こちら編集室「ジャン・クリストフ」(8月3日)

 「雲は天才である」とは歌人・石川啄木の処女小説の題名だったが、夏の夕暮れ時の空を眺めているとまさに「雲は天才である」と言いたくなるような出会いがしばしばだ。啄木の「雲は天才である」は雲を主題にしたものではなく、自由な校風を求めて校長と対立する代用教員の苦悩を描いたものだった。啄木はあるいは「雲は天才である」という題名の中に自分の代用教員時代になし得なかった雲のような自由を求ようとしたのかもしれない。ともかく青空をカンバスに雲と風と太陽とが織りなす時々刻々の変化には感動させられる。

 カレンダーも8月に入って本格的な夏に入ったが、天候はハッキリせず、いやそれどころかこの稿の執筆に取りかかろうとしている現在(1日)は大雨である。側溝からは水があふれ、床下浸水の被害さえ出ている。どんなに暑くても構わない。青空がほしい。夏はやはりカラッとした青空となるべきだ。

 滝のような強い雨が来る前兆だったろうか。数日前の夕方、雲の影となっておぼろに霞んだ太陽が赤みを増しながら、鉛色の空を次第に茜色に染めていた。その光景が太陽だけを描いた日本画のような神秘さがあって良かった。絵の具をたっぷりと塗りたぐって、太陽をぼかした淡い赤みの色合いが素敵だった。それはまさに東山魁夷の絵の世界を想わせた。風と雲と太陽とが織りなす一幅の絵の世界だった。

 西山の夕日このところ多忙だ。本来の取材活動以外にも煩雑な用事が重なって、自分の時間さえ持てない。それが自分自身を追い詰め、ストレスがたまっていくのが分かる。胃の薬を処方して下さっている主治医からは「神経性胃炎の傾向があります」と随分前から注意され、気をつけてはいるものの片づけなければならない仕事、雑事に追われると、いらだちが募る。それが下痢を招き、日に何度もトイレに走ってしまう。加えてまだどこかしこりとなって疼(うず)く心的な負担や知人の心配事。いずれ時の流れに身を任すしかあるまい。

 そう思って、時が癒してくれる日々を待っているうちにもう8月が来てしまった。「光陰矢の如し」とはよくぞ言ったもので、月日の流れの早さにこのごろは驚き、あきれるばかりだ。1月、2月のあの寒さに震え、朝の雪に怯えたのがつい昨日のような感じさえする。人間とはこのようにして1日1日が短く感じるようになっていくものだろうか。40代のころは「まだ40歳だ」と目上の人を前にすると多少の余裕と甘えがあったものだ。今は立場が逆転し、出会う相手の多くは自分よりも年下となってしまった。甘えるわけにもいかない。

 ともあれどんなに多忙で、追い詰められた気分になっても夏の夕、家に帰ってアキやパピーの顔を見るとホッとする。「今日も一日、留守させてしまったね」と誰も居ない家の中で過ごした彼らの寂しさを慰労し、夕食を与え、散歩に出る。そして空が晴れていれば雲を眺め、雲を追い、雲と語る。流浪を続ける雲の自由さ、風を受け、気ままに姿形を変え、流れていく雲に憧れ、心は雲と遊ぶ。

 野原で遊びながら「雲よ右へ向かってゆけ」と命じたのはロマン・ロランが描いた「ジャン・クリストフ」だった。ベートーベンの生涯をモデルにした長編小説で、高校生のころ、この小説を熱心に読みふけったものだった。クリストフは想像力の豊かな子だった。生け垣のそばに落ちている一本の枝を手にしては、それを魔法の杖にし、槍にも剣にもさせた。枝をちょっと振るだけで軍勢をわき出させ、その将軍となって丘の斜面を突撃もした。枝は軍馬も呼び出し、クリストフはそれに乗って断崖を飛び越えもした。

 こうして想像の中で一人遊びを楽しむクリストフ。その遊びが自分の幼いころとダブったせいか、あのとてつもない長い小説の中でもその部分だけは記憶に残った。自分も幼いころ、学校から一人で帰る時は、自分自身が飛行機になったような気分で両手を広げ、ブーンブーンと田んぼのあぜ道を駆けたものだった。時には馬にまたがった偉い軍人にもなってパカパカパカと蹄の音を口ずさんでは用水路を飛び越え、敵を見つけては草むらにハタッと倒れ、身を隠したものだった。木の枝を手にすると強い侍にもなり、かかってくる敵をバッタバッタと切り倒したものだった。目の前で倒れる相手は雑草だったが、自分の強さに充分に満足したものだった。魔法の杖?。クリストフは木の枝をそうさせた。そして自分もそうだった。

 クリストフは木の枝の杖を持つと、どんなものでも自分の思うがままに動かせるとも思った。大股で野原を歩き、空を流れる雲たちに「右へ向かってゆけ」と命じたのである。しかし、雲はクリストフの命令を無視し、左にばかり流れる。地団駄踏んで悔しがり、魔法の杖を振り上げ、雲を威嚇したクリストフ。そう、自分もそうだった。小学生のころ、雲を友に帰りながら、「あの雲が自分の思うがままに動いたら、どんなに気持ちがいいものだろう」と。そして雲に向かって命じた。「雲よ右に向かって行け」と。雲はのんびりと姿形を変え、どんどんどんどん逆の方向、北へと流れて行った。

 風と雲と太陽とが織りなす神秘的なほど美しい夕方の風景。そして蜩(ひぐらし)の声に耳を傾けて、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」にもう一つ感動を受けた場面を思い出した。それはクリストフの伯父・ゴットフリートが語る音楽のあり方だった。それを確認したくて、30年以上も前に購入した小説「ジャン・クリストフ」を自宅の書架から取り出し、目を通した。
 クリストフは幼いころから音楽の才能があった。その才能を買った父は「神童だ」として、将来の金もうけのためクリストフにピアノを仕込む。その指導の仕方は子供には残酷なほどのものだった。一方、作曲の才能を見つけた祖父は「おまえがいい音楽家に、偉い芸術家になって、家庭と音楽と祖国とに名誉を与えるとき、おまえが有名になったとき、思い出してくれ。おまえの音楽を一番最初に見つけて、おまえの未来を予言したのはこの年寄りのおまえのおじいさんだと言うことを」と諭す。

 そのクリストフに伯父のゴットフリートは月の輝く野の中で、カエルたちのお喋りを聞かせ、牧場の中のガマのフリュートのような声を聞かせ、こおろぎの鳴き声を聞かせる。風が木の枝を静にそよがせる音を聞かせ、川の流れの音を聞かせる。そしてクリストフに「あれらの方がおまえが作ろうとしている(音楽の)どんなのよりももっと良く歌っているじゃないか」と話す。
 そして大地や空気や水の息、飛んだり跳ねたり、泳いだりして暗やみの中にうごめいている小さな生き物たちの歌と叫びと雑音、それから雨と好天気とを前ぶれする徴候、夜の交響曲の無数の楽器を聞き分けることをクリストフに教える。これこそ「神さまのつくった音楽だ」と。

 そしてクリストフがこれこそ自信作だと思って作曲した作品をゴットフリートに聞かせても「ぜんぜん良くないよ」と否定し、「おまえは作曲のために作曲した。えらい音楽家になるために、人に感心してもらうために、作曲した。おまえは傲慢だった。音楽はつつましくて、真実であることを望むのだ。そうでなかったら、音楽なんかないだろう。真実なほんとうのことを言うためにこそ、美しい歌をわしらに贈ってくださっている神さまに対する不信だ。冒涜(ぼうとく)だ」と叱る。

 翻訳物の小説は文章が硬質なせいか、頭が固くなってしまった自分にはもう読む気にはなれないが、夕暮れ時、蜩たちの悲痛とも言える鳴き声に耳を傾けているうち、ゴットフリートとクリストフとの音楽のやりとりを思い出し、「ジャン・クリストフ」をひもといた。虫や水の音、風の音こそ神さまが贈ってくれた音楽だ。ゴットフリートのこの言葉こそ音楽だけでなく、モノを書くものにとっても、絵を描くものにとっても、いや人間として生きるすべてのものが大切にしなければならない謙虚さ、“心”かもしれない。

 音楽に詳しいわけではないが、確かにベートーベンの交響曲「田園」の中で描かれた小川の情景や小鳥たちのさえずり、「月光ソナタ」のあの青い月の光の織りなす繊細な影など、ベートーベンが作った数々の音楽の中の見事な自然描写は、虫たちの鳴き声、小鳥たちのさえずり、風の音、木の葉の擦れ合う音、月の光、小川の音など自然の中の交響曲から学びとったものかもしれない。

 蜩たちのソプラノ、そしてカラスのバリトン、トンビのテノール。いつも歩く堤防にもそして杉林の中にも、川の中にも、空にも、風にも、自然が織りなす音楽と絵がある。そうした一つひとつに感動し、驚く心を大事にしたい。