あれも連休のころではなかったか。小学生のころのことである。明日も学校は休みとあって、同年代の仲間たちが神社の境内に集まっては、かくれんぼやカン蹴りなどをして遊んでいた。その遊びにもあきると今度は道路に出て、自転車屋から貰ったタイヤもチューブも外した「リム」を転がす遊びにふけったものだった。リムのくぼみに竹の棒切れをあて、転がして走るだけの単純な遊びだったが、それがとても楽しかった。デコボコの砂利道をリムはカランカランと金属製の乾いた音を立て、上下に大きく揺れてコロコロと転がった。当時は家の前の道路も1時間か2時間に1台程度、駅に往復するバスが走るだけだから、道路そのものが運動場だった。
夕方になって「じゃ、また明日もやろう」と別れようとした時、年上の子が空を見上げ「アッ。明日はだめだよ。太陽にかさがかかったから、雨になるよ」と予言した。「エーッ。太陽に傘・・・」。こちらもビックリして空を見上げたものだった。太陽にかさがかかると言う言葉も初めて聞いたものだった。しかも、そのかさがかかると雨になると言う予報にとてもガッカリしたものだった。
見上げると確かに太陽の周りに薄い雲が丸く掛かっていた。気象用語では「傘」ではなく「暈(かさ)」と書くのだが、あのころは太陽にかかる暈は「傘」と思っていた。太陽も傘を被って雨に濡れるのを避けているのだろうと思った。太陽はその暈に覆われたままゆっくりゆっくりと西へ移動していた。そして次第に雲も量を増し、青空が次第に薄曇りとなった。「ああ。明日はやっぱり雨か」。空を見上げ、雨の予報にため息をついたものだった。その翌日はやはり雨となった。その日、どんな遊びをして過ごしたかは記憶にない。
不思議なもので、小学生のころの遊びは好天の日、外で遊んだことは覚えているが、家の中ではどんな遊びにふけったものか、記憶は薄れる。多分、隣の家のコンクリートの土間で「パタンコ」と言う丸く切り取った堅紙の表面に武者絵や漫画の主人公が描かれた紙をぶっつけ、風圧で裏返しとなったのを取り合う勝負事をやっていたのかもしれない。雨の日は雨の遊びを思いついたものだった。
その暈が連休初日の3日に現れた。太陽を丸くぼんやりと雲が覆った。その暈を眺めながら「ああ。明日は雨か」と子どものころ同様に気持ちを落とした。案の定、天気予報でも4日は雨と予報し、空は次第に曇った。そして予報通りの雨となった。雨が降り出したのは昼ごろからだったが、連休の合間の心の休日と思って体を休めた。そして六郷町に新しくオープンした集客施設「湧太郎」へと出かけた。館内はオープン2日目とあって、見物客で押すな押すなの人出で大賑わいだった。本紙のスポンサーでもある「あんだんて」にも寄って、妻は美しいガラスのアクセサリーの買い物を楽しんだ。お土産店あり、喫茶店あり、レストランもある「湧太郎」が清水の町・六郷の活力源となることを祈った。
翌5日は秋田市土崎港にオープンしたイヌも同伴で入れると言う話題の「カフェ」を訪ねた。「行ってみたい」と言う妻の希望もあった。妻は小犬のパピヨンに洋服を着せ、抱き上げては「パピー。今日は秋田に行って、パピちゃんと一緒にコーヒーを飲むんだよ」と子どもを相手にするように語りかけた。それほど楽しみにしていたのである。こちらもそのカフェで様々な愛犬家と交流を深められるのではないかと楽しい想像を膨らました。
しかし、せっかく訪ねたそのカフェの玄関の張り紙を見て「何だこれは・・・」と驚いた。「ワンちゃん連れのお客さまは外のテラスをご利用下さい」との張り紙があったからだ。イヌを連れて行っても店内で誰にも気兼ねなくコーヒー、昼食をとれるものと思ったのが、イヌ同伴は「外のテラス」と言う扱いだったのだ。
イヌ、ネコ嫌いの人のことも配慮してのことだろうが、その日は海風がひどく、冬用のジャンパーを羽織っても寒いほどで、とても外で昼食をとれるような天候ではなかった。自分たち同様、イヌ連れの客が来たが「こんな所でコーヒーを飲めと言うのか。寒くて居られないよ」と不満をこぼしながら足早に帰った。
結局、ワンちゃん同伴で楽しめるというカフェでの昼食はあきらめた。あきらめたら、パピーを連れてきたことに無性に肩身の狭い思いがして、昼食をとってから見学しようと思っていたそのカフェが入っている商業施設からも早々と退散した。「来るべき所でなかったのだ」。そんな惨めな気持ちでいっぱいとなった。パピーは大勢の観光客が歩く姿を目にし、大喜びでポートタワー「セリオン」周辺を散歩したが、食事は一緒にとれないため、パピーだけを車に入れての昼食となった。
無口となった妻は「イヌも同伴で入れるとあったのに看板倒れね」と詰まらなそうな顔でつぶやき、こちらも「イヌを飼っている人たちの気持ちも分からない人が店を開いたのだろう」とうなずいた。イヌを連れた客は吹きさらしの外で、しかもすぐ目の前の国道を走る車の排気ガスに当てられ、寒さに震え、一般客は屋内の店内でゆっくりと過ごせる。「イヌ連れの人間は入るべからず」。そんな「差別」を受けたような感じで後味の悪い一日となった。
と、ここまで書いて言い訳するようだが、その店の「悪口」を書こうとしているのではない。後で事情を聞いて頷ける面もあったからだ。とにかくその日は「イヌを飼っている人の気持ちが分からない人が話題性だけに飛びついたものだろう」と「誤解」したまま秋田を去った。イヌを連れた客と一般客との区分け。確かに衛生面を考えたり、動物嫌いの客のことも配慮すると、イヌ同伴の客は別のコーナーに席を用意するしかなかったかもしれない。また食品衛生上の問題で保健所からの指導もあったかもしれない。しかし、秋田県でも初めてイヌを同伴できるカフェとして話題になり、新聞やテレビで取り上げられ、その記事を読み返してもイヌを連れた客は外の席へとは少しも触れてなかった。
だから自分たちもイヌを連れたまま気軽にその店に入れるものと思い込んだ。結局は後味の悪い思いをして帰ったが、そのままそのお店のことを放っておいて果たしていいものかどうか悩んだ。もちろん、釈然としない面もあったが、新聞やテレビであれだけ話題にされ、誰もがイヌ同伴で入れると思ってしまったカフェが、行ってみたらイヌ連れは「別扱い」ではそのお店の印象も悪くなるのではないか。ペット連れの客に親しまれる店でありたいと「理想」を燃やした店が、逆効果となって「嫌われる店」になるのではないかとも思った。
余計なお節介と思いながらも、電話番号を調べ、そのお店に電話して自分たちが受けた印象を率直に話した。海沿いだったため、海からの風が寒く、その上、目の前を走る車からの排気ガスや粉塵の事を考えるととても腰を下ろして、コーヒーを飲める場所ではなかったこと。しかも、一般の客はガラスに仕切られた小ぎれいな店の中で寛げるのにイヌを連れたこちらは吹きさらしの場。これでは「差別」されたようでとても悲しかったと。
電話に出た相手の女性は言葉で受けた感じでも「平身低頭」し、こちらの話しに耳を傾けた。そして「そのような気持ちは毛頭なく、最初は店の中もイヌを連れたお客さんに入れるようにしたかったが、保健所から許可が出なかった」との説明だった。「仕方なく、テラスだけをイヌ連れのお客さまのコーナーとしてしまった。秋田で初めてのワンちゃんも同伴できるカフェと話題になり、多くの新聞、テレビの取材を受け、その都度、イヌを連れたお客さまの場合は、席がテラスになると言うことも説明したのだが、記事を見るとワンちゃん連れで入れるカフェと、そればかりクローズアップされてしまいました」と語った。
その話を聞いて取材した側の新聞、テレビにも「説明不足」という落ち度があったことも分かった。そして「いずれ何とかイヌを連れたお客さまにももっと気持ちよく寛いでもらえるよう工夫したい」とも述べた。誠実な受け答えだった。
最後に「本当にこのようなことを注意して下さってありがとうございます」とお礼も言われた。その上で「お客さまのお名前を教えていただきたい」とのことだった。別に隠す必要もなかったので、会社名と名前を明かしておいた。
それからしばらく経って携帯電話が鳴った。「秋田市のカフェのものですが」と名乗ったのはその店のオーナーの女性だった。やはり最初の女の人同様の説明だったが、その言葉づかいもそして「私自身もイヌを飼っていますので、イヌを飼っている方の気持ちは良く分かります。決してイヌ同伴のカフェと言う話題性だけを追ったのではないことをご理解願いたい」と誠意を込めて説明した。その上で「保健所の指導もあるが、テラスの問題もいろいろと工夫を凝らし、お客さまに満足いただけるコーナーとするよう努力します」とも述べた。そして「保健所とももう一度、相談してみたい」ともおっしゃった。
真心のこもった説明は気持ちいいほどだった。まだオープンして間もないだけに、いろいろと気づかなかった点もあることだろう。「わざわざ、大曲市からいらして下さったのに」とさも気の毒そうな声で詫びた。そして「きっとお客さまに満足いただける店になるよう努力したい」と答えた。その回答を聞きながら「頑張ってほしい。ペット連れの客が本当にファンとなれるお店になるように」と祈った。
最後にこちらも言い訳になるようだが、イヌを飼っているからといってイヌ中心のいわばイヌにおぼれた生活をしているのでは決してない。人に迷惑をかけることがないよう最低限のエチケットは守っているつもりである。保健所の方もあまり杓子定規にならず、ペットと共に過ごせる社会が少しでも広がるよう、お店の声に耳を傾けて下さることを祈りたい。もちろん、私たちイヌを飼っている人間もしつけやフンの後始末は迷惑をかけないようキッチリやらなければならない。秋田でも心和むペット社会が広がることを切に祈って。