こちら編集室「お盆休暇」(8月17日)

 良くできた人だなと思う。我が家に来てくれるお坊さんである。22年前の9月に77歳で亡くなった父のために買い求めた仏壇にはその後、88歳で亡くなった母と、独身のまま50代で横浜で病死した兄の3人分の位牌が納まっている。その3人の仏さまのためにと月に一度はお坊さんに来てもらい、お経を読んでもらっている。共働きのため、ほとんどは留守中に来て、お坊さん一人で法要を済ましているのだが、気になっていたのはお坊さんが来た時の小犬のパピーのことだった。柴犬のアキは車庫で留守しているからいいのだが、パピーは居間のケージの中で過ごしている。お坊さんが訪ねてくるとどんなに騒いで、読経の邪魔していることだろう。そう思うと申し訳なかった。

 たまたま来てくれる日が日曜日や土曜日だと妻と二人でお坊さんを迎え、仏壇の前に座るのだが、パピーはその間一度は「ワンワン」とお坊さんに向かって吠えても「パピー。いけません!」と注意すると、黙って離れた位置から和室の自分たちとお坊さんの様子を見守っている。中々のお利口さんぶりを示す。

 先日は妻が家に居た時にお坊さんが来て下さった。そしてお勤めを済ましてもらった後に「いつも犬がうるさくして申し訳ありません」と謝ったと言う。それに対するお坊さんの答えが良かったと妻。「いやいや。こんにちわと玄関を開けるとワンちゃんがケージの中から飛び上がるようにして『良く来た。良く来た』とお迎えしてくれるし、仏壇の前に座ってお経を読み始めると吠えるのを止めて、黙って静かに聞いてくれてます。そしてお勤めを済ませ、立ち上がると『ご苦労さん。ご苦労さん』とワンワンやります。良く出来たワンちゃんですよ」。

 「私、お坊さんのお話しを聞いて感動しちゃった。パピーがケージの中で飛び上がって吠えても、あのお坊さんはそれを迷惑とも思わず、歓迎してるんだと善意に解釈してくれてるのよ」。こちらもその話には「さすがは」と感動し、改めてお坊さんへの尊敬の念が高まった。お坊さんは大曲市角間川町の浄土宗「浄蓮寺」の住職・高橋龍史さんで、自分たちと同年代の方である。

 このお寺さんのことでもう一つ忘れられない思い出がある。父が亡くなって悲しみにくれている時、戒名をどうするかで悩んだ。「院号」を付けてもらうかどうかだったのである。集まった親類や兄たちからは「頑張った親父のためだ。『院号』を付けてもらいなさい」と勧められた。初めての仏事だったため、喪主としてどうすべきなのか右も左も分からない当時だった。ただ漠然と戒名もお布施の額によって「居士」か「院号」かが決まるとは聞いていた。

 亡くなった翌日の朝にお寺さんに来ていただき枕経を読んでもらい、葬儀の日程などを打ち合わせした。当時はまだ高橋さんのおじいさんが健在で、来て下さったのはその和尚さんだった。厳格で仏の道一筋に生きている方だった。学問にも優れ、中央の仏教学会にも名の知れた方だったと伺っている。そのお坊さんが帰った後、兄弟、親類との相談の結果を受けて妻と共にお寺を訪ねた。「どうか父の戒名に院号を付けて頂けないものでしょうか」。

 私たちを迎えた和尚さんは眠る様な眼差しのまま、静かな口調で語り出した。「君たちの気持ちは良く分かりますよ。でも仏に院号を付けると言うことは、このお寺に対してこれからどの程度、君たちが付き合ってくれるかにかかっている。お寺の様々な催しや行事に若い君たちは時間を割いて付き合いきれるだろうか。君たちはまだ若い。お父さんに院号を与えたいと言う気持ちは分かるが、無理をする必要はない。君たちのお父さんは仏を信じた、律儀な人だった。だから『瑞雲』というおめでたい名を戒名に入れた。『雲』と言う文字は私の戒名の一つでもある。これでも不満足かな」とこんこんと諭されたのが忘れられない。そして孫の高橋さんも「伊藤さん。仏さまのためにあまり見栄を張る必要はないんですよ」とまで言ってくれた。

 お寺と言えば「葬式の費用だけでこれだけのお金を取られた」「院号を貰っただけで何十万も取られた」など、お金にまつわる話が多い。亡くなったおじいさんに代わって浄蓮寺を受け継いだ高橋さんとはその後も我が家の法事で何度もお酒を共にし、話を伺った。「私は亡くなったおじいさんに『決してお寺に金を取られた』と後ろ指をさされるようなことをしてはならないと聞かされました。ですから葬儀の時のお布施や戒名料はいくらとかは自分の口からは言いません。お布施はお寺に対する志ですから、お気持ちを頂ければいいのです」と話す。亡くなったおじいさんの厳格な性格を受け継ぎながらも、こざっぱりした人柄の方だ。

 お盆休みとなった13日と14日は我が家でのんびりと過ごした。13日も曇り空だった。その前の日も、その前日も空はどんよりと曇り、朝夕はむしろ涼し過ぎるくらいだった。今年の夏は関東や関西は異常な暑さだと騒がれているが、こちらは「暑い」と感じさせる日がない。夏はTシャツに半ズボン姿で犬を連れて歩く。時にはその姿では涼しさを通り越して寒ささえ感じるほどだった。こんな夏は寂しい。どんなに暑くても夏は青空があって、焼き付ける様な太陽の日差しがあってしかるべきだ。涼し過ぎたためかアブラゼミも蜩(ヒグラシ)の声も鳴き止んだ。セミたちも8月に入ってからの雨と曇り空の日々に短い命を終えたのだろうか。いつも歩く杉林はシーンと静まり返ったままだ。

 その涼しい夏もやっと14日から天候が回復し、暑くなってきた。かんかん照りの中、やっと夏らしい暑さが来たかとホッとしている。お盆休みも終わった。残り少ない夏を楽しもうと思っている。