こちら編集室「優しさと強さと」(2月8日)

 青空が広がった。空を見上げたら、一面の青い空だった。「懐かしい」とも言える空の青さだった。道路の雪も消えた。車を走らせる冬道で一番怖い、スリップという不安からも解消された。季節はまだまだ寒く、冬の厳しさは続くだろうが、暦の上では「立春」を迎え、日中の明るい時間も日増しに長くなってきた。まだまだ油断はできないが、ともかく冬のヤマ場からはどうにか今年も無事に乗り越えたようだ。水色をした遠くの山並みの色合いも、まるでインクを流したように色濃くなってきた。春の気配が山からも感じられる。

 この冬、雪が降り出してからはずーと妻の車である軽四輪乗用車のお世話になった。自分の車は後輪駆動車のせいか、凍った圧雪状態の道を走るとブレーキを踏んで停まろうとする瞬間、いつも尻を振って怖い思いをする。冬場は特にスピードには気を付けているつもりだが、ブレーキを踏んで停まろうとする瞬間の「ズズズッー」と車の後部がスリップするのにはいつも閉口していた。まるで体ごとどこかに運ばれていくような不気味さである。

 それでも7年間も乗りこなしたから、冬道でブレーキを踏んだ時にどうしたらスリップさせないで停まれるか、その要領はつかんだ。簡単な事である。ブレーキを踏んで停まる瞬間にギアをニュートラルにし、車が前に進もうとするエネルギーを奪うのである。こうすると車はスムーズに停まる。そのおかげでこの7年間、無事故で走ってきた。しかし、ニュートラルにして停まる要領は身についても、不安な面は残る。その点、妻の軽は4輪駆動なので、横滑りすることもなくスムーズに停まる。ただ、軽という車体の軽さもあって、急ブレーキを駆けるとそのままどこまでも停まらず、真っ直ぐに滑っていく。こうしたブレーキの制動力の不安はある。だが、横滑りしない点は嬉しい。

 どこまでも真っ直ぐに滑っていくと書いたが、道路が圧雪状態になると車はどんなふうにスリップするのか時々、試しているのである。もちろん真っ直ぐな道路で、対向車も後続車もない安全な農道を見つけてはスリップテストを繰り返しているのである。スリップした時にどうハンドル操作をすべきか。これは雪道を走るために大切な体験だと思っている。だから真冬になって、道路がツルンツルンに凍って圧雪状態になるとどのくらいスリップするのか、その実験を繰り返す。妻の車も自分の車もABS、つまりアンチロックブレーキングシステム付きだが、制動力はどのようなものか、テストをやって知っておくべきだと思うからだ。

 そのテストの結果、妻の車は40キロほどのスピードで急ブレーキを踏むと、まるでスキーのように10数メートルも滑ってからやっと停まる。その点、自分の車は一応、スリップするが、ブレーキを踏んだ瞬間、グググッと制動力が掛かり、軽に比べたら格段に短い距離で停まる。ブレーキ性能の面ではやはり普通車の方が心強い。それでも横滑りしない点が安心なので、この冬は妻の車のお世話になった。ただ運転の快適さ、暖房の立ち上がりの早さなどは何と言っても自分の車に利があり、雪が消えた今は再び自分の車に乗り換えている。

 先日、県職員でボランティアで、ギターの弾き語り講演をしているという方の話を聞く機会があった。大曲保健所角館支所長の佐藤貞勝さんである。ユニークな佐藤さんのギターを抱えての弾き語りは口コミで話題になり、新聞にも大きく取り上げられている。佐藤さんはこの日「優しさ」をテーマに語った。そしてギターを手に歌った。佐藤さんは「優しさは慈悲の心をいう。仏さまのような人を慈しむ心であり、哀れみの心です。宇宙より広いのが人の心であり、人間には寿命がある。人生で一番大切なのは今。明日の命を保証されている人はだれもいない。だからこそ今が大切」と時折、秋田弁のなまった言葉で話しかけた。

 その佐藤さんと講演後、少しだけ話をした。「優しさって何だろう」。「優しさは思いやりの心でしょうね」と佐藤さんはさりげなく答えた。「いたわる心、人の傷みを分かる心、気配りする心」。佐藤さんと話をしたのはお酒が入ってからのため、記憶が覚束ないが、確か佐藤さんはそのようなことをおっしゃった。そして佐藤さんは講演でもご自身の娘さんが重い病気に罹り、悩み、落ち込んだ日々もあったと語りながら「人生って思い通りにはならないもんだ」と悟ったら、苦労が苦労でなくなったとも語った。

 佐藤さんと話をしているとこちらまで気持ちが温かくなる。不思議な包容力を持った人だ。その佐藤さんと話をしていて、ふと思い出した一件があった。妻と秋田市の大型スーパーに行った時である。衣類のバーゲンセールをやっていて、店内は買い物客でごった返し、すれ違う隙間もないほど混雑していた。買い物客はみな、店が用意したポリの買い物籠を手に店内を歩き回り、下着やセーター、ズボンなど気に入ったもの見つけては籠に入れていた。

 その時、眼にしたのが客が買い物を終えて置かれていく籠の手すりを、一人の店員が濡れた布でセッセと丁寧に拭っている姿である。そして客にはその拭いたばかりの籠を手渡していた。店で扱っている品物は衣類なので、特別に手を汚すものではない。なのに客が使った籠の手すりを布で拭い、それを新しいお客さんに渡すと言う気配りを見たら、その店のサービス精神には真心もこもっていたと思った。佐藤さんはその話しに「伊藤さん。それも素敵な優しさですね。いいお話しでした。今度の講演の材料にいただきます」と喜んだ。

 優しさとはお店のサービスセンスにも現れる。買い物客が手にした籠の手すりを丁寧に拭う。それだけのための店員をわざわざ配置した秋田市の大型店。それこそ見えないサービスであり、優しさだと思った。人は「強くなければ、生きてはいけない。優しくなければ生きる資格がない」とある作家の言葉を紹介した本「私の好きな言葉」(佐藤秀郎編)を眼にした。

 人はこの世を生きていくためには強さを心に秘めてなければ負けるだけだ。だが、強さだけで押し通したら、他人を傷つけ、自らも傷つき破れる。だから、自分以外の人、さらには動物でも植物にも優しさを与えなければ、エゴだけが目立ち、人間失格になると語っていた。

 長崎に落とされた原爆で妻を失い、自らも被爆しながら、被爆者の救護活動にあたり、有名な「長崎の鐘」の歌となった永井隆博士は聖書の一節「己の如く人を愛せよ」という言葉そのままに生きた人だと言う。永井博士と言う方の存在を知ったのは2年前の9月、大曲南中の生徒が応募した作文が「第10回永井隆平和賞」で佳作に入選したのを知って取材した時だった。「召されて妻は 天国へ 別れてひとり旅立ちぬ」。その年の春、長崎市の旅をした時、バスの車掌が口ずさんだ歌もこの「長崎の鐘」だった。中学生は本紙のスポンサーでもある「あんだんて」さんの娘さんでもある。今は高校生になった。

 あんだんてさんの娘さんを取材しなければ永井隆博士の存在も知るよしはなかった。平和を愛し、人を愛し、そして「この子を残して」「長崎の鐘」など多数の著書を通じて、全世界に「愛と平和」を訴え、43歳の生命を閉じた永井博士。「一日でも一時間でも長く生きてこの子の孤児となる時をさきに延ばさねばならぬ。一分でも一秒でも死期を遅らしていただいて、この子のさみしがる時間を縮めてやらねばならない」(永井隆著「この子を残して」より)。

 世界中の人々の胸を打ち、昭和天皇のお見舞いを受け、ヘレン・ケラー女史やローマ法王特使らのお見舞いも受けたと言う。あんだんてさんの娘さんの取材のおかげで知った永井博士。このような人もいたんだという感動を味わったものだった。永井博士の優しさ、いやそれ以上に強さにはおよびもつかないが、このような人の存在を心の中にいつまでもとどめておきたい。