こちら編集室「フクロウの夢」(12月7日)

 フクロウの夢を見た。自宅裏の小さな庭に繁っている樹木に生れたばかりのフクロウが群れをなしてとまっていた。茶色の羽毛に包まれたフクロウもいれば、やや青っぽい羽毛のフクロウもいた。みんなまん丸い大きな目をパッチリと明けて、こちらを見ている。どれもとても可愛い顔をしていた。それを見つけた自分は、家の中に駆け込んで「フクロウが生れたよ。フクロウがいっぱい生れたんだ」と興奮気味に叫んでいた。

 夢の中で見た生れたばかりのフクロウがとまり木にしている樹木は何だったろうか。庭にはしだれ桜と花モモ、ナナカマド、ウメモドキ、ポプラの木などが植わっているが、そのどの木でもなかった。夢の中で見た木は鬱蒼とした枝を地をはうように張っていて、緑の葉が視界をさえぎり、フクロウの姿はよほど目を良く凝らしてみないと見えないような役目を果たしていた。

 生れたばかりのフクロウたちはその葉っぱに守られるように枝に足を掛け、縫いぐるみ人形のような可愛い姿で、こちらをただジッと見つめていた。不思議な絵のような光景だった。
 「フクロウが生れたよ。フクロウが生れたんだ」。そう叫びながら家の中に駆けつけたら、なぜか今の住宅ではなく、母と父が元気だったころの古い家に変わっていた。母は台所のコンクリート製の流し台に向かって食器を洗い、「この洗い場をステンレスにしたいものだ。ステンレスなら茶わんを落としても割れないのに。ああ、また割ってしまって」と割れた茶わんを手に嘆いていた。父は囲炉裏を囲んで、川から獲ったばかりのアユを串に刺して焼いていた。妻はそのそばで珍しそうにほおづえをつきながら、魚の焼け具合を観察していた。

 「フクロウが生れたよ。フクロウが生れたんだ」。そう叫んでもだれも振り向いてさえくれなかった。「庭の木にフクロウが生れてとまっているんだ」。何度、叫んでも母は割れた茶わんを手に嘆き、父は黙って魚にくし刺しを、妻は黙って囲炉裏を見つめていた。「おかしいな。なぜなんだ」。珍しいフクロウが生れたというのに誰も振り向いてくれない。「なぜなんだ」。自分だけが孤立しているようなあせりが沸いた。夢はそれっきりで終わった。目覚めたら雪の朝だった。

 あの夢は何だったろう。我が家の庭の木をとまり木にしてフクロウが生まれ、ジッとこちらを見つめている。その光景は絵本のような幻想的なものだった。薄暗い紫色の空を背景に枝が無数に伸び、鬱蒼とした葉っぱの中からフクロウたちが金色の目を光らせ、黙ってこちらを見つめていた。怖いものではなかった。とても親しみを持てる目だった。茶色の羽毛に包まれたフクロウもいれば、青っぽい羽毛のフクロウもいた。ふっくらと膨らんだ腹部、大きくて銀色に輝く愛嬌のある目。もしも自分に絵筆が執れる器量があったら、今だって再現できるあやしく、美しい光景だった。

 フクロウと言えば母の生れた故郷は山間(やまあい)の里の一軒家だった。幼いころ、母に連れられて良く遊びに行ったものだった。駅からしばらく歩き、さらに雄物川を渡る舟に乗ったものだった。舟から下りるとすぐに山が目の前に迫り、その山の麓に張りつくように家が一軒、一軒、ポツンポツンと建っていた。寂しい山里の光景だった。

 そして母の実家にたどり着くとみんなが「オガ」と呼んでいるおばあさんがいて「おうおう。マコ、良く来た。良く来てけだ」と頭をなでて歓迎してくれたものだった。そのおばあさんの優しさが好きで、母の実家に行くのがとても楽しみだった。それに山が目の前にある珍しさもあって、母の実家を訪ねるのは一つの冒険でもあった。

 ただ、夜がとても怖かった。近くにフクロウが羽を休める木があって、夜になると「ホー。ホー」と不気味な鳴き声が聞こえてくるからだ。母の実家のおじいさんが、冗談で言った「マー。悪いことをするとフクロウにさらわれるからな」とのおどしも効いていた。母の実家は風呂もトイレも母屋から離れた所にあった。風呂に入る時は兄と一緒だったから良かったものの、夜、トイレに行く時は一人ではとても怖くて行けなかった。

 夜、眠る前に兄に聞いた。「あのフクロウ。子どもを見つけるとさらって喰うという話をおじいさんから聞いたけど本当だべか」。縁側に座って足の爪を切っていた兄は「まさか。そんなことは嘘だよ」と笑った。夜に爪を切っていた兄の姿を見つけた母が「夜は爪を切るもんでねー。ドロボウが入ってくる」と大声で注意した。

 その声に驚いて腰を持ち上げた兄は「ハイハイ」とつめ切りを放り投げ、あわてて布団になだれ込んだ。こちらはフクロウの鳴き声が耳に入らないよう布団を被って眠った。おじいさんからフクロウの怖い話を聞いたため、眠ってからトイレに行かなくて済むよう夕食時には水分を控えた積もりだった。しかし、やはり深夜に目覚め、トイレに行きたくなった。母を揺り動かして起こし、兄の布団を足で蹴って起こした。「おしっこ出る。おしっこ出る」。泣き声で懇願した。困った母と兄は「便所ぐらい自分一人で行け。男のくせに」と怒ったが「フクロウが鳴いているんだ。フクロウが怖くて」と同行を懇願した。

 兄は「しょうがないなー」と布団から起き出して、母と共に真っ暗な中、外にあるトイレまで一緒に歩いた。おしっこをしていたらまた夜の闇から「ホー。ホー」と地の底にしみ入るような鳴き声が響いた。草木を眠らせ、闇を眠らす不気味な響きだった。全身をふるわせながらおしっこを済ませ、外で待っている母と兄の下へ駆けつけた。

 「フクロウだ。フクロウが鳴いている」。腰に抱きついて怖がる自分の背中をなでながら母は「マア。大丈夫だ。フクロウはただの鳥だ。怖がらなくてもいいんだ」と笑った。そばにいた兄も「そうだよ。フクロウなんてただの鳥なんだ。人をさらったとか、人を喰ったなんて迷信だ」とけんか腰で粋がり、手にしていた石ころをフクロウの鳴き声のする木に向かって思いっきり投げつけた。カーンと乾いた音が闇の向こうから響いた。同時にバサバサッと羽ばたきがして、飛び去る音が聞こえた。

 その音に誘われるように空を見上げた母が「あやー。星がきれいだこと。ホレ。見てみれ。マーも」と夜空を指さした。星屑が無数に夜空に輝いていた。天の川が白い雲のように流れ、星たちのまばたきからは音楽が聞こえてくるような空だった。夏の夜の思い出である。

 それにしても夢で見たフクロウは何だったろう。ステンレスの「流し台が欲しい。欲しい」と言っていた母のために、父は近くの電気屋に走ってステンレス製の流し台を注文してきた。電気屋のご主人がニコニコ顔で流し台を運んで、台所にセットした。左右にいっぱい引き出しがあって、母は「これは便利だ。いろんなものが入れられる」と流し台を両手でなで「ジッチャ。えがった。ありがとう」と目を細めたものだった。我が家に初めて入った文化製品だったような気がする。夢の中では妻が、相変わらず囲炉裏で焼かれている川魚を珍しそうに眺めていた。我が家にステンレスの流し台が入ったのは高校生のころだった。もちろん妻が来る前の出来事である。夢とは不思議なものだ。