濃い紫色の夜空を眺めたら天空に鋭い鎌のような三日月が浮かんでいた。その三日月の前には金色のアクセサリーのように輝く星があった。月に寄り添うようにしてキラキラと輝くその星は「金星」だという。月と金星とのお見合いだった。澄みきった秋の夜空は月が美しい。そして星も輝く。ロマンチックな夜が続く。
人は星の子だという説を何かの本で読んだ記憶がある。人も星もそれを構成しているのは炭素や窒素、酸素などあらゆる元素からなっているからだというのがその論拠だった。人間は宇宙から生れた子どもだとも強調していた。もしも死後に魂だけが自由に宇宙を漂うことができたらまず月を旅したい。アメリカのあの宇宙船を通じて見たクレーターだらけのゴツゴツとした月ではなく、地上から眺める美しい月を旅したい。
童謡「月の砂漠」を歌ったのはいつの日だったろうか。覚えたてのころは満月を眺め、夜の道をとぼとぼと歩きながら得意気に、そしてタップリと感情を込めて口ずさんだものだった。
月の砂漠を はるばると
旅のらくだが ゆきました
金と銀との くら置いて
二つならんで ゆきました
「月の砂漠」が童謡として世に出たのは1923年(大正12年)春だったと「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部・岩波書店)には記されてある。作詞したのは竹久夢二と並ぶ新進気鋭の挿絵画家・加藤まさを(1897?1977)で、児童雑誌「少女倶楽部」3月号に「月の砂漠」と題して詩を発表。その甘美な言葉の世界に引きつけられて曲を付けたのが作曲家を目指して苦学していた佐々木すぐる(1892?1966)だったとある。
しかし、無名の作曲家だけに作曲したその歌は誰からもふり返られず、佐々木はガリ版刷りの楽譜を手にしては全国各地の小学校を回り、音楽の先生たちを相手に聞かせ、世に広げたものだと言う。歌が生れてから9年後の32年(昭和7年)「月の砂漠」はやっとレコード化され、翌年の皇太子誕生(現天皇)を機に爆発的にヒットしたとその本には書かれていた。
さきのくらには 王子様
あとのくらには お姫様
乗った二人は おそろいの
白い上着を 着てました
この美しくやるせない曲を耳にし、歌った時の感動は忘れられない。ただそれがいつだったのか思い出せない。明るい日差しが射し込む小学校の午後の音楽室だけがぼんやりと浮かんでくる。
王子さまとお姫さまがラクダに乗って、とぼとぼと月の砂漠を旅する光景を想像しながら目頭を熱くしたものだった。悲しくて泣いたのではなく、メロディーの美しさに感動して、涙が浮かぶのだった。秋の月を眺めていると、今でもこの「月の砂漠」が思い出される。「ひろい砂漠を ひとすじに 二人はどこへ ゆくのでしょう おぼろにけぶる 月の夜を 対(つい)のらくだは とぼとぼと 砂丘を越えて ゆきました 黙って越えて ゆきました」。
50歳を過ぎた今も小説の中でお姫さまを見つけ、そのロマンに浸ることがある。男の恋は10代や20代で終わるのではなく、50代からだって始まるのだ、と作家たちは読者を元気づける。行きつけの酒場でアルバイトとしてピアノを弾く音大の女子大生と出合い、恋をする小説家の物語だ。50歳になって、娘のような女の子と言葉を交わし、意気投合して夜の街を歩く。おとぎ話のような世界だが、自分自身の心の奥にもそうした潜在的な願望があるのか、いつしかその作家の夢のようなストーリーに浸っていた。作家はその女の子を抱きたくても、抱くことによって憧れが壊れるのを恐れて自制する。愛人ではなく、その女の子の保護者、父親のように親しまれるだけでいいと願望する。
その気持ちは良く分かる。親子ほどの年齢の違う女の子に愛を求めるのは酷だ。未来を描けない愛は悲しみだ。女子大生に恋した作家の自制心と嫉妬心の狭間で揺れる苦悩は、読み手のこちらも辛くなるばかりだった。「ただ、そばにいてくれるだけでいい」。作家の希望はそれだけだった。女子大生と夜の街を歩き、食事し、お酒を共にし、彼女の演奏するピアノの音に酔い、歌う。めくるめくような愛の日々だった。しかし、時は流れ、男の心を理解すればするほど女子大生の不安も悲しみも募る。
いっそのこと女として作家の胸に飛び込みたい。しかし、妻が居て、親子ほど年齢が離れた男の愛人となってどうなるのか。小説はやっとおとぎ話のような虚構の世界から現実を見つめ、女子大生が大学を卒業すると同時に同じ年代の男と好きでもないのに結婚し、作家とは別れる。ハッピーエンドでも、悲劇でもなかった。もしもこのストーリーをそのまま若い女と中年の男との恋として描き続けたら、ピリオドは不幸だけが残ったろう。結婚によって一人立ちした女。残された男には嫉妬心と喪失感、そして心に大きな空白が生れたが、悲しいけれど美しい思い出だけは残った。それで良かったのだ。そう思いながら小説の最後を閉じた。
本を読んでいる時間はいい。忙しさであまり読む時間はないが、休みの合間に少しでも目を通していると心が安らぐ。50代の男が20代の女性に恋をして苦しむ。ゴールのない恋だけに辛い。しかし、読ながらも女子大生が心底好きな作家と別れるには別な男性と結婚を選ぶしかないと現実的な逃避を図ったのは現代的だ。もっと古典的なストーリーだったら行き場を失った男と女の解決の糸口として心中と言う手段を選び、その結末を救いようのない悲劇にしたろう。
月を眺め、このごろの寒さでまた体の弱った柴犬のアキを連れて近くの堤防までの道を歩く毎日だ。童謡「月の砂漠」の美しく悲しいメロディーが心に響く。「私、怖いもん。このままあなたを好きになったら、離れられなくなる。いまなら逃げ出せるわ。私、みじめになりたくない」「ごめんね。20年早く生れていたら、私、あなたの奥さんになれたのに」。月を眺めていたら小説家と恋をした女子大生の声が聞こえてきた。秋の月は悲しいほど美しかった。