朝夕は半袖ではもう歩けない。それほど肌寒い季節となった。長袖のワイシャツに薄い運動着を着ての犬の散歩となった。もう少しすればセーターの重ね着となることだろう。空もすっかり秋空となって、雄物川の向こうの西山を焦がす夕焼けが美しい。真っ赤に燃えた太陽が雲を茜色に染め、山々を影絵のようにし、空を次第に暗い紫色に染めて沈んでいく。夕景色は消え行くはかなさを感じさせて寂しい面もあるが、明日への希望も持たせる。家々に灯が着くころの時間帯が好きだ。家庭という生活の動きが感じられるからだ。暗紫色に染まった空をカラスの群れがねぐらを求めて帰っていく。
このところ自分の携帯電話にいわゆる“迷惑メール”が集中して入るようになった。最初のころの1通、2通はもの珍しさもあって、その刺激を半ば楽しんでいたが、1日に10本以上も入ってくるとさすがにわずらわしい。いわく「本格的な大人の交際をしませんか」「間違いなく出あえます」「エッチな女の子がいっぱい」などメール内容はどれもこれも同じようなものだ。
笑われるかもしれないが、iモードを使っていてもこちらはそうしたメールに書かれているアドレスに接続する方法さえ分からない。おまけに最初のうちは削除の方法さえ分からず、目を通してはそのまま放っておいた。しかし、黙っているとたまる一方なので削除の方法を教えてもらい、削除、削除の繰り返しとなった。それでも1日2?3本程度なら許せた。ところが最近では削除しても、削除してもその十数分後にはまた別な所から同じような誘いが入ってくるようになった。
こうなるとさすがに腹が立ってくるし、わずらわしい。しかも1時間に3本、4本と送られてくるといらだちも募り、ベルが鳴るつど「またか」と顔をしかめてしまう。まるで昔、喫茶店に置かれていたインベーダーゲーム機のような攻撃のしつこさで、次から次へと侵入してくる。しかも、時間も場所も問わない。原稿を書くため神経を集中させている時にも鳴るし、取材中に相手と話をしている時にも鳴る。車の運転中にも鳴るし、本を読んでいる時にも鳴る。朝目覚めて携帯電話をチェックすると「着信メールあり」の文字が浮かんでいてうんざりする。
「大人の交際をしませんか」。手あか染みた言い回しの文面を見て「うるさい。いいかげんにしろ!」と怒鳴りたくさえなる。モーゼの「十戒」を人生哲学にしているとは口にも出せないが、顔も見えない相手からの誘いにニヤニヤと手を出すほどの好奇心は持ってない。加えて、どこかの裁判官が裁判官に裁かれたように、自分自身そうした世界に飛び込んで、自分でテレビや新聞にニュースを提供するような立場にだってなりたくもない。放っておいてくれと言いたい。
それにしてもこの業界の言う「大人の交際」とは何か。結局は男の下心を「すべてお金で解決します」と謂わば男女の出会いや交際のすべてを金で処理し、後腐れのないようにするということなのだろう。
確かに男と女、時にはやっかいな問題も生み出す。家庭を持つ男性の場合、いやその逆の場合でも、男女が友情を超えた深い関係になると世間からは“不倫”として括られ、指弾されることだろう。家庭を犠牲にして愛に走るのは身勝手だし、不幸だと言われよう。しかし、世間からどんなに道を踏み外した“男女の仲”と言われても二人の間に流れている熱い感情が、愛によって育まれた“純粋”なものであればあるほど燃え上がることだろう。背徳の呵責は受けても、どう折り合いをつけるべきか苦しむはずだ。だからこそ、そうした男女の感情を単に汚れたものとして批判はしたくない。難しいことだが・・・。
人は小説や映画、テレビの中で不倫の男女が綾なすドラマには夢中になってしまう。あまり好きになれなかったが、ベストセラーとなった小説「失楽園」のように結局、人は生きている限り、恋と言う危険で時には甘く、時にはほろ苦い薬に潜在的な憧れと恐れ、願望を持っているはずだ。それが男と女の織りなす世界だ。だからこそ小説は多くの名作を生み、映画も数々のドラマを生んだ。なのに迷惑メールが売り込む男女の出会いは、そうしたロマンはちっとも感じさせない。文学らしささえあったものでない。お金で片づけばいいと砂漠のように乾いた心だけがかいま見得るだけだ。
ともかく、縁あってそうした出会いとなったら、大人なら二人だけの問題として受け止め、時間をかけてでも静かに感情を眠らせることだろう。いささかでも家庭に愛があるなら、それを壊してはいけない。不幸を作ってはいけない。ましてや男なら相手に迷惑をかける行為に走ってはいけない。矛盾するが、そうした危険が孕んでいるからといって、お金で解決する「偽りの恋」に走るのもいやだ。だからメールでの恋の売り込みは結構だ。それこそ余計なお節介である。ケンニチは迷惑メールのおかげで、変な方向へと走ってしまった。許されたい。
それにしてもこの業界、コンピューター技術に関しては相当、高い能力を持っているのだろう。それだけに余計、腹立たしい。どのようなシステムで、男女の出会いが商売になるのかは分からないが、お金にさえなれば相手がどんなに迷惑だろうと手段を選ぶ必要はないとでも考えているのだろう。どこのどなたが思いついたものか、浅ましい世界があるものだと唾棄した。結局、携帯電話でのメールの受信機能はメールを交換する相手もいないことからNTTドコモへ走って受信拒否にしてもらった。そのおかげでやっと静かに過ごせるこのごろとなった。
静かに過ごしたい。誰にもじゃまされず、余計なお節介も受けず、仕事の合間に余暇を見つけたら本でも読んで静かに時間を過ごしたい。それがいつも原稿と時間に追われている自分のささやかな願望だ。図書館に走って本を読む、そのちょっとした時間は貴重な憩いの時間だった。心休まる時間だった。それを打ち破ったのが迷惑メールだった。みんなはどんな対策を取っているものだろうか。鳴りやんだ携帯を手に今度は静かすぎる事に戸惑っている。こういう時にこそどこかから甘いささやきでもかかって来ないか。あり得るはずも無いのに勝手な想像を浮かべ、邪心が募るから困ったものである。今夜は赤いネオン街でも歩いてみようか。