となっている。我が家の小さな庭のレンギョウも咲き出し、ユキヤナギの白もまぶしくなった。そして花スモモは紅色の花を咲かせた。「おーい。スモモの花も咲いたよ」。柴犬・アキの散歩を終え、裏の濡れ縁の日当たりのいい場所にアキをつないで空を見上げたら、紅色のスモモが鮮やかだった。窓を叩いて妻に知らせた。
サクラが咲き出してから花冷えの日々が続いたが、連休に入ってようやく気温も上がって朝夕の犬の散歩に手放せなかった冬用のジャンパーもいらなくなった。そして5月に入った。鯉のぼりが元気な季節となった。5月の青い空はいい。白い雲もいい。木々の新芽も膨らみ、新緑が目に優しい。1年で最も好きな季節が5月である。そろそろツツジも咲き出すことだろう。ブンブンと蜂も飛び出す季節となった。
急な話だったが、3日からの連休を利用して2泊3日の予定で東京のディズニーランドへ行くことになった。まだ一度も足を運んだことのないディズニーランドだった。行こうかと決めたのは4月の下旬だった。妻の車の運転の訓練も兼ねて西木村へと走り、カタクリの花を見学しているうちに「5月の連休はどうする」との話になって、ディズニー行きが決まった。旅行社に手配したら「今からですか。宿が取れるか、いや、それよりも切符が手に入るかどうかですよ」と遅過ぎた注文に困った表情だったが、少し旅費は高くなるが秋田新幹線のグリーン車が残っているとかで運良く切符は取れた。しかし、ディズニー近くのホテルはやはり無理だった。どこも予約で一杯だとのことだった。
東京の事となると全く無知な自分だが、出張でよく東京に行く妻は「仕方ない。少し遠いけどいつも利用しているホテルに頼んでみよう」と連絡、無事に部屋の予約もできた。ところがこういう時に困るのが犬たちである。アキは妻の実家に預かれるが、パピーまでとなると実家に猫もいるためちょっと無理だ。アキとパピーの主治医に相談した。「ウーン。連休中ですか、うちでも休もうかと思ってるんです」とのことだった。そのお医者さんからの紹介で、近くのペットショップにお願いしたら快く引き受けてもらうことになった。
「そのパピちゃんが気に入っているお人形とかおもちゃはありますか。あったら必ずそれを持ってきて下さい」とペットホテルのご主人。自宅の匂いの付いたものを預けておかないと落ち着かないからだとの事だった。なるほどと思った。アキはともかく、3歳になったばかりのパピーはまだまだ遊びたい盛りだ。自分たちが家に居ると片時もジッとしていることはなく、足にまとわりつき、ボールや縫いぐるみ人形を口にくわえては「追いかけてよ」とせがむ。「よーしパピー。追いかけるぞ」と呼びかけるとまん丸い目を輝かせてテーブルをグルグルとこまねずみのようなすばしっこさで走る。ピョンピョンとチョウのような舞い姿で走る。その姿が可愛くて食事前のひと時、台所に立つ妻のお小言も聞こえないふりをして追いかける。パピーはアキと共に我が家に幸福を運んできた。
そのパピーがペットホテルに預けられるのはこれで2度目となる。知っているお医者さんの所に預けた前回は不安はなかったが、今回は初めてのお店に預けることになった。少し不安だったが、予約のためにお店を訪ねご主人の顔や言葉づかいの優しさに触れて「ああ。このお店なら大丈夫だろう」と一安心した。ご主人はパピーの性格や大小便はどうされているかなど細やかに聞いてくれたからだ。
実家に預かることになったアキはもう実家の兄にも慣れ、朝夕、義兄に引かれてノンビリと散歩してもらっているのを知っている。たまにその義兄が我が家によるとアキはシッポを振って喜ぶ。「アキ。アキ。元気か」と声をかける義兄の声も優しい。実家の妻の母も、そして家族みんな動物好きだから、アキもこれまで預けられても安心して暮らしてきた。
そんなわけでケンニチも3日から6日までは取材活動も記事の更新も休ませてもらうこととなる。どんな東京の旅になるか期待と不安でいっぱいだが、とにかく出かけてみようとなった。東京を歩いて一番の悩みのタネは足である。田舎暮らしをしているとわずか100メートル、200メートルの移動さえ車を使ってしまう。足が弱るのも当然だろう。だから東京に行くと駅構内を歩いているだけで足が突っ張ってしまう。
結局、疲れるために東京に来たのかといつも後悔することが多いのだが、それでもたまには東京の空気を吸いたくなる。あの活力のある世界に身を置いてみたくなる。東京にはやはり田舎にはない不思議な魅力があるのだろう。その魅力を今度は探ってみたい。そんな意欲もある。