やはりチャイコフスキーだった。犬を連れてブラブラと歩きながら、ごく自然に遠い昔聞いた音楽のメロディーを思い出すことがある。それはクラシック音楽もあれば、映画音楽の時もある。童謡もあれば、もちろん流行歌だって多い。音楽とは不思議なものだ。10年も20年も昔のことなのに、体の中を流れる血液のように音が脳細胞にしみ込んでいる。それがふとした切っ掛けでよみがえる。
だが、今回のメロディーは浮かんだとはいえ、どうにも輪郭がハッキリしない。いろんな音が断片的に流れるのだが、すぐに消える。浮かんでは消える音を探ろうと記憶の糸をたぐり寄せ、もっと鮮明なものにしたいと紡ぎ出す努力をしても泡のように弾けた。ただ弦楽器だけがとても重苦しく、深い悲しみを伴って流れた。まるで死とは「甘美」な世界なのだと言わんばかりに死への憧れを誘った。だれの曲だろう。気がかりだった。確かめてみたい。そう思って妻が出張で留守となった夜、お酒を飲みながら久しぶりに古いレコードを取り出した。やはりそうだった。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第4楽章が紡ぎ出す、悲しみだった。弦楽器とホルンの響きが誘い出す憂鬱さだった。
自分勝手な解釈で間違いかもしれないが、チャイコフスキーは交響曲「悲愴」の第4楽章では、死への憧れを曲想としたのではないだろうか。そうでなければこうも甘美な悲しみはない。ちょうど作家の太宰治がその作品を通じて自己の死を追い求めたように、チャイコフスキーも音楽を通して、死とは悲しむべきものではなく甘美なものであると訴えたかったのではないだろうか。久しぶりに取り出したレコードでチャイコフスキーの音楽を聞きながら、「死とはこのようなものだ」とマリアさまから手をさしのべられ、天に召される幸せを情景に描いて音楽を完成させ、それから間もなく亡くなったと言うメランコリックな作曲家・チャイコフスキーの悲劇を想った。
とても贅沢なことだが「もういい」と自分の人生に「終止符」を打ちたくなることがある。もう充分に生きたと「諦観」の念に陥る時もある。自分自身を嫌いになったわけではない。自分を持て余しているわけでもない。なのに厭世観と言えるような気持ちが一瞬、過(よぎ)る。疲れたせいもあるかもしれない。回復したと思っていた胃の調子が再び思わしくなくなったせいもあるかもしれない。歩いていても「もういいや」とやけっぱちで憂鬱な気分になる時がある。そして「もういいか」と自分自身に語りかけ、「ふー」と息を飲み、思い返しては「いやもっと頑張ろう」と自分を励ます時がある。チャイコフスキーの交響曲「悲愴」が耳に響いたのは、そうした気分の落ち込みのせいもあったかもしれない。見上げた空にはうろこ雲が広がっていた。
以前にも書いたが、チャイコフスキーの音楽と出あえたのは高校時代に父にねだってやっと買ってもらったステレオのおかげだった。ドボルザーク、ベートーベン、モーツアルト、バッハ、シューベルトなどいろんな音楽家の作品に接したが、この作曲家の感傷的でメランコリックな音楽が特に好きだった。「白鳥の湖」の体にしみ入るような美しく、ロマンチックなメロディーには童話の世界を歩いているような夢を与えられ、ピアノ協奏曲「第1番」の情熱的な出だしには心躍らされた。そして交響曲「悲愴」には死の悲しみよりも、甘美さにむしろ喜びを見いだしたものだった。
初めてこのレコードを買い求め、自宅のステレオで聞いた日は今でも鮮明に思い出される。父と母を強引にステレオの前に座らせ「これがソビエトの作曲家・チャイコフスキーが作曲した『悲愴』という交響曲なんだ。聴いてみて」と興奮しながら説明したものだった。音楽と言えば民謡や浪曲しか馴染みがなかった父と母には、クラシック音楽はどんなに迷惑なことだったろう。それでも自分を含め、3人きりの平和な時間を堪能しようとした父と母は嫌な顔一つもせず、黙って座っては長い時間、聴いていた。ただ母だけが「マア。オラ、こんな難しい音を聴いていると頭が痛くなる」と立ち上がってせっせと囲炉裏のある部屋に戻って縫い物の針を動かしていたものだった。
ともかくクラシック音楽も童謡も、そして映画音楽も流行歌も、人にはそれぞれの喜びや思い出、悲しみや生きる勇気を運んでくるものだ。映画では何と言っても忘れられないのがミュージカル「ウエストサイドストーリー」であり、ドクトル・ジバゴの「ララのテーマ」であり、「ひまわり」や「ある愛の詩」などだ。いや映画ならもっとある。イタリア映画の「鉄道員」や「刑事」のあの「アモーレ、アモーレ、アモーレミーヨ」と言った悲しい調べ、それに何と言っても青春の血を沸かせたアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」などはとても印象深い。そしてジェームズ・ボンドが大活躍した「007」にも素敵な歌が挿入されていた。
日本映画では松本清張のハンセン病患者をテーマにした「砂の器」や明治時代、青森の軍人がロシア戦に備えて冬の八甲田を歩いて多くの犠牲者を出してしまった悲劇を描いた「八甲田」、そして高倉健主演の「冬の華」などが忘れられない。映画「砂の器」は音楽も良かったが、映画が原作を乗り越えたと言っていいほどの傑作だった。それに何よりも映像がきれいだった。ハンセン病に冒された親子が巡礼の旅を続けるシーンは見ていて何度、涙を流したことか。「宿命」と題したピアノとオーケストラの壮大な演奏は感動以上のものだった。そして「八甲田」では真冬の十和田湖の厳しい自然を描いた描写力が見事だったし、音楽は多くの軍人が冬の八甲田で遭難死すると言う悲劇を充分にリアルに予告した。「冬の華」では高倉健が悲しいやくざを描いて、クロード・チアリのギター伴奏がその後を慟哭する少女のように追いかけた。
こんなふうに音楽はクラシックであれ、映画音楽であれ、童謡、そして歌謡曲であれ、人間の一生にいろんな思い出を残してくれる。ドボルザークは「新世界」で希望を、ベートーベンは「運命」や「合唱」で生きる勇気を与えたし、モーツアルトは喜びを、シューベルトは恋の悲しみを歌って聞かせてくれた。シューベルトの交響曲「未完成」、そしてピアノソナタ「さすらい人幻想曲」も忘れられない。歌謡曲だって多くの恋の辛さを代弁してくれた。30代のころ因幡晃の歌に惹かれたことがある。大館市出身と言う同じ秋田県人と言う身近さがそうさせたかもしれない。鮮明な映像のように思い出されるのは「わかって下さい」だった。
29日午後、田沢湖高原を走った。一面のススキが自分を迎えた。高原はもう秋がいっぱいだった。田沢湖が遠くに少し霞ながらも秋の日差しを受けてキラキラと輝いていた。車を止めて田沢湖を見下ろした。随分前から自分の心に巣くっている傷みが、少し疼(うず)いた。チャイコフスキーの交響曲「悲愴」が再び静かに頭の中を流れた。ススキが風に揺れ、銀色に輝いた。一枚の病葉(わくらば)が風に運ばれて音もなく自分の足元に散った。ブナの葉だった。死への甘美。いや、チャイコフスキーは交響曲「悲愴」で死を美しいものと描こうとしたものではない。悲しいものだと語りたかったのだ。悲しみを乗り越えて生きる勇気を与えたかったのだ。そう思い直した。
これから淋しい秋です。
ときおり手紙を書きます。
涙で文字がにじんでいたなら わかって下さい。
因幡晃の「わかって下さい」の歌が初秋の高原には良く似合った。少し寂しくても、元気を出して歩こう。そう思った。人は時には悲しむし、苦しむ。苦しんだり、悲しんだりするのは生きようとするエネルギーがあるからだと誰かが言った。その通りだと心から思った。チャイコフスキーのメランコリックな気分から脱皮し、青い空と白い雲に希望を託して眺めよう。白樺の青い葉、ブナの木の青い葉が燃え尽きて散る前の命の喜びにあふれているようだった。久しぶりに歩いた田沢湖高原。初秋の風が爽やかだった。