連休が終わったら天気は崩れ、雨や曇りの日々が続いている。コウモリを手に柴犬のアキを連れて歩くと、雨の音が静かに耳に伝わって来る。その雨の音を聞きながら歩いた。いつも歩く堤防の緑はさらに色濃くなって、堤防脇に広がる川港親水公園の木々の葉っぱもより鮮明にその色彩を深めている。雨の朝、アキを連れての散歩は気が重い。一緒に歩くアキも同じ気分なのだろう。雨に濡れた身体を時にはそのしずくを吹き飛ばすようにブルブルッとふるわせては水分をはね除け、再び黙々とうつむきかげんに歩いては用を足す場所を探す。「アキ。新緑がきれいになったね」。遠くの景色が小雨に煙る中、アキに語りかけても言葉が通じようのない犬にとって、自分の言葉はどう響くのか。ただ不思議そうにふり返っては小首を傾げ、チラッと視線を投げ返すだけだ。それにしてもアキも耳が遠くなった。相当、大きな声で話しかけないと反応もしない。もう13歳だ。人間だったら70代になるのだろうか。とにかく自分が何を言おうとしたのか一応、聞こうとする態度は見せる。そして再び黙々と歩き出す。
雨の堤防を歩きながら思った。人間ってわずかに視線をずらすだけで新しい発見、新しい楽しみを見つけるものだと。その新鮮な喜びを与えてくれたのは名も知らぬ路傍の雑草だった。ペーパーナイフのように鋭く伸びきった雑草の葉である。その葉に取りついている雨の滴の美しさが何とも言えなかった。透き通るような青い葉っぱを彩るように銀色に輝く水玉がポツリポツリと浮いているのである。その水玉は良く見るとルビーの輝きだったり、ダイヤモンドの輝きだったりする。その輝きがとても綺麗なのである。小さな水玉となった雨の滴。それがとても美しいのである。
雨の朝、堤防を歩きながら時には腰をかがめ、雑草の葉を彩る水滴を観察する楽しみを覚えた。その草は堤防の斜面から道路沿いに無数に生えているのでこれまでは目もくれなかった。だが、雨の滴が表面張力によって小さな水玉を作り出し、その一つひとつの表情がみな違う顔と輝きを持っているのを発見したら、雨の堤防を歩くのもとても楽しいものになった。
病気のせいだろうか-。このごろ、木々の新緑の輝きにも、足元の雑草の群れにも、梅雨空のようなどんよりとした曇り空を見上げても、とにかくこれまでは何とも思わず見過ごしていたものに小さな驚きと感動、愛着を覚える。気弱になっているのだろうか。アキと歩きながら、そんなこともあるまいと否定した。あれ以来、胃の不快感は全く消えた。何を食べても美味しいし、苦かった酒も本来の甘みを取り戻した。「先生がいいと言うまでお酒は止めたら」と言うかみさんの不機嫌な顔をしりめにお酒は2日間休んだだけで、チビリチビリと少しずつだが復活させた。とはいえ、やはり気になっていた。
食道潰瘍と診断した主治医は「休みが明けて、そうねー。9日にでももう一度いらして下さい。もう一度、カメラで確認してみましょう」と言っていた。その9日、ご飯も水も飲まず先生の所に馳せ参じた。「お酒は我慢しましたか」。吐血して駆けつけたあの時の厳しい顔はすっかり消え、いつもの優しい笑顔を取り戻していた。「いやー。どうも酒だけは・・・」。羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くような自分ではない。喉元を過ぎると熱さも忘れるようにあんなに苦しんだ胃の不快感もすっかり失念し、いやしい酒飲みに成り下がっていたのである。「やりましたか」。先生は複雑な笑顔で聞く。その笑顔に弱い。笑いながら誘導尋問されているようだ。「ええ。少しですがやりました」。少しとは嘘である。「困りますねー」。そう言っている先生の顔からは、ちっとも困った気持ちは伝わって来ない。先生と向き合いながら相変わらず自分は不肖の弟子、いや不肖の患者なのだと思った。
それでも今回だけはきっちりと守ったものがある。薬の服用である。いつもなら飲んだり飲まなかったりの薬だが、今回だけはきっちりと指示された通り遵守した。自信があるのはそれだけだった。苦手だった胃カメラも3回目となるとさすがに慣れてしまう。「はい。ごくんと飲み込んで」。先生の声に合わせゴクンとやったらスーと喉を通っていくのが分かった。カシャッカシャッとシャッターを切る音がする。カメラで覗きながら「ウーン。良くなった。すっかり良くなってるよ。伊藤君」。先生の声が弾む。慎重に診察しようとしたのだろう。前回よりも長い時間をかけての診察だった。その分、辛さも増したが先生の「ウン。良くなっている」の声が麻薬のように体中に気持ちよく響く。「ああ。これで治ったんだ。我慢しよう」。胃カメラを飲んでいる辛さはいつの間にか忘れていた。
診察後、「とにかくお酒はこれからも控え目に」「ハイ。ありがとうございます」。素直だった。子どものように素直になれた。そしてそれだけは守ろうと思った。お酒は本当に控え目にしようと。とにかく新緑の木々も、堤防を埋めつくした青い草の葉も、雨の滴も、そして鉛色の空も、川辺に遊ぶ小鳥たちのさえずりもみな新鮮な感動を呼び起こした病気だった。たまに病気を背負ってみるのもいいもんだと変な感心の仕方をした。とはいえ先生は「まだ油断は大敵。薬だけは飲み続けて下さい」と新しい薬を処方してくれた。
とにかくこうして連休中に縛られた病気からは解放された。その連休中は平塚市の保坂米蔵さんから送られてきた小説「ヒッサリックの丘 父から娘へ、描き遺した復讐のシナリオ」を読んだ。前回のこちら編集室でも触れたが、大手電機メーカーの情報システムを担当していた幹部社員がトップ同士の身勝手なやりとりから追い立てられるように全くの場違いである出版社に転出させられる。終身雇用と言う制度が壊れ、それによって味わう団塊世代サラリーマンの悲哀を描いたものである。
後ろ髪を引かれる思いで電機メーカーを辞め、新しい職場で情報システムを駆使して出版界での革命を起こそうと努力はしたもののワンマン社長の前にはその志も虚しく挫折、退職に追いやられる主人公の島崎。敗北感の中であっけなく病死するが、その島崎は数枚のフロッピーに新しいシステムの事業計画を遺していた。島崎はその事業で自分を陥れた敵に復讐するモンテ・クリスト伯爵(岩窟王)になりきろうとしたのである。夢は果たせなかったが、娘と島崎の後輩たちがその意志を継いでインターネットを介した新しい事業を興す。それはニュース、音楽、映画、スポーツ、文芸でもすべての情報が時間にとらわれず好きな時、欲しいと思う時にインターネットを介して引き出せるというマスメディアの革命だった。苦悩と挫折。救いようのないストーリーの中にも最後にインターネットを介した事業の成功が読むものに夢を与える。
434ページの長編だが、保坂さんはまるで一針一針を縫い込んで着物を仕上げていくような丁寧な文体でストーリーを展開する。豊富な知識と豊かな表現力、そしてコンピューター技術者出身ならではの物語の展開で退屈させない。
その保坂さんから下記のようなメールを頂いた。
5/4の編集室を拝読しました。興味が縦横に走る伊藤さんを彷彿とさせます。お体は大丈夫ですか。書き出しの部分を何度も読み返しました。最初に編集室を読んだ時、酒漬けになっていないかなあと、酒がそれ程強くない身には心配でした。本を贈ったあと、連休が明けたらぶらりと秋田に行こうかと考えていました。世間は冷たく、伊藤さんの心に惹かれる旅です。
『ヒッサリックの丘』を置いている文芸社の契約書店は東北には一店もありません。手にとって、この素晴らしい本を確かめてもらえないのは残念です。従って、東北にお住まいの方で、この本を読みたい方は、この本が面白いことを信じて、近くの書店で注文してください。amazon.comなどを利用して、インターネットで本を買うことは可能です。一度覗いて見て下さい。
『ヒッサリックの丘』に貴重な紙面を割いて頂き、お礼の言葉もありません。お体を気遣いながら、この本を読み進まれる伊藤さんのお気持がうれしくて、小躍りしながら妻にコピーを渡しました。本の帯をなぞらずに、ご自分の言葉で紹介して頂き、真実な感想が読者に伝わると思います。
テレビも見ず、ひたすら本を世に送り出す作戦を考えています。体重は七十キロを割り、心身をすり減らす毎日です。卒業した小学校に手紙を書きました。それを家庭通信の裏面に載せてくれました。葉書を出した級友からは、音楽教室でカロミオベンを歌った思い出を語り、頼りになる先輩を紹介してくれました。中学校の同窓生からは、今日、本を手にしたと電話があり、秋にある同窓会に本を持って行くのでサインして欲しいと言われました。文芸社の契約書店は一冊しか置いていません。知人が書店回りをして仕入の契約を取ってきてくれます。目立つように平台に置く交渉までしてくれます。本が入ると、今日は何冊売れたと電話をくれます。ロスに住む元同僚からは、5/1に本屋に入荷し、夜を徹して読んだとメールが入りました。読了したある主婦は、単身赴任の夫の元に駆けつけたと聞きました。職場の夫の姿を本の上に見たのだと思います。
伊藤さんの健康を気遣う読者の広場の人達のように、この世の中には本当に真心の人々がいます。損得を考えず、報恩を求めず、他人の為に尽す人々です。知人の輪が広がっても、販売目標120万部に達するには膨大な時間が必要です。しかし、伊藤さんのペン先から零れ落ちる慈愛は、それだけで百二十二万の人の関心を集めることが出来ます。凄い力だと思います。伊藤さんの存在に感謝します。手を合せたい心境です。
友人が開拓してくれた大型書店の店頭には、直木賞作家の堆く積まれた本の間にひっそりと『ヒッサリックの丘』が置かれています。友人の努力に涙し、無名故の悔しさに涙します。配本するだけの絶対量がないための悲哀を感じます。しかし『ヒッサリックの丘』を買った人は、1500円の何倍もの価値を読後に感ずるはずです。今年の直木賞を獲得したら、『ヒッサリックの丘』を購入した人々は自分の眼力を誇れるはずです。そうなれるように、これから益々宣伝活動を続けていきたいと思っています。
お身体をご自愛下さい。伊藤さんの奥さんの心配顔が目に浮びます。秋田名物のうどんをよく噛んで、健康を回復して下さい。お会いできる日を楽しみにしています。
P.S.吉田満が懐かしく感じられました。チューリップは今が盛りなんですね。モミジの若葉、タンポポと読んでいると四月が二度楽しめます。
保坂さんの承諾を得てメールをここに紹介することにした。「ヒッサリックの丘」読後の今は佐野眞一氏の話題作「だれが本を殺すのか」を読みふけっている。それによると出版界はいま未曾有の不況に追われていると言う。保坂さんの処女出版となった「ヒッサリックの丘」もその不況の波に押され、厳しい運命にあるいは翻弄されるかもしれない。ケンニチにはとてもそれを救える力はないが、少しでも保坂さんの励みになればとここに書いた。読者のご理解、共鳴があれば幸いである。