<Vol.30>「日本人の中の『ムネオなるもの』」(02・3・16)
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日本人の中の「ムネオなるもの」 デフレ大不況と倒産リストラにあえぐ日本人の鬱積した不満・怒り・フラストレーションが、すべてぶつけられているのではないかと思うほどのすさまじいバッシングの嵐の中で、ムネオさんが自民党離党を余儀なくされました。だが時流子は、あえて‘悪者’ムネオさんの味方をする役目を買って出ようと思います。なぜなら日本人の心情のある部分に共鳴するものが、彼の思想と行動から垣間見える気がするからです。 ムネオさんはエライ。なぜなら2世議員のように‘親の七光’に頼ることなく、たたき上げで官房副長官まで上り詰めた立身出世の男だからです。北海道の貧農に生れ、その境遇ゆえに早くから政治家を目指したというのも、日本人の琴線に触れる話ではないでしょうか。「寄らば大樹の陰」という日本人らしい思想にのっとって、党内では金丸信氏や野中広務氏といった実力者に仕え地位を確立していったのです。まさに上を目指す者のたどるべき模範です。 そもそもバッシングの対象になっているのは、その政治的影響力を行使して行政の持つ財政的、人的資源を選挙地盤に注ぎ込むとともに、自分の政治資金に還元しようとする政治行動であったのでしょう。そのために外務省に入り込み、一部の官僚を手なづけてODAや支援委員会の資金を引き出させたとされますが、おかげで地元は潤い、北方4島の住人やアフリカの人々も大いに感謝したではありませんか。利益を本当に必要な人たちに配分したに過ぎないのに、なぜ批判されるのでしょう。 日本列島すべてを巻き込んでこれと同じような行動を展開したのが、かの田中角栄元首相いや元被告人でした。その田中氏も小学校しか出ていない身でありながら、‘今太閤’ともてはやされ総理大臣まで上り詰めた立身出世の人です。雪国越後出身の角栄氏と生い立ちや政治手法がダブるところなどは、もはや銅像の一つや二つ建っても不思議ではないくらいでした。その娘マキコさんと、骨肉あい食む抗争を繰り広げてきたのも、何かの因果だったのでしょうか。 15日の離党会見の涙にホロッときたのも、‘ムネオ後援会青年部名誉会長’松山千春だけではなかったと思います。秘書のムルアカ氏も、疑惑のパスポートを握り締めながら長身を震わせて泣き伏したとか、しないとか・・・このように見てくると、彼がいかに浪花節の世界にぴったりの人だったかがわかるでしょう。しかし予算の面倒まで見てきた当の外務省に最後は裏切られ、ゴミくずのように捨てられたのは、なぜだったのでしょう。 たった一つ、彼にはなかったものがありました。人望です。その弱点ゆえに彼は恫喝と懐柔を繰り返さざるをえなかったのです。彼が角栄氏に及ばなかったものが致命的だったがゆえに、国民から総スカンを食い、自民党や子飼いだった外務省からさえ見捨てられる運命に立ち至ったのでした。今こそ外務省にビンタを食らわせてやりたいと思ったに違いありません。これもまた「判官びいき」の日本人の心に、グッとくる話ではないでしょうか。エッ?こないって。やっぱりネ。(H) |
<Vol.29>「‘メダカ社会’の海外旅行」(02・3・9)
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‘メダカ社会’の海外旅行 法務省の速報によると、2001年度の日本人出国者数は前年の1782万人を160万人下回る約1621万人(9%減)であった。過去10年間で前年を下回ったのは湾岸戦争のあった91年(3.3%減)と、大企業の相次ぐ倒産などで経済状況が悪化した98年(5.9%)以来で、2001年のマイナス幅は過去最高となったという。減った160万人も9月11日以降の3ヶ月あまりに集中しているから、ほとんど‘なだれ現象’といってもいいくらいである。 海外旅行自粛のあおりで大手、中小問わず旅行会社はどこも経営が悪化しており、業界2位の近畿日本ツーリストと3位の日本旅行の合併もご破算になったほどである。これには経団連も危機感を強め、傘下企業に海外出張自粛の見直しを求めたほか、政府も観光需要回復に本腰を入れることを決めた。 しかしこれほど極端な落ち込みは、日本独特の過剰反応の結果だという見方がある。同じ法務省の発表では、外国人入国者数はほとんど減っておらず、むしろ前年を約1万人上回る約528万人(0.1%増)という結果だったのだ。テロの直撃を受けたニューヨークも、欧州系の観光客はすでに元に戻り、日本人だけが街から姿を消している状況だという。 外務省は世界の治安情勢を分析して、危険情報を出している。これが逆に日本人旅行者を遠ざける原因となっているという批判があり、表現を改めることになった。国の大部分が平和なのに、その一部に問題が生じて「危険情報」が出されると一斉に観光客が引いてしまうという。インドネシアやフィリピンがそういった‘被害’を受けていると訴えている。一時何かがあるとすぐに「右へ習え」して‘自粛’‘延期’を決めてしまい、それを元に戻すために行政や有力団体が「安全だから、また海外へ行け」と号令をかける。こんな行動形態に終始するニッポン社会を、ジャーナリスト本多勝一氏は‘メダカ社会’と呼んだ。温室で育ってしまっている1600万強の旅行者は、まず自分の眼で見、自分で情報を集めて外に目を開いてから出発すべきであろう。(Q) |
<Vol.28>「日の丸飛行隊、失速す」(02・3・2)
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日の丸飛行隊、失速す 1972年の札幌オリンピック70m級ジャンプで日の丸が3本上がり、このときからジャンプ日本代表を「日の丸飛行隊」と称するようになった。それから26年後の長野大会では、実力を遺憾なく発揮した日本チームがまたしても金メダルを2つ獲得して、‘日の丸飛行隊’が復活を遂げている。しかし先のソルトレークではメダル無しに終わり、飛行隊は完全に失速した。 実は札幌後の日本チームも、コンスタントに活躍できていたわけではない。当時活躍した笠谷や青地といった有力選手が全盛期を過ぎ、若手もなかなか成長しなかったため上位に食い込めない時代が続いたのである。80年代には秋元や八木といった有力選手が活躍したものの、チーム全体としては長らく低空飛行が続いた。長野で復活できたのも、90年代にこの大会を照準に原田、船木、岡部ら優れた素質を持った選手を大量に計画的に育ててきたからであった。今大会での失速は、ベテラン勢にここ一番でたたき出せる力がなかったのと、次を担う選手が19歳の山田しか出てこなかったのが原因と見る。しかし一方で「トレンド」に乗れなかったという、別な要因が浮かび上がってくる。 「スキー板を短くする『日本不利』のルール変更があった影響が大きい」という解説があった。しかし身長が169cmしかないポーランドのアダム・マリシュがW杯で連戦連勝し、今大会で金を2個獲得したスイスのシモン・アマンが172cmしかないのを見れば、この説明は言い訳にしか過ぎないことがわかるだろう。マリシュは少々の自然条件の変化に負けずに高く安定したジャンプを実現するために、優秀なコーチ陣を従えて筋力トレーニングを人一倍積んだ。風を生かす技術のほかに、風がなくても高く飛び上がり前傾姿勢を維持できる筋力をつけることでハンディを克服したのである。 V字飛行がジャンプ界に革命をもたらしたのに続き、筋力強化が勝敗を分ける鍵になっていたのだ。筋トレが不十分だった日本チームの今回の失速は、起こるべくして起きたものである。しかし、どん底に落ちたらあとは這い上がってくるしかない。近い将来、たくましい筋肉を備えた有望な若手が日本のジャンプを再び舞い上がらせてくれるだろう。(J)
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<Vol.27>「‘無期’懲役は‘有期’懲役」(02・2・23)
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‘無期’懲役は‘有期’懲役 殺人など重大な犯罪には、死刑のほかに無期懲役という刑が下されることがある。しかしこの無期刑が実は有期刑であることをどれだけの国民が知っているのだろうか。無期刑は決して‘終身刑’ではない。というのは、日本の刑法には終身刑がないからである。 無期懲役は、最短10年で仮釈放されるから、「最低10年の懲役でそれを越えるといつかは出てくるが、まれに出てくる前に一生を終える刑」というのが実態であろう。かつて強盗殺人を犯して無期懲役を宣告された者が、20年後に仮釈放され、今度は複数の人間をあやめるという事件があった。地下鉄サリン事件の実行犯となった元オウム真理教の医師・林郁夫は、死刑ではなく無期懲役を宣告され刑が確定している。あれだけ多くの犠牲者を出した大事件の実行犯にしては「軽い」とも思われたが、事件の真相をすべて話し悔い改めた情状が認められた結果といわれている。だから彼も法律上は、将来仮釈放される可能性が出てくるはずである。 ではこの仮釈放はどうやって決まるか。犯罪者予防更生法に基づき、更生保護委員会という法務省の地方機関が、服役時の態度や心情の変化、社会復帰後の受入れ状況をみてその判断を行う。しかしここにいくつか問題がある。まず第1に、一度司法が決めた量刑が行政の判断で事実上軽減されることは、三権分立の整合性に疑問を生じさせる。第2に、その仮釈放が妥当かどうか、司法がチェックする仕組みがない。第3に、被害者の遺族など関係者の異議申立ては制度上できない。ただ「意見を聞く場合がある」といった程度でしかない。司法、関係者が何らかの形で関与できる制度にあらためる必要があるだろう。(A)
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<Vol.26>「離島の中学生の英語劇」(02・2・16)
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離島の中学生の英語劇 25歳の青年デビッド・ゴールドバーグさんは米国マサチューセッツ州出身で、1年半前に来日、現在宮城県塩釜市で英語の指導助手をしている。彼は年に3回各1ヶ月ずつ、松島湾に浮かぶ野々島にある生徒数18人の浦戸中学校に赴いて英語の指導をする。ここは、塩釜港からフェリーで30分かかる離島である。 昨年8月に県内の中学生による英語劇コンテスト「スキット甲子園」があり、浦戸中も参加することになった。3年生7人と英語教諭の藤巻先生、それにデビッドさんが論議に加わり、島に伝統的に伝わる貝採りをモチーフにした「貝のお姫様」という演目に決まった。実はこの貝拾い、学校の活動資金を捻出するために代々生徒たちが自主的に取り組んできたもので、全校あげての行事になっている。人気TV番組「クイズ・ミリオネア」の要素を取り入れた脚本は生徒が書き、藤巻先生が翻訳してデビッドさんがそれを手直ししていく。この離島の小さな学校の一大プロジェクトが、いよいよ始まった。 ビデオによる予選を通過した浦戸中は、本選が開かれる仙台の会場に向かった。だが会場についてビックリ、今まで見たこともないような数の人が場内を埋め尽くしている。おまけに、お姫様の冠(かんむり)を島に忘れてきてしまったことに気づく。すっかり舞い上がった上に、規定時間をオーバーするというミスも重なった。誰もが落胆の色を隠せない。ところが結果発表に一同は驚いた。当初はなかった「特別賞第4位」が、浦戸中に与えられたのである。審査員からは「若い人が地域の伝統に誇りを持ち、創造性を加えて劇に取り組んだところがすばらしい」という評価を受けた。 あとになってデビッドさんは、もし時間オーバーしなければ優勝していたという話を聞かされた。その彼は言う。「でもそんなことは問題ではないのです。そもそも生徒たちは、多くの観客の前で英語で劇を演じたことが大事なのだと考えていたのです。おそらく彼らは、どんなことでもできるという自信をかちとったでしょう。」(Q) |
<Vol.25>「タクシーの自由化」(02・2・9)
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タクシーの自由化
タクシー利用者の推移を見ると、1970年の42億8900万人をピークに年々減り続け、1999年度は24億6600万人と、全盛期の6割弱まで落ち込んでいる。これを全国のタクシー車両およそ25万6千台で割ると、1台当たり年間9620人、1日当たり26.4人を運び、ひとり平均965円を支払う計算になる。 働く側から見てみよう。全国には36万人の乗務員が在籍し、男子の年間労働時間2,436時間は、全産業平均より228時間も多い反面、平均年収338万円は222万円も低い。そしてこの産業自体が人件費率80%という日本では数少ない労働集約型であるうえに、女性ドライバーがわずか8,404人(2.3%)しかいない極端な‘男女不均等産業’でもある。(2000年度) 大都市の繁華街ではこの大不況下でタクシーがあふれ、交通渋滞や違法駐停車などの新たな問題を発生させている。しかも収入の低さが災いし、これほどの不況でも乗務員が思うように集まらない。地方に行けばマイカーの普及と少子高齢化による人口減で、ぎりぎりの経営状況に追い込まれているタクシー会社も少なくない。例えば、バスが通らないような山あいにある会社が事業をやめて誰も参入しなかったら、交通手段を持たないお年寄りはどうやって移動したらよいのか。台数が増えても客が減り続けるなら、乗務員の収入はどうなるのか。自由化に潜む影の部分を、しっかり見つめなければならない。(A) |
<Vol.24>「犯罪被害者の権利」(02・2・2)
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犯罪被害者の権利 一昨年暮れから昨年にかけて、東京・世田谷一家4人殺害事件、大阪・池田小学校乱入殺傷事件、弘前・武富士放火殺人事件など、目を覆わんばかりの残虐事件が相次いだ。この三つの事件だけでも犠牲者は17人を数え、負傷者も同じくらいに上っている。ところで、日本の法律は加害者には手厚い制度になっている。なぜなら、加害者は有罪が確定するまでは「被疑者」とみなされ、法律の保護を受けられるようになっているからである(推定無罪の原則)。さらに少年や精神障害者の犯罪には、特別な配慮がされている。しかし一方で犯罪被害者には、ほとんど何の権利も認められていない。 例えば、つい最近まで被害者の遺影を法廷に持ちこむことは許されなかった。一昨年11月までは裁判記録(もしくは審判記録)を被害者が閲覧することは許されていなかった上に、少年事件の審判では結果すら知らされていなかったケースも多い。被害者の意見陳述も、最近になってようやく認められるようになった。レイプ事件被害者による公開法廷での証言は、つい最近、遮蔽(しゃへい)や別室での尋問という方法でクリアーされるようになったが、それ以前は傍聴者の好奇の眼に耐えなければならなかった。 マスコミの取材攻勢による二次被害も深刻である。1999年に文京区で起きた「春奈ちゃん殺害事件」は、当初「お受験殺人」とか「母親同士の確執の末の犯行」などと報道され、女児の母親近辺にマスコミが押し寄せ家族のプライバシーが垂れ流されたと、被害者の祖父が語っている(第3回シンポジウム『犯罪被害者は訴える-被害者のための正義をめざして』2001年11月18日、東京・日比谷三井ビルで開催)。一家の大黒柱を失ったあとの経済的困窮、愛する者を失った精神的ダメージ、プライバシーの侵害などさまざまな被害が、犯罪発生後も生じてくる。 「全国犯罪被害者の会」の代表幹事岡村勲氏は、日弁連副会長まで務めたいわゆる人権派弁護士だったが、妻が理不尽な殺害に遭い、被害者が守られていない今の制度に疑問を持ち、会の立ち上げに尽力した。そして被害者が泣き寝入りしない法制度の実現を求めて活動している。(A) |
<Vol.23>「二つの『進化論』」(02・1・26)
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二つの「進化論」 キリンの首はなぜ長くなったか。説1)キリンの祖先は高いところにある葉っぱを食べるために一生懸命首を伸ばし、それに成功した。その子孫が代々同じような努力を続け、最終的に今のような長さになった。説2)キリンの祖先には首の短い種と長い種があり、食糧不足の時代に高いところの葉っぱを食べることのできた種のみが生き残った。 前者はフランスの博物学者・ラマルクの進化論であるが、これは進化の過程に、「努力」「勤勉」「継続」といった能動的、主観的な要素が入ることによって、形質が決まるという考え方に基づいている。そしてこの学説がスターリン統治下のソ連の遺伝学界で支持され、ダーウイン支持学者はシベリア送りになるか粛清された。だがこの学説の最大の問題点は、この考え方によって進化したと認められる例が、いまだに見つかっていないことである。後者はおなじみ、ダーウインの進化論である。ここにあるのは「優勝劣敗」「適者適存」「弱肉強食」の世界であり、進化における主観的な要素を一切排している冷酷無比なまでのクールさである。言うまでもなく、こちらが現在の遺伝学の主流であろう。 しかし最近の遺伝学は、そんな論争をまったく吹き飛ばしかねない「危うさ」がある。遺伝子解析の飛躍的な進歩で、いまや造ろうと思えば「首の短いキリン」「鼻の短い象」が生れてくるかもしれなくなっている。そして近い将来、「足の速い短距離ランナー」「背の高いバスケット選手」「ジャンプ力のずば抜けたバレーボール選手」といった特殊な能力を持ったヒトを量産することだって、不可能ではなくなるはずだ。こうした遺伝子操作を施された生物が地球を闊歩するようになったら、いままでの進化論は根底からくつがえされ、「すべての生物は人間によって進化させられた」という記述が教科書に登場するかもしれない。人間は、どこまで神の領域に踏み込むことができるのであろうか。(Q) |
<Vol.22>「SHOW THE 理念」(02・01・19)
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SHOW
THE 理念 国会で大橋巨泉参議院議員が追及し、2001年の流行語大賞候補にも上った「SHOWTHE FLAG※」は、一体誰の言葉だったのか?一般的にはアーミテージ・米国務副長官の発言ととらえられていたが、どうやら本人はそれに似た発言はしたものの、そのものズバリではなかったようだ。昨年12月27日付の毎日新聞では、アーミテージ氏との会談内容を日本政府に伝えた公電の中で、自分の解釈としてその表現を使ったとして、柳井俊二駐米大使(当時)を‘真犯人’だと断定している。 では‘真犯人’は何を意図してそのような内容を伝えたのか。その後のテロ対策支援法制定に、この発言が最大限利用されたのは記憶に新しい。その背景には10年前の湾岸戦争の際、日本は金だけ出して人的支援をしなかったという「国際的批判」があった。その点でアーミテージ氏と柳井氏は意見が一致し、今回の対テロ闘争では、何らかの人的貢献が必要との結論に達したのだという。そしてご存知のように、「SHOW THE FLAG」が憲法論議を一蹴してしまうぐらいの威力を持ったのである。日本はこのときから自衛隊を紛争地帯に出すことになったという意味で、流行語大賞はこの言葉に与えるべきであった。 この論議の際、小沢一郎・自由党党首は「政府が憲法解釈を変えないまま自衛隊を海外派遣するとはまったく筋が通らない」と政府案反対の弁を述べていた。同じ反対論でも革新政党が古典的憲法9条擁護論に終始したのと違い、小沢氏は公式的な9条解釈の限界性を批判し、条文を維持するならこれまでの解釈変えるか、それでも矛盾が生じるならそのものを改正すべきという意図を明確にしている。まさに小泉首相に対して「SHOW THE 国家理念」といいたかったに違いない。(A) ※直訳すると船などが外国の港に入るときに旗を掲げるという意味になるが、転じて旗幟(きし)を鮮明にする、自国の力を示すなどの意味がある。 |
<Vol.21>「痛むということ」(02・01・12)
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「痛む」ということ 日本全体が背負った693兆円(※)の借金の重みに耐えかね、「財政再建団体」に転落しかねない地方自治体が増えている。一般企業で言えば「倒産」であり、国にすべての政策を指示され、自分で何も決められなくなる。憲法で定められた地方自治を、放棄しなければならない屈辱を味わう。 福岡県赤池町は、炭鉱が閉山した後の財政運営を誤り、1992年に財政再建団体に転落した。町職員の削減と給与減額は言うに及ばず、福祉の切り下げ、公共料金の値上げを断行。簡単な公共工事は職員自らがやり、学校の実験器具は先生が自前で制作、例え公共施設のガラスが壊れても簡単には直せない。町で開かれる結婚式では町の幹部が、「町の再建に皆さんのご協力を」と出席者に呼びかけた。限界に達した公用車が県外で動かなくなり、町長自ら工場まで押したこともあったとか。そんな血のにじむような努力のかいがあり、今年度一杯で再建計画を達成する見通しになったという。 町長はこの10年を振り返って、「地域のしがらみを断ち切ったことが大きい」と話している。そして住民の間にも「行政まかせではいけない」という気運が生れ、自主的に行政に協力するという意識の変化が現れている。693兆円の借金が、地域のしがらみや政治家の利益誘導、住民の無関心が積み重なってできたことは、酒井隼男氏のコラム「『痛み』を共有できる21世紀社会になるか」http://www.kennichi.com/culture01/c010405.htmlにくわしい。赤池町の住民、職員はその実態を身をもって体験し、見事に立ち直った。これから全国各地で、同じような体験をする住民が増えるだろう。(A) ※)この「693兆円」という数字は、小泉内閣メールマガジン第28号(12/27配信)で、塩川財務大臣が執筆した「特別寄稿」を根拠にしている。日本全体の借金額が日々膨らんでいることに、留意していただきたい。 |