こちら編集室「時間の不思議」(8月10日)

 「時間よー。止まれ!」。昔、NHKテレビに時間を自由に止められる超能力を持った少年を主人公にしたドラマがあった。中学生か高校時代に楽しんだドラマだからもう確かな記憶ではないが、少年はこの星(地球)の人たちが危険な場に出あっているのを目にすると「時間よー。止まれ!」と叫んで、時の流れをストップさせた。時間が止まるとその瞬間から人もすべての物体も動きがストップし、少年は危機一髪で災難から人を救い出すのである。

 例えば山から大きな岩が落ちてきて、その下敷きになろうとしている人がいる。少年は時間をストップさせて、落石を止め、その下敷きになろうとしている人を念力によって安全な場所に移動させるのである。時間がストップしたと同時に人は意識も失い、気がついてみると目の前に大きな岩が転がり落ちている。確かそのような設定のドラマだったような気がする。列車と列車が暴走し、今にも正面衝突しようとしている。少年はやはり時間を止め、列車の進む方向を一瞬のうちに変え、事故を防止させる。

 少年はこうしていろんな人を生命の危機から救った。暴走する車に跳ねられようとしている人がいる。少年はすぐに時間を止め、車の動きをストップさせ、死の危険にさらされている人をその場から救い出し、安全な場所へと移動させてから時間を解除させる。車は何事もなかったかのように走り、救われた人も何事もなかったかのように歩き出す。

 西山の夕景色時間を素材にした夢のあるドラマだったとの思いがある。確かに人はこの時間の法則によって運命が左右される。例えば今の車の話だが、運転中に子供が目の前に飛び出して来た。急ブレーキを踏んだが間に合わなかった。子供は路上に投げ出され、転倒する。その様子を見て、運転していた人は気が動転することだろう。そして救急車を呼び「何とか助かってくれ」と祈ることだろう。駆けつけた警察官から事情を聴かれ、事故原因を追求されながらも「あの数秒の時間を元に戻せるものなら」と悔やむことだろう。ましてや酒酔い運転だったならなおさら「酒さえ飲まなかったら」と過去を悔やむことだろう。

 大急ぎで駆けつけた空港だったが、飛行機は飛び去った後だった。「ああ大変だ。あの飛行機でないと約束した時間までは着けない。大変なミスをしてしまった」とガックリ肩を落とした人がいる。だが、飛び立った飛行機はそれから数分後、予期せぬ事故によって墜落する。乗客全員が絶望と言うニュースが飛び込む。飛行機に乗り遅れた人は身代わりとなった人たちの不幸に心痛めながらも、その飛行機に間に合わなかった幸運に感謝することだろう。逆に乗っていた人たちは墜落が目の前に迫った恐怖と機内の阿鼻叫喚の叫びの中で「なぜこんな飛行機に乗ってしまったのか」と不運を嘆くことだろう。

 会社の団体旅行で温泉ホテルに泊まり、どんちゃん騒ぎの最中に急用で呼び戻されたサラリーマンがいる。「ああ。なんで俺だけが」と不平を言いながら、ホテルを飛び出し、夜行列車に乗って帰社し、誰一人いない社内で徹夜の仕事を済ます。そして朝になって新聞に目を通したら社会面トップは「ホテル火災」の大見出しが踊り、夕べまで一緒に飲んで騒いでいた仲間全員が、その犠牲になってしまった事を知る。同僚たちの突然の不幸にサラリーマンは悲しみ、驚きながらも、自分だけ呼び出されて助かった神のいたずらに感謝することだろう。

 時間は人間の運命をかくも左右する。それは偶然性だが、まさに運否天賦の差で、生死は天に任せるほかにない。本当に数秒の差で事故に遭わずに済んだり、犠牲になってしまうことがある。時間とは何だろうと不思議に思う。いずれにしても過ぎ去った瞬間は取り戻すことはできない。映像でなら時間を逆戻りさせる事は可能だが、それはあくまでもフイルムの中の世界であり、現実の時間ではない。

 映像で、と言うのは例えば水の入ったコップを机の上に置く。それを床に落とすとコップは散り散りに砕け、水も床の上に散る。その瞬間をカメラで撮影し、そのフイルムを逆戻りさせると、散り散りに砕けたコップが元の形に戻り、水を満たし、空を飛び、再び机の上に戻る。しかし、映像での話であって、割れたコップはやはり元には戻らない。

 「時間よー。止まれ」。そんな超能力を持った少年がいたらいいだろうなと思う。こののような少年がいたら大阪の池田小学校での悲惨な児童殺傷事件も、北海道であった幼い姉弟3人が24歳の男に殺傷された事件もなかったことだろう。あの少年ならきっと犯行の直前に時間を止め、その男を取り押さえ、子供たちを無事に救ったことだろう。それにしてもなぜこうも幼い命を虫でも殺す様に奪ってしまうのか。あまりに残酷だ。子供を失ったご両親、ご家族の悲しみと怒りは計り知れないことだろう。学校も家庭も安全とは言えなくなってしまった。嫌な世の中になってしまったものだ。

 本当に「時間よー。止まれ」。そんな少年がいたらいい。ミスしても、罪を犯しても元に戻してもらい、やり直しができるからだ。だから人はタイムトンネルやタイムマシーンを想像し、時間を自由に操りたいと思うのだろう。昼食時に良く通っている近くの食堂にはマンガ雑誌が置いてある。待っている間の退屈紛れに目を通すのだが、偶然なのかどうか2種類のマンガ誌にタイムスリップによって過去に紛れ込んでしまうドラマと、過去から現代へと飛び込んでしまうドラマがある。一つは現代の女性が宮本武蔵の時代に飛び込んでしまうものであり、一方は幕末の京都で大暴れしている「新撰組」の近藤勇や土方歳三、沖田総司らが現代の京都に現れ、大騒ぎとなる漫画である。

 タイムスリップによって400年前の昔の時代に流され、宮本武蔵と行動を共にすることになった現代の女性は歴史小説で武蔵を良く知っているから「あなたは今度はこうなるのよ」と武蔵の行く手を次々と予言する。「なぜ先のことが分かるのだ」と頭が混乱する武蔵に女性は「だって私は武蔵さまの生きた時代からずーと後の時代に生れた人間よ。武蔵さまの事なら歴史の本ですべて分かってるわ」と話す。

 武蔵はさらにその女性の持っているデジカメのモニターを観て「これがお前の住んでいる未来の日本という世界なのか」と驚く。映像には大都会のビル群が映っており、不倫の恋をした時に映した男性とのツーショットもある。「これがそなたの連れ合いなのか」と男の映像を見て聞く武蔵。そしてその女性のヌード写真を目にし「あら嫌だ。そんなに見つめないで」と彼女は照れる。

 歴史上では女嫌いとなっている武蔵だが、タイムスリップして武蔵の時代に舞い降りた女性は不倫の恋によって傷ついた心を癒そうと憧れの武蔵を誘惑する。武蔵は彼女の情愛にほだされて初めて女を抱く。「武蔵さまは女嫌いではなかったんだ」と現代の女性は歴史を変えた喜びに胸いっぱいになる。そしてある一瞬、女性は見えない幕、ある空間に手を伸ばすと両手がスーッと消えていくのを目にし「ああ。この見えないトンネルをくぐると私の生きている現代に戻れるのね」と喜ぶのだが、武蔵の呼ぶ声に気付き、武蔵への愛を求めて戻ってしまう。漫画のストーリーはまだ途中で今後、どのような展開となるか分からないが、興味津々だ。

 時間を知りたくて物理学者のスティーヴン・ホーキング博士の「ホーキングの最新宇宙論」を手にしたが、読めば読むほど頭は混乱する。「宇宙には時間の始まりがあるのだろうか。終わりはあるのだろうか。宇宙の空間の広がりには限りがあるのだろうか、それとも無限に広がっているのだろうか」。宇宙が始まったのは100億から200億年前とのことだが、その始まりのナゾを解くには科学者の目を通り越して、神の領域に近づくことでもあるようだ。だが、いずれは宇宙を解明する完全な理論への突破口を開かれるだろうとホーキング博士は結論付ける。分かったような分からないような時間のナゾだった。

 さてその時間、考えても考えても結論は見いだせるものではなかった。ただ言えることは時間を大切に生きたいということだ。一日、一日、健康でさえあればいい。そして平凡でいい。今日一日、何もいいことがなかったと思っても、悪いことさえなければそれでいい。夏の夕暮れを楽しみ、冷えたビールとお燗をしたお酒を楽しみ、少しだけ本を読み、眠くなったら休む。この繰り返しでいいのではないか。平和こそ一番だ。そして困った時が起きたら「時間よー。止まれ」。そう叫んでみよう。

 明日からお盆休みに入る。ケンニチも特別な取材がないかぎり、14日までは更新を休むこととしたい。