こちら編集室「カゼとの格闘」(3月8日・金)

 カゼはやっと体から抜けたようだが、置き土産の咳が残って、これが夜になると盛んに悪さを起こし、活動し出す。深夜に2度も3度も激しく咳き込み、お腹の筋肉がまるでねじれてしまわないかと思うほど苦しく辛い。その都度、スプレー式ののど薬で対応しているのだが、中々、咳は治まらず腸がお腹で反転しているのではないかと思うくらい痛みで苦しむ。「カゼのやつ奴。カゼのやつ奴」と恨み言を込めながら深夜、一人で居間にうずくまって「ハアハア」ため息をついている。39.2分の高熱と寒さで2晩うなされ、七転八倒した。寝返りを打つ度に肩の隙間からシベリアからでも吹き込んで来るような冷たい風が入ってきて、「寒い。寒い」と悲鳴をあげた。そして今度は咳である。50代のこの年代でこんなに苦しむのだから、70代、80代のお年寄りなら、カゼはまさに命取りにもなるだろう。油断できない。布団の中でもがき苦しみながら、自戒した。

 どう自戒したか。それはお酒の付き合いはほどほどにすべきだというとても単純なことである。カゼを引く前に飲み会が2日、続いた。最初の晩の25日は、それこそどんちゃん騒ぎとなり、翌朝は二日酔いに苦しんだ。二日酔いになるくらいだから、いい酒だったと酒飲みは困ったことに反省しない。ともかく自分もマイクの前に立って、歌ったのだから、とても楽しく、いい酒だったと自覚している。しかし、いい酒を飲んだ時は度を越している時だ。

 だから翌々日の27日夜の飲み会では疲れがたまらないようにと、早めに帰るつもりだった。ところが余りに早く最初の懇親会が終わり、気抜けしてしまった。なら一人で軽くやっていこうとぶらりと入ったお店が良くなかった。いや、お店はとても手の込んだ料理を出してくれるいいお店なのだ。とにかくそこで1時間ばかり、ちびりちびりと日本酒をやるつもりだった。

 小さな春を見つけた。フキノトウ。そのお店には団体客が数グループあって、そのお客さんの料理の注文に応じなければならないはずなのに、ママさんはこちらに気づかって、親身になって話し相手になった。それが良かった。ちびりちびりは、いつの間にかママさんの笑顔に誘われグイッ、グイッに変わっていた。1本が2本にとスピードアップした。

 それでもまだ覚めた面もあって、とにかく8時ごろまでには帰ろうと思っていた。その通り、そろそろ運転代行を呼んで、帰ろうとした。そこへもう一組の団体さんがどっと流れ込んだ。「おー。伊藤さんじゃないか」「おー。何だ。課長さんたちか。いやーいつもお世話になって」。市町村役場の課長さんたちであり、7?8人のグループの半数以上は顔見知りだった。取材でお世話になっており、みな気さくでいい人たちだ。

 「伊藤さん。そんな所で一人飲んでないで、こっちへ合流してよ」。

 この人たちも既に1次会で出来上がり、その流れだった。

 「いや、もう代行、呼んだから」。

 一応、そう言って断ってはみたものの「そんな。代行はキャンセル。こんな所で会えるなんて滅多にない。まずこっちに合流!」。「そうだ。そうだ」。グループの大合唱となった。新聞記者にとってこうして声を掛けてもらった機会は逃すべきでない。酒の席での交流はその後の取材の潤滑油にもなる。声を掛けてもらっただけでも幸いというものだ。それに酒飲みの雰囲気は何より好きな自分だ。代行はキャンセルしてしまい、ついにその人たちと合流してしまった。新聞記者は人との交流を大切にしなければならない。初めての方とは名刺を交換し、顔見知りの課長さんとは昔の思い出に花を咲かせた。再び、いい酒となった。

 だが、その翌朝の28日。体に異変を感じた。目覚めたと同時に寒けが全身を走った。針が突き刺さったような痛みを伴う寒さだった。暖房の効いた居間に居てもその寒さは抜けない。朝の務めである柴犬のアキを外に連れ出し、おしっこをするのを認め、また難儀しながらウンチを出すのを待った。その間、5分位だろうか。防寒コートを着込んではいたが、ガタガタと寒さが一気に強まった。「これはおかしい。この寒さはただごとではない」。そう思った。後の祭だった。風邪は軍団を伴って、既に体の芯にしみ入ってしまっていたのだ。

 「どうもおかしい。風邪を引いたようだ」。妻に言った。「大丈夫?。無理しないで休んだ方がいいじゃないの」と妻の顔色も変わった。その日は大曲市の2月定例議会の初日だった。「議会があるから休めないよ。それにまだ寒さもたいしたことないから、とにかく行ってみる」。強がりを言ったのではない。普段なら家で一人過ごすのは何でもないことだが、なぜかその日は一人になりたくなかった。一人になるのが不安だったのである。とにかく二人で出かけた。

 車の中の暖房が効いている時は良かった。だが、車から降りて市役所に入ったころから寒さはますます高まった。それに夕べの飲み会の疲れもあって体中がだるい。会社に戻って暖房の温度を高め、コートを着たままでしばらく椅子に休んだ。どこか横になれる所が無性に欲しかった。体の置き場所が次第になくなった。議会が始まるころを見計らって再び市役所に走った。市長の「施政方針演説」のコピーを受け取り、議会の写真を取り、再び会社に戻って議会の記事を書いた。

 その間も寒さは募るばかりだ。「これはもう放ってはおけない」と覚悟を決め、主治医に駆けつけた。受け付けの看護婦さんに「やられました。とうとう風邪を引いてしまったようで」。看護婦さんが体温計を手に「熱を計るように」と指示した。待合室の暖房機の直ぐそばに陣取って「体温」を計りながら、診察を待った。体温計が指した熱はまだ平熱だった。しかし、寒い。呼び出しがあって先生の診察を受けた。「風邪にやられたようです」。いろいろ検査の結果、インフルエンザではなく「ただの風邪」との結論が下され、「とにかく薬を出します。あとは家で休んでるしかない。無理しないで家に帰ったほうがいい」と言われたものの、まだ片づけなければならない仕事があった。

 とにかく昼食をとり、午後からも市役所、会社と往復したが、体を襲う寒けは連続的なものとなった。「これはいけない。このままだと車の運転さえ無理になってしまう」。同時に「この調子では本格的に寝込んでしまうことになりそうだ」との心配が募った。こうした時に困るのが「秋田県南日々新聞」の扱いである。

 「家に帰ると恐らくダウンだ。後は何もやれないだろう」と思った。読者に事前に伝えておくべきか、それとも自分個人のこととして黙っておくべきか。判断を急いだ。結局、もしも1日や2日どころか、3日も4日も連続して紙面更新を休むような事になったら、事情を知らない読者にも不親切なことになりはしないか。とにかく風邪を引いたという事情だけは明らかにしておこう。そう判断し「読者の広場」を通じてカゼになったことを伝えるため書き込んだ。

 会社で最後の仕上げを終え、午後3時前に妻の職場に電話を入れ、「帰りたい。とても我慢できる状態じゃなくなった」と一緒に帰ってもらうことにした。自宅に着いて震えながら寝間着に着替え、そのままベッドにもぐり込んだ。同時に全身に針が刺さったような痛みを伴う寒けが襲い、後はそのままベッドの中で震えながら寒さをジッと耐えた。眠っては目覚め、眠っては目覚めた。手はびっしょりと汗ばみ、深夜には39.2分もの高熱となっていた。処方された解熱剤を飲み、冷えたタオルを額に乗せ、頭を冷やしてもらった。再び眠ったものの朝まで「ウンウン、うなってばかりだった」と妻。

 風邪は翌日も全身をキリで突き刺すような痛みを伴う寒けが波状的に攻撃し、日中もまどろんではうなされ、タオルケットさえびっしょりと汗で濡れた。眠っていながらも、考えていたことは何とか2日の朝までは起きれる体に戻りたいと言うことだった。それまではとにかく眠り続けよう。眠ることで体力も取り戻し、気力も戻って来るだろう。それだけを祈った。2日午後には角館南高校の取材があった。

 秋田県南日々新聞として取材に来ていただけたら。10日ほど前からメールでの要望があった。せっかく、ケンニチへ期待を込めてメールを差し出して下さった伊藤一郎校長先生のご好意を無にしたくない。とにかく寝返りをうち、波状的に襲って来る寒さと高熱と向き合い、2日朝までに何とか起き上がれる体に戻れることを祈った。夕べ飲んだ3袋目の解熱剤が次第に効いてきたようだ。1日深夜から2日未明にかけて再び汗でびっしょりと濡れた下着を着替え、2日の朝を迎えた。

 重ね着した布団を寄せ、起き上がってみた。寒けはいくぶん残るが、何とか起き上がれる状態になっていた。下着は再び汗でぐっしょりと濡れていた。玄関ホール、風呂の脱衣室にも暖房を入れてもらい、入浴を試みることにした。汗ばんだ体が気持ち悪くて仕方なかった。風呂に入って体を芯から温め、カゼを追い出したい。朝風呂に入り、やっと汗で濡れた体を流すことができた。

 角館町に行く前にもう一度、主治医に走った。「どう。まだ寒い?」。先生はニコニコしながら心配そうな顔を向けた。「ええ。おかげさまで、だいぶ楽になりました」。「熱も下がったみたいですね。でもまだ完璧ではないから薬だけは続けて下さい」。完治ではないものの、とにかく歩ける体には戻ったようだ。薬を処方してもらい、角館町へと向かった。約束だけは果たしたかった。しかし、熱のせいなのか車を運転しても目の焦点が合わず困った。向こうから走って来るダンプカーも乗用車も、そして道路左側を歩いている歩行者もぼんやりとしか見えない。

 「事故を起こしたら大変だ」と慎重にハンドルを握り、スピードを抑えながら走った。次第に目が慣れてきたのか、車も人もそして流れる風景も輪郭がハッキリしてきた。カゼはさまざまな後遺症も運んで来ると思った。学校に着くと伊藤校長先生もケンニチの「読者の広場」でカゼを引いたことを知っていたようで「お体の具合が悪いのにわざわざ来て下さってありがとう」と丁寧なお礼を述べて下さった。

 先生には「カゼでまだ寒けが抜けませんので、どうかこのコートを着たままで過ごさせて下さい」と頼んだ。怖かったのは体育館で行う式典である。学校の体育館と言うのはとにかく寒い構造となっている。やっと治りかけた体が、また冷凍庫のような寒さにさらされたらどうなるか。そんな不安がいっぱいだった。幸いにも体育館に入ったら、明日の卒業式に備え、臨時に置いたストーブがあちこちにあって温められていた。そのストーブのそばに体を置いて、生活科学科の「閉科式」を見守った。

 自宅に着いてすぐに角館南高校の式典の記事を書いて、ケンニチにアップした。伊藤校長先生、それに若い女の先生からも記事へのお礼のメールが来た。どこの新聞にも載らないケンニチだけのホットなネタだった。役目を果たせた。その喜びが大きかった。その翌朝、まだフラフラする体だったが、妻に任せっぱなしだったアキを散歩に連れ出そうと表へ出たら、玄関前の小さな庭から雪の山を押し退けてフキノトウが芽を出していた。黄緑の目に優しい色だった。「おや。フキノトウだ」。思わず小さな声を発していた。季節は確実に春に向かって歩み出しているのを実感した。「アキ。春が近くなったよ」。ハウスから首をちょこんと出したアキはチラリと外を見つめ、背筋をグーンと伸ばし、大きなあくびをしてからもっそりと車庫から外へ出た。