こちら編集室「春はあけぼの」(3月15日)

 霧が出ていた。霧が白いレースのカーテンを引いたように視界をさえぎっていた。霧が静かに流れる、白い美しい朝だった。柴犬のアキはまだハウスの中でぐっすりと眠っていた。「アキ。朝だよ」。頭をお腹の中に埋めるように丸くなって眠るアキに呼びかけた。その声にやおらと起き上がったアキは、犬舎の中で四つ足をウーンと踏ん張って大きくあくびをした。そして霧で乳白色に染まった外へ出て、新しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 その白い霧を突き破るように銀色に光り輝く太陽が昇った。朝霧で太陽の輪郭はいくぶんぼやけていたが、太陽の光りはありとあらゆるものに影を与え、死んだような風景に命を与え、生き返らせた。アキはこのごろ元気を少しだけ取り戻した。まだあちこちに残雪があり、アキの散歩道である堤防は雪で閉ざされたままだが、アキは春の温もりを敏感に感じ取っているのだろう。そしてそれがエネルギーにもなっているのだろう。朝の食事を終えると自ら玄関から飛び出し、堤防の方へと黙々と歩き出す。飼い犬が元気を取り戻すと嬉しいものだ。しかし、こちらの方はまだカゼがしこりを残しているせいか、朝の冷たい空気は辛い。寒さが怖い。

 カゼがぶり返さないようにと朝夕の散歩は真冬の最も寒かった時よりも着込んでいる。下着を2枚重ね着し、セーターの上にもさらにカーディガンを着込み、フード付きのアノラック姿だ。着膨れした自分の姿が太陽の光りを受けて道路に長い影を落とした。なんて不格好な人間が歩いていることだろうと我ながら、情けなくなった。でも寒さで苦しむよりもいい。体調が完全に戻るまではスマートさよりも防寒対策に万全を来そう。

 朝霧を突いて顔を出した太陽朝霧の中を歩いていたら石原裕次郎の「夜霧の慕情」と言う歌を思い出した。
 
 愛しても 愛しても 愛しきれない 君だった
 夜霧の中に
 泣いてかくれて 消えたまま
 帰らぬ面かげ ああ 泪(なみだの)瞳

 どんな映画だったかもう記憶にないが、夜霧が流れる波止場に立ったコート姿の石原裕次郎の格好良さだけが印象に残っている。紫色に煙る夜霧の中で、タバコを口に加えた石原裕次郎の横顔を画面はアップで捉えた。とても厳しく、凛々しい顔だったような気がする。多分、中学生か高校生のころに観た映画だし、憧れた歌だった。ただ一番のこの歌詞にある「愛しても 愛しても」だけは歌っていても恥ずかしくて余り愛せなかった。どうも愛と言う言葉はスマート過ぎて自分の言葉にならないのだ。仮に今、どんなに好きな女性が目の前に表れたとしても「愛してる」なんて言葉は口が曲がってしまいそうで、出せそうもない。なぜなんだろう。古臭い田舎育ちの自分はどうも「愛」と言うスマートな言葉には馴染めないのかもしれない。照れくさいのだ。

 いずれにしても夜霧の立ち込めた波止場に立つ石原裕次郎の孤独な格好良さだけを覚えている。その映画を観て、自分もあんなふうになってみたいものだと思ったものだった。一人の女を愛し、しかし、自分には愛する資格さえないと、その愛する人の幸せを祈って無言で去る。そんな哀しい生き方があってもいいのではないのか。まだ世の中のことさえろくに知らない高校生の青臭さの中で、そんなことを想ったものだった。裕次郎の「夜霧の慕情」は恋に焦がれ、恋に憧れた青春時代の悲しい男たちへのメッセージであり「子守歌」だったかもしれない。

 さよならの さよならの
 声も哀しく かすれてた
 あの夜の別れ
 こんなやくざな 俺のため
 つくした真心 ああ 忘れはしない

 この2番の歌詞が特に好きだった。「さよなら さようなら」と声もかすれるほど繰り返した女だった。夜霧の中で泣きながら、姿を消したが、俺は忘れない。こんなやくざな俺のためにあんなにも尽くしてくれた君を俺は忘れない。

 とても切なくて、ドラマを感じさせる歌詞だと思う。夜霧の中で別れていく男と女の映像が目に浮かんで来るようだ。
 3番の歌詞も良かった。

 いつの日か いつの日か
 逢えるあてない 恋だけど
 せめても祈る
 君の倖せ、そればかり
 夜霧に咽ぶよ ああ 男の慕情」

 石原裕次郎の甘く、ささやくような低音が響くこの歌はまさに恋に恋する男たちの「子守歌」だった。「いつの日か いつの日か 逢えるあてない 恋だけど」の語呂が良かった。逢えるあてのない恋という歌詞がいい。なんて哀しい響きだろう。やくざな自分には君を愛しても、君に幸せを与える力さえ今はない。だからせめても祈りたい、君の幸せを・・・。「男はこうでなくちゃ」と当時は歌いながら大きくうなずいたものだった。

 あの当時、恋とは切なく、哀しいものだと決めつけていた。恋をするということは哀しくて、辛いものだと思い込んでいた。確かにそうだった。同級生にきれいな女の子がいたが、声さえかけれず片思いの初恋は終わったし、高校生になって初めてデートした一つ年上の人とは何も話も出来ず、無言で川原を歩いただけだった。後で届いた手紙には「もう会うのはよしましょうね」と冷たい拒否の文字があった。我が青春の恋は相思相愛どころか、常に道半ばでプッツンと弾けた。

 しかし、今にして思えばそれで良かった。人を好きになり、人を恋し、苦しみ、悩んだ苦労は決してむだにはならなかったからだ。好きな人を好きになり、恋をし、その恋に傷ついた心は「他人の心を傷つけてはいけない」という教訓を残した。まあ、自分の恋の体験はせいぜい「井底(せいてい)の蛙(あ)」のようなもので、まだまだ世界の広さは知らない。それでいいと思っている。

 堤防まで自らの意思で歩き出したアキは、雪がまだ残っている寒々とした光景を見ただけで「帰ろう、帰ろう」と四つ足を踏ん張った。アキも寒さにめっぽう弱くなったのだ。「さようならの さよならの声も哀しく かすれてた」。朝からこんな哀しい歌を歌うわけにもいかず、ただメロディーだけを諳じて、アキと共に自宅に戻った。家に入ると小犬のパピヨンが今度は自分の出番だとばかりに「アッアッアッ」と叫び、カウンターの上にある散歩用のリードをクビに掛けてと二本足で立って盛んにせがんだ。「よしよし、パピー。散歩か。連れて行ってやるぞ」。パピーの大きな黒い瞳が光った。春はあけぼの。我が家の幸せな春の朝の一こまである。