こちら編集室「黒森山」(7月13日)

 六郷町で取材のあった日、どうしてもそのまま帰る気にはなれず町民の森「黒森山」へと車を走らせた。なぜか山の緑に触れたかった。山の静かな空気を吸ってみたかった。山なら少しささくれ立った心のもやもやを幾分でも和らげてくれるのではないかと思った。黒森山へは町の中心部から8キロほどの道のりで、つづら折りになった険しい登り道が延々と続く。その昔、歌人の正岡子規も登った峠道として知られる。

 奥羽山脈の山並みの一つであり、まだ全線開通はしてないが県道大曲・花巻線として頂上までアスファルト舗装され、山を超えると岩手県花巻市に通じる。子規がこの道を歩いたのは明治26年(1893年)の夏だったから、もう108年も昔のことだ。当時はどんな山道だったのか。知るよしもないが、新聞「日本」に連載した「はてしらずの記」などによると「六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出来たといふ事が棒杭に書いてあった。近道が出来たならば横手へ廻る必要もないから、此の近道を行って見ようと思ふて、左へ這入って行ったところが、昔からの街道で無いのだから昼飯を食ふ處(ところ)も無いのには閉口した」とあるように登ってはみたものの、実際は人が歩いた気配さえ感じられない獣道のような状態だったようだ。きっととんでもない道に迷い込んだものと閉口しながら、辺鄙な山道をあえぎあえぎながら登ったことだろう。

 過去にも幾度かこのコーナーで紹介したが、峠を登り切った頂上には子規が歌ったと言う歌碑が建っている。

 蜻蛉(とんぼー)を相手に登る峠かな

 である。この歌を目にする度に思うのだが、子規は山道を登って体験した口には言えないほどの艱難辛苦、道案内の棒杭(ぼうくい)のいい加減さなどへの恨みつらみを少しもこの歌には著してない。蜻蛉を相手に淡々とした気持ちで山を登ったと歌うのである。その枯れた心境、明鏡止水のような子規の風流さや諦観というか、達観がすごい。

 心が幾分、ささくれ立ったと書いたが、車を停めて山の中の湖を囲むように整備された公園を歩くと少しずつ心の襞(ひだ)が洗い流されるような気分だった。青い空があり、初夏の日差しを受けた白樺の木々が輝いていた。ウグイスの澄みきった鳴き声が流れた。「ホーケホケキョ、ケキョケキョ」。場所を移すと鬱蒼とした杉林が続く道沿いに額紫陽花の花が咲き、その鮮やかな水色に目は奪われた。歩きながら知人のAさんの言葉を思い出した。

 Aさんは公務員である。ふとした切っ掛けから定年までのことが話題になったのだが、定年まで後2年と言うAさんは「もう疲れた。定年前に出来たら役所を辞めたいよ。生きることそのものにも疲れてしまったよ」と普段にはない弱気な一面を見せたのだ。どちらかと言うと自由奔放に生きてきたAさんである。苦労なんて無縁な人だと思っていただけに意外な言葉だった。休みと言えば車にキャンプ道具を一式積み込み、風光明媚な所を求めては野外キャンプを楽しむ人である。そのAさんが「人生そのもののに疲れた」と言うから、ただごとではないと思った。

 確かにAさんには50代の若さで脳卒中で倒れ、その後遺症を背負って自宅で暮らしている奥さまがいる。「退職しても妻がああいう状態だし、退職後の夢もないしね」。Aさんの弱気は奥さまの病気も一因があるようだ。愛妻家でもある。奥さまが病気で倒れ、入院中は朝昼夕と1日に3度も病院に駆けつけ、食事の世話をしたことは知っている。お酒も飲まず、マージャンも知らず、遊びと言えばせいぜいパチンコぐらいしかなかった。自分よりは4歳年上の人だが、独身時代から我が家に遊びに来て、趣味の写真を楽しんだ仲だった。

 結婚してからは家族同士での交流も深まり、Aさんに誘われ、得意のキャンピングカーに乗せてもらってアウトドアでの食事も楽しませてもらったこともある。奥さまも行動的な明るい人で、休日にはよくショッピングを楽しんでいる人だった。夫婦であってもお互い束縛はすることがなく、子供たちが大きくなるとAさんは休日はパチンコかキャンピングカーで遠出を楽しみ、奥さまはショッピングという日々だった。

 その奥さまはまだ40代のころ「私の実家ではみんな50代で脳卒中で倒れているの。だから自分でもそうなるのではないかと怖いんです」としみじみとした口調で話したものだった。その不安が的中し、50代で倒れてしまった。Aさんはどうするものかと心配したが、いつもの明るさで「なーに。何とかなるさ。楽しみながら苦労してるよ」と笑ったものだった。相変わらず強い人だなと感心しながらも、最近は個人的な付き合いもなく、お互い足が遠のいていた。そして久しぶりに会ったら「定年を待ってるよりも早く役所を辞めたいよ。生きることそのものに疲れた」と思ってもみなかった弱気な言葉を吐き出したのである。

 「楽しみながら苦労しているよ」と苦笑いを見せたAさんだっただけに「生きること事に疲れた」の言葉は気になっていた。半ば冗談、半ばやけっぱっちな面もあったろう。加えて「一昔前なら55歳定年だったろう。あれで良かったと思うよ。やはり60歳まで働くのは疲れる」。与えられた仕事は几帳面にこなす人である。定年が延長になって、55歳から60歳になったのが果たしていいのかどうか。それは一概には言えないが、Aさんの言う「定年が伸びたおかげで若い人たちの就職口もなくなった」にはある意味では同調する。そして「伊藤さんだって55歳を過ぎたらきっと疲れが感じられるよ」と付け加えた。

 その疲れはもうとっくに自分も自覚している。以前だったらどんなに疲れていても一夜ぐっすりと眠ると疲れは取れたものだったが、今はいつまでもその疲れが抜けきれない。体力に自信がないだけに余計、疲れが残るのだろう。とにかくAさんが気になった。その後、どうしてるだろうと思って数日後、再びAさんの職場を訪ねた。

 「おい。奥さまの看護で大変なのか」「いや。そっちの方は介護保険のおかげで、1日3回食事の介護に来てもらっているから、心配はない」「じゃ、どうして生きることに疲れたなんて」。「ああ。あれか。冗談だよ冗談。たまには弱気にもなるさ」。Aさんは昔ながらの元気さで笑い飛ばした。そして「まあ。定年になったら妻を車いすにでも乗せてキャンプに走るか」と言い、「伊藤さん。先だって十和田湖プリンスホテルに泊まったんだって。俺たちも特別料金で営業していると言うのを新聞か何かで知って、妻と行って泊まってきたよ」と話す。Aさんはやはり苦労しながらも、それも楽しみの一つとして奥さまを大事にしているんだと知った。

 Aさんの言う「できれば早く辞めたい」と言うのはあるいは日中、自宅で一人で留守をしている奥さまのために側にいてやりたいという願望からだったかもしれない。朝昼夕の3度、介護の人が訪れてくれるとは言え、長い時間、自宅で一人で暮らすのはやはり心細いだろう。そう思うとAさんの退職願望も分かるような気がした。

 久しぶりに歩いた黒森山。山の中の湖を一周してみた。ウグイスの鳴き声が聞こえ、木漏れ日がまぶしいほどだった。いつだったか、初夏に近いころ、鬱蒼とした杉林の中にひっそりと咲く「一人静」の花を見かけたことがある。白い花穂の寂しい花だった。その名の通り、杉林の中で一人静かに咲いていた。咲いても誰の目にも触れられず、愛でられもせず、森の中の小さな妖精として静かに散っていく。こんな花もいいなと思った。ひっそりと咲いて、ひっそりと散る。久しぶりに歩いた黒森山の散歩道だった。山は幾分、疲れた心に生気を取り戻させてくれたような気がした。