書店で偶然手にした「外車」と言う雑誌の表紙を飾り、そのスマートさに一目ぼれして買い求めた車だった。それがもう7年にもなった。そろそろ買い換える時期かとも思ったが、不満に思える所が一つもないし、どこもガタ付く所もない。いや、それ以上に経済的なゆとりもないのでそのまま車検を取った。走行距離は10万キロを超えた。あまり手入れのいい方ではない。そのせいか、シルバーメタリックの車体には、うっすらとまだら模様が浮き上がっていた。いくらワックスがけをしてもそのまだら模様は落ちず、自分の手入れの悪さのせいだと諦めていた。
売り込みをすることは滅多にないガソリンスタンドの主人が珍しく「伊藤さん。車の汚れ落としをしてみないか」と遠慮がちに言った。「汚れ落としって、車はさっき洗ってもらったばかりだけど」と首を傾げた。その主人は「ちょっと来てみて」とスポンジに白い液体をしみ込ませ、自分の車の屋根を拭いた。見るみるうちに屋根に浮かんでいたまだら模様は消え、輝きが増した。「エーッ。このまだら模様は汚れだったの!」「そう。水垢(あか)なんだよ。この薬で磨くと落ちるからどう?」「おー。やってやって。お願いするよ」。
半日は掛かるが、5000円の料金で車全体の水垢による汚れを落とし、ワックスがけもしてくれると言う。警察、市役所へと顔を出して用事を済ませ、ガソリンスタンドに車を預けた。その日の夕方、仕上がった車は自分の居ない時に会社に届けられていた。目を見張った。まるで新車のようにピカピカになっていた。気になっていたまだら模様はすっかり消えていた。誰かのイタズラか嫌がらせだったろう。数年前にボンネットに付けられた傷もほとんど分からないほどになっていた。油汚れで黒ずんでいたタイヤのアルミホイールも新品同様の輝きだった。
すっかりきれいに生まれ変わった自分の車をためつすがめつ眺め、ガソリンスタンドに料金の支払いを兼ねてお礼に行った。「伊藤さん。タイヤホイールだけで1本1000円は貰いたいほど磨きました」と従業員は冗談を交えながら強調した。「本当にきれいにしてもらって」。こちらは大満足だった。従業員は「イヤー。さすがに外車です。磨けば、磨くほど輝きが違ってくるんです。本当に塗装が違う」と感心してくれた。生まれ変わったような自分の車の輝きを見て、運転するのが再び楽しくなった。「買い換える必要なんて全然、ない。もっと乗ろう」と心に決めた。
こうして喜んでいたら、その翌朝の新聞には外務省の職員がホテル代詐欺で逮捕され、その職員が乗っている車がデカデカと紙面で紹介されていた。「ハイヤー会社から格安で譲り受けたドイツの高級車BMWで出勤する浅川明男容疑者」。新聞に載った車の写真を見て、「ウーン」とうなってしまった。車種は違うが、自分の車もBMWである。「こんなやつもBMWに乗ってるのか」と腹立たしくなった。
でも違う。こっちは他人から一銭も援助してもらったわけでない。買い求めるまで妻を3年も説得してやっと購入した車だった。それに浅川容疑者が乗ってる車はセダン、こっちはクーペだ。スマートさが違うんだと否定した。ともかく7年間付き合った車が生まれ変わったようにきれいになった。そのおかげで本当に車を運転するのが楽しくなった。エンジンもBMW独特の低く響くような音で回転し、スムーズに加速する。260キロまでとなっているスピードメーター。そんなスピードは出したことはないが、きれいになったせいか走りまでスムーズになったような気がする。
人間って単純なものだ。あるいは自分だけかもしれないが、大事にしているモノがちょっとだけでもいい方向に変わると気分も一新する。車検を取った際にデーラーはサービスでエンジンもきれいに洗ってくれたようでピカピカだった。そして今度はボディーのクリーニング。たまにはプロに洗車を任せるのもいいものだ。きれいになった車を眺め、ハンドルを握り、子どものように喜んだ。そして11日はその車で漫画家・矢口高雄氏の故郷・平鹿郡増田町へと走ってみた。台風が運んでくる雨が白い糸を紡ぎながら、時々、激しく降った。
漫画「釣りキチ三平」で知られる矢口高雄の故郷を訪ねてみたい。これは以前からの願望だった。漫画はあまり目を通すほどではないが、秋田県出身の漫画家としての矢口氏、その漫画に登場する故郷の素朴な美しい自然を描いた絵にはいつも感心していた。増田町のどこなんだろうと、いつも思っていた。たまたま妻が同町の上畑温泉「さわらび」で会議があると出かけ、帰ってきてから話を聞いたら、その温泉のある集落が矢口氏の生れた故郷だと知った。
矢口氏は「ボクの学校は山と川」のエッセーで「ぼくのふるさと」と題して「秋田県平鹿郡増田町狙半内(さるはんない)字中村。行政的には町を名乗っているが、町の中心部から20キロほど奥羽山脈に分け入った、戸数70戸たらずの小さな村である」と書く。 十文字町から国道13号線を左折し、国道341号線に入った。間もなく増田町に入り雨が次第に激しくなった。増田町には矢口氏の活躍を記念してオープンさせた「漫画美術館」もある。その矢口氏の故郷は「町の中心部から20キロほど奥羽山脈に分け入った」とあるように国道341号を山に向かって10キロほど走り、上畑温泉「さわらび」の看板を見つけて右折し、そこから8キロほど先の奥地だった。道路沿いには「雪崩に注意」「クマに注意」の看板が立ち、いかにも山間(やまあい)の袋小路に入ったような雰囲気だった。見渡せば山、見上げれば山で、道路を挟んで左右とも山、すべて山に囲まれた孤立した集落だった。その中心部を狙半内川が渓流をなして流れていた。
こんな所であの漫画の美しい絵は生れ、育ったのかと実感した。矢口氏自身そのエッセーで「山襞(ひだ)にへばりついた集落と表現した方が適当かもしれない。襞だから向い山と裏山の間が狭いのである。広いところで500メートルもあるだろうか。おまけに太陽が、その狭いところを横切るかたちに出入りを繰り返すものだから、日照時間が少ないときている」と語る。
とにかく行けども行けども右に山、左に山。その山裾に集落が点在し、田んぼが川沿いに広がっている。杉林を中心とした山からは雨で白い靄(もや)が立ち上がり、まるで墨絵のような世界だった。秘境。そんな表現がぴったりするような山里だった。訪ねる前に寄った増田町役場の観光担当職員は「矢口先生の故郷はそれはもう大変な所で、冬は積雪だけで2メートル以上にもなり、屋根の雪下ろしだけで7回から8回はやらないといけない所なんです」と説明した。そして「先生のお母さんも健在で、矢口先生、何度か東京に呼んだらしいけど『見知らぬ東京で暮らすよりここがいい』と言って、今も一人で暮らしてます」とも話した。
そのお母さんはもう83歳になると言う。「先生は年に数回、里帰りしてはお母さんの面倒を見てますよ」。役場職員は漫画家・矢口氏を心底、尊敬している口調だった。矢口氏の漫画「釣りキチ三平」にはイワナ釣りなど渓流釣りの場面が良く登場する。村を流れている狙半内川を橋の上から眺めて、それが分かった。岩を裂くような渓流がザーザーッと音を立てて、今も流れているのである。
幼いころから漫画に目覚めたものの貧しい大工の家に生まれ、中学卒業と同時に東京に出て就職する予定だった矢口氏。その矢口氏の運命を変えたのは中学の担任だった小泉先生だったということは彼の漫画「蛍雪時代」やエッセー「ボクの学校は」にも良く登場する。雪の降る夜、小泉先生は学校から片道8キロもある道を歩いて矢口氏の自宅を訪ね、両親に「息子を高校に進学させてくれ」と頭を下げる。1939年(昭和14年)生まれの矢口氏。当時は中学を卒業すると就職するのが当たり前の時代だった。「先生、そただこと言ったって、おらたちにゃ高校へなんかいかせる金がねえだ。それに村で今までに高校に入った人間は一人もいねぇ。なにさまでもあるめえし、高校なんて」と顔にシワを寄せ、苦渋の表情をする矢口氏の父と母。
しかし、最後に小泉先生の説得を受け入れたのは矢口氏の母だった。「父さん、頑張ってみるべ。なあにタカオ一人ぐれえ、死にものぐるいで頑張ったらなんとかなるべ」。このひと言が高校進学なんてと頑固に拒む矢口氏の父の首をタテに振らせた。そして町の高校まで片道20キロの道のりを自転車で通学した矢口氏。雪の積もる冬は高校近くに下宿したが、その下宿代を母が身を切るような野良仕事と商いで稼いだと言う。
矢口氏の漫画「蛍雪時代」やエッセーを読んでいると、教育とは何か、と考えさせられる。矢口氏の才能を買って、高校進学を進めた小泉先生。生徒にささげるその愛情は並大抵のものではない。いや矢口氏は小学校時代からユニークな先生たちに恵まれている。小学4年生で出会った担任で絵が得意の川越先生もその一人だ。教室内での勉強よりも、野外に出ての勉強を好んだという川越先生だった。それが矢口氏の子ども時代に強烈な印象を与えた。植物採集、昆虫採集、カエルの解剖、そしてマラソンの途中でおしっこのため立ち入った山の中で見つけたキノコで大騒ぎとなり、先生も交え、子どもたち全員でのキノコ狩り。さらに得意な絵を指導しては「絵は美しいことも大切だが、それだけではいけない。描いた人の驚きや喜びや、時には悲しみや憤りなどの、つまり“心”が表現されなければならない」と語った川越先生の言葉には感動させられる。
「喫茶店も映画館もデパートもない山ん中である。あるのは山々と一本の細い流れ。好むと好まざるとにかかわらず、必然的にそこがボクらの遊び場であり、勉強部屋」とエッセーで強調した矢口氏。生まれ変わった愛車を走らせ、訪れた矢口氏の故郷だった。雨はシトシトと山間の風景を濡らしていた。しかし、山しかなかったその集落に昨年4月、和風の素敵な温泉宿「さわらび」が誕生した。そしてその近くには地元の農家の人たちが運営している地域触れ合い施設が農林水産省の補助で誕生し、手打ちそば「三平」も楽しめる。矢口氏の故郷も単なる田舎から素敵な田舎へと変わろうとしていた。いつか天気のいい日にもう一度訪ねてみたい。そんな心の故郷だった。
その晩だった。平和な眠りに就いていたら妻が突然「アーッ。飛行機がビルに衝突した!」と悲鳴をあげた。こちらは「映画でも見てるんだろう」とそのまま深い眠りに入ってしまった。翌朝、たたき起こされてテレビを見たら信じられないような光景が展開されていた。アメリカでの同時多発テロ。乗客を乗せたまま民間の飛行機がビルに飛び込んでいくなんて。飛行機の乗客は、家族は、そしてビルの中の人たちは、その家族は・・・。あとは胸が重苦しくなるばかりだった。あまりにもひどい、血も涙もない無残な行為である。