こちら編集室「歌を思い出しながら」(12月14日)

 白い朝が続いている。明け方に降った雪は家々の屋根を白く染め、樹木の枝も白くし、白と黒の墨絵の世界を描いている。身を切るような寒さにもようやく体が慣れたのか、このごろでは朝、柴犬のアキを連れての散歩もそれほど辛さを感じさせない。ただ困ったことにアキの歩く距離は日増しに短くなるばかりだ。アキと歩く朝の散歩の楽しみは横手川の堤防から眺める奥羽山脈の風景であり、川の流れとその流れに乗って戯れる水鳥たちの姿であり、時々刻々と変化する雲、公園の風景であった。それがこのごろはできない。すっかり寒さに弱くなったアキは少し歩くだけでもう帰ろうと足を踏ん張る。

 朝夕の風景と草木の観察は自分の心を見つめ、言葉を探すための時間だった。アキが遠出を拒むようになったため、その時間が取れなくなった。アキを連れて歩く朝と夕は言葉を探し、想像を巡らす時間だった。時には高校生のころに馴染んだ歌を思い出し、それを声を出さずに歌う時間でもあった。小林旭の「さすらい」や「惜別の歌」などを思い出したり、石原裕次郎の「泣かせるぜ」や「夕陽の丘」を歌ったりした。

 どちらの歌も声を出しては歌えない。朝は堤防を歩いている人はいないから声を出してもいいのだが、下手な声を出して歌って、もしも他人の耳に入ったらと思うと気恥ずかしい。だから頭の中で歌詞を諳じて無言で歌う。

 このごろでは石原裕次郎の「夕陽の丘」が気に入っている。

 夕陽の丘の ふもと行く
 バスの車掌の襟ぼくろ
 わかれた人に 生き写し
 なごりが辛い たびごころ

 かえらぬ人の 面影を
 遠い他国で 忘れたさ
 いくつか越えた 北の町
 目頭うるむ たびごころ

 今朝から降り始めた雪は大雪となったこの歌の「バスの車掌の襟ぼくろ わかれた人に 生き写し」の歌詞が好きで、高校生のころは歌いながら目頭を熱くしたものだった。当時はまだ、路線バスにも車掌が乗っていて「ご乗車ありがとうございます。このバスは○○行きです」と笑顔で乗客を迎えたものだった。一方でワンマンバスもそのころ、ボツボツと登場していた。

 高校生のころ、バスに乗るのは自転車通学が無理な冬だけだった。自宅近くのバス停でバスを待ちながら、やって来るのはワンマンバスか、車掌が乗ったバスかと心待ちにしたものだった。ドアが開いて「お待たせしました。大曲営業所行きです」の甘い声が乗降口に響くと、得をしたような気分で勇んで乗ったものだった。逆にワンマンバスだと「なんだ。車掌はいないのか」とガッカリしながらのバス通学だった。

 女の人とは不思議なもので、紺色の制服を着るとなぜか花のような清楚さで、美しく見えた。頭に被った紺色の帽子も都会的で、ハイセンスだった。紺色の帽子と黒髪、そして白い顔と赤い唇。高校生にとってバスの車掌は花のようで、憧れの的だった。

 車掌が乗ったバスだとできる限りその斜め後ろに席を見つけ、無言でその後ろ姿を眺めた。次のバス停が近づいて「次は市営住宅前。市営住宅前です。お下りの方がいらっしゃいましたら忘れ物にお気をつけて」。そんな案内の声と同時に後ろを振り向いた時のあの緊張感の入り混じった笑顔は何とも言えなかった。

 そのころ流行ったのが石原裕次郎の「夕陽の丘」だったから、たまらなかった。「バスの車掌の襟ぼくろ」。低音で響く石原裕次郎の声。そして目の前には紺色の制服が良く似合うバスの車掌。「わかれた人に生き写し」のセリフがその車掌の姿とダブって息苦しいほどだった。恋に憧れた高校生にとって、バスの車掌は悲しい恋の「物語」そのものだった。

 年齢は自分と同年代だったと思う。一番、心を燃やしたのはクリクリした瞳がとても愛らしい車掌さんだった。3年間の冬のバス通学だったが、とうとう一度も声をかける機会もなく、高校時代は終わった。ただバスから降りる乗客のためにふり返った時にチラリと見せる緊張感の入り混じった笑顔を見るだけで満足するしかなかった。しかし、声をかける勇気もないため、どこかにポッカリと空白が生れた寂しさはあった。それを紛らわそうと身勝手な想像をめぐらしたものだった。

 例えば今、乗っているこのバスが何かの拍子で事故を起こしてあの車掌さんが転倒したら、自分はいの一番に駆けつけ、救ってやらなければならないとか。もしも乗客があの車掌に文句を言うようなことがあったら、絶対にカバーしてやるんだとか。密かな正義感を燃やし、ソッと拳を握りしめたものだった。残念ながら、いや当然のことだろう。3年間事故もなく、言いがかりをつけるお客もいなかった。

 ただ一度、路面がカチカチに凍った夕方の帰宅途中にバスが乗客を降ろそうと停まったところへガツーンと追突してきた車があった。運転手も車掌も急いで降りてバスの後ろに駆けつけた。自分も含め多くの乗客も降りた。追突した車を運転していたのは30代の男性だった。車はバスの後部バンパーにめり込んでいた。男性はケガをしてるのかどうかは分からなかった。ショックを受けたようで、車からよろよろと出てきた。その男性の腕を握りしめ「大丈夫ですか。ケガはしてませんか」と悲鳴のような声をあげて叫ぶその車掌の姿を見て、こちらはその男性がとてもうらやましくてしょうがなかった。

 そして「バスの車掌の襟ぼくろ わかれた人に 生き写し」という悲しい歌詞だけが思い出として残った。

 話は変わるが、小学校から講師の依頼を受けた。総合的な学習の時間を利用して、5年生を対象に新聞製作と取材の仕方について話をしてほしいとの事だった。相変わらず人前で話すのは苦手だが、子どもたちのためにも断るわけにはいくまいと引き受けた。ところが、どんなふうに話をまとめたらいいのか毎日、四苦八苦している。

 話す内容をパソコンに打ち込んでいるのだが、10日間以上もの時間を費やしてもまだ満足するものはできない。それこそ新聞記者の駆け出しのころ、取材してきたものをまとめようとして原稿用紙を千切っては投げ、千切っては投げの悪戦苦闘したころと同じような毎日となっている。ケンニチの表紙を変えたくても写真を撮る時間さえ見いだせないでいる。

 話す内容は決めた。決めたもののどのような言葉を使ったら子どもたちに伝わるのか、理解してもらえるのか、以心伝心がうまくいくのか。経験がないから雲の上を歩くような心もとなさなのである。

 新聞製作。これならただ記者が取材してきたものを原稿に書き、それをデスクが目を通し、偏った書き方をしてないか、表現に間違いはないか、漢字の使い方、送り仮名のミスはないかなどをチェックし、印刷工場へ回して、記事に見出しを付けて紙面を編集して印刷すると言う過程を話すだけだ。だが、取材の仕方では何をどう話すべきか。頭に浮かんではくるが、パソコンで打ってみると中々、まとまらない。

 新聞記事は「いつ(when)」「どこで(where)」「だれが(who)」「なにを(what)」「なぜ(why)」「どのように(how)」のいわゆる5W1Hが基本となっている。

 子どもたち向けにまず交通事故の記事の書き方を話してみようとまとめた。つまり交通事故や事件の記事はこの原則通りに書かれているからだ。

 12日午前10時半ごろ(when)、大曲市○○町の県道で(where)、自転車に乗っていた同市○○、無職・○○○○さん(70)が、後ろから走ってきた同市××、会社員○○○○さん(24)運転の乗用車にはねられて転倒し(how)、同市内の病院に運ばれ手当てを受けたが頭を打っていて間もなく死亡した(what)。大曲署では○○さんがスピードを出し過ぎていたのと自転車の○○さんが車の直前を横断しようとしたのが原因(why)とみて詳しく調べている。

 これなら5W1Hはどう構成されているか分かる。しかし、一般記事は必ずしもこのような基本原則に則って書いているわけではない。ただ文章の流れの中に姿形を変えて、5W1Hは隠されている。それをどう説明するかがやっかいだった。

 ケンニチに掲載した記事や他の日刊紙の記事のコピーを子どもたちに資料として渡すことにし、その記事の中から5W1Hがどのように配分されているかの分析作業となった。これが至難の業である。自分の記事なら5W1Hも見分けられるが、他紙の記事には場合によっては明確な5W1Hが見つけられないものもある。

 しかし、自分がその記事をどうしても教材として使いたいと思ったのは取材力のすごさが隠されていたからだった。アメリカで9月11日に起きた同時多発テロ事件を扱った特集記事だったが、その事件に巻き込まれた人たちが、その日、どのような行動を取ったのかが見事な取材力を活かし、まとめられていた。取材とはこうしたものだよとの見本になる記事だった。

 結局は自分の記事の中から5WIHを分析し、学校で書く作文にどうそれを応用するかを話し、取材すると言うことは相手から話を聞き出すことであり、そのためにはどこまで話を聞くかの要領を講話してみることにした。その日が明日に迫っている。今、これを書きながらも明日はうまく話を持って行けるだろうかと不安が募る。外は大荒れの雪空となっている。「バスの車掌の襟ぼくろ」。石原裕次郎の「夕陽の丘」の歌が微かに耳に響く大雪の今日は、そう言えば赤穂浪士の討ち入りの日でもある。