こちら編集室「見上げればそこに空」(3月22日)

 「クォー、クォー」。間もなく夕闇になろうとしているころ、突然、空から甲高い声が響いた。見上げたら白鳥の群れだった。3羽、5羽、6羽と数えたが、全部を数えきれないうちに白鳥の群れは視界から消えた。美しい一列編隊をなしての飛行だった。先頭になって飛んでいる白い鳥、それに続く群れの姿が健気(けなげ)だった。珍しく青空が広がった夕方だった。青空と白い鳥の一列編隊は対照的な美しさを見せた。夕闇が迫ろうとしているため、白鳥たちはその夜のねぐらを求めて、必死になっているようにも見えた。渡り鳥が北へ帰る季節になった。白鳥の群れを見上げ、見送った。白鳥たちはこの冬、どこで過ごしたものだろうか。あの十文字町の皆瀬川だったろうか。10数羽の群れは一つの家族なのだろうか。先頭となっている親鳥に取り残されないようにと懸命に後を追う姿がいじらしかった。遠くシベリアを目指して飛んでいく、白鳥たちの“北帰行”はどこか寂しく、哀れでもあった。

 「空の名前」と言う高橋健司さん(角川書店)の本を買い求めた。副題にあった「見上げれば、そこに、空がある」に心引かれ、ページをめくったら雲と水と氷と光、そして風をテーマにした写真集だった。雲は小学生のころから大好きな眺めだった。小学校への道は両側が田んぼに囲まれた単調で真っ直ぐな道だった。まだ舗装もされてなかった。当時は短靴と言うゴム製の靴が主流だった。砂利道だったので、黒いゴム製の靴はいつもホコリで灰色に汚れていた。学校を終えるといつも一人での下校だった。青空を眺め、白い雲を眺めての下校だった。

 あのころの悲しい思い出と言えば、自転車に乗った担任の女の先生が自分を追い抜く際に「伊藤君はいつも一人なのね」と言ったひと言だった。先生のそのひと言は氷の刃のように胸に突き刺さり、「怒られてしまった」と強い自己嫌悪に陥ってしまった。まだ入学して間もない1年生だった。先生のそのひと言で、自分はクラスの中でたった一人の醜いアヒルの子となったような劣等感を抱いてしまい、帰り道は悲しく、足どりが重かった。無言で家に入ったら、いろり端に座って縫い物をしていた母が「マア。何した?」と手を休め、後を追うようにして立ち上がって額に手を当てた。母は子どもの様子に敏感で、機嫌が悪いのを目ざとく感じると、カゼではないかと良く額に手を当てるクセがあった。

 その母の手の温もりにいくぶん救われたが、自己嫌悪に陥った心の傷はその後も長く自分を苦しめた。口が重い方で、人見知りしがちな面もあって、同級生と連れ立って、ワイワイガヤガヤと歩くのが苦手な小学生だった。それが先生の目からすれば「仲間と打ち解けれない性格」と見えたかもしれない。小学校に入学して初めて受けたショックであり、悲しい思い出の言葉である。

 とにかく同級生と連れ立って歩くより、一人で歩きながら青空を眺め、雲を眺めているのが好きだった。青空にポッカリと浮かんだ雲は、一人歩きの心の空洞を一筋の光りで照らし、寂しさを綿のように吸い上げてくれたものだった。饅頭のような形をした雲、布団のように平らで寝そべった形の雲、竜のように怒り猛った形の雲、ワニのような怖い形の雲、クジラが空を泳いでいるような雲、ウサギのような可愛い雲・・・。雲は変幻自在に変化し、風に流され、空を移動した。「雲はいいなー」と今でも思う。青空にポッカリと浮かんだ白い雲を眺めていると今でもホッとする。

 買い求めた本にはその懐かしさと郷愁感がいっぱい詰まっていた。子どものころ歩いた通学路は、田んぼの真ん中を貫いた真っ直ぐで未舗装の道路だった。その両側を水路が流れ、青い笹が茂っていた。その笹の葉を折って笹舟を作り、水路に流し、競走したこともあった。笹舟を追って走るだけだったが、流れに乗った笹舟は自分の意思を持ったように右に曲がり、左に曲がり、行く手をさえぎるものがあれば、見事にそれを避けてスイスイと流れた。笹舟を追う。その単調なゲームがとても楽しかった。

 道路沿いには一軒の家もなく、田んぼと空しか退屈を慰めるものはなかった。水路に手を入れると青ガエルが驚いたように飛び上がり、こちらもその青く光る蛙を見て、飛び上がってビックリしたものだった。蛙と言えば、その水路にはいろんな蛙が棲息していた。トノサマガエルという立派なのもいた。青ガエルは手にしたことはあったが、トノサマガエルだけは不気味で、ただ眺めただけだった。あのとぼけた光る目が今でも覚えている。 筋雲(すじぐも)、羽根雲、ほそまい雲、浪雲(なみぐも)、あばた雲、泡雲(あわぐも)、鯖雲(さばぐも)、羊雲、朧(おぼろ)雲、こごり雲、座り雲、立ち雲、入道雲、笠雲、蝶々雲、もつれ雲、はぐれ雲。買い求めた「空の名前」の写真集には雲の様々な姿とその名前が紹介されていた。

 もつれ雲、はぐれ雲。写真集を見ながらなんて文学的な雲の名前だろうと思った。もつれ雲とは絹糸がもつれたように見える巻き雲の一種とか。そしてはぐれ雲とは他の雲と離れて、ポツンと流れていく雲を言うとか。思えば、自分の子どものころは「はぐれ雲」のような下校だったかもしれない。登校時は時間帯も同じだったので、近くの同級生と一緒だったが、帰りだけはいつも一人だった。集団を組むのが苦手な面もあったから、一人で歩くのが気楽だし、好きだった。空を見上げれば白い雲があった。周囲が田んぼだけだったので視界をさえぎるものはなく、広い空はどこまでも広がっていた。

 青く染まった奥羽山脈から立ちのぼる入道雲を振り向いては眺め、遠くに霞む西山の丘陵に浮かぶ綿のような雲を友とした。南を向いても北を向いても雲があった。雲は流れ、雲はいつも自分と共に移動しているように思えた。雲は空に浮かぶ軍艦でもあり、家でもあり、多くの夢が詰まった絵本でもあった。

 子どものころ手にした絵本に「ジャックと豆の木」があった。貧しい母と子の生活を描いた童話だった。乳の出なくなった牛を売って来るようにと母に言われたジャックは、牛を連れて市へでる。途中で不思議なおじいさんから「ジャックやその牛とこの不思議な豆とを交換しないか」と言われ、ジャックは交換してしまう。

 お金に替えて来るものと期待していた母は、お金ではなく単なる豆と交換したジャックのバカさ加減にあきれ、怒り狂って豆を投げてしまう。翌朝、目が覚めたら豆はおじいさんが言ったように天まで届く大木となっていた。ジャックは雲の上へと冒険する。雲の上には城があって、そこには人を食うのが大好きな大男が暮らしていた。ジャックはその大男の妻の機転で危うく難を逃れ、その男が昼寝している間に金貨を盗んで母の元へ帰って来る。そして再び雲の上に上って大男から金の卵を生むニワトリを奪い、さらには金の竪琴を盗み、大男に追われるが、豆の木を斧で倒して追って来る大男を退治、ジャックとその母は幸せをつかむ、こんなストーリーだった。

 ジャックと豆の木の絵本を読んで、あの雲の上には城があるんだと夢を描いたものだった。あったらいいなと望んだものだった。雲から雲へと自由に飛べたらどんなにいいだろう。小学校から帰る道すがら、空を眺めては「孫悟空」になれたらいいだろうなと憧れたものだった。

 3月に入って雪解けが急速に進んでいるが、なぜか雨の多い日々が続いている。雨が降らなくても曇り空の日々だ。「空の名前」で紹介されている「不透明雲」や「降水雲」ばかりが広がる日々だ。いわゆる「雨雲」が空を覆ったままだ。雪解けは進んでも、冬の名残がまだ空にはあるのだろう。今日は雨だけなく、黄砂まで降った。洗ったばかりの車はその黄砂で台無しとなってしまった。泥んこだらけに化粧されてしまったのである。見上げればそこに青い空と白い雲。そうした日々が待ち遠しい。