柴犬のアキを連れ歩く朝夕の散歩は自分にとって貴重な思索の時間であり、自然の変化を観察し、季節の移ろいを知る大切な時間でもあった。そのアキもこのごろでは老化のせいか歩く距離がとても短くなってしまい、食事を終えて表に出てもすぐに帰宅するばかりだ。いつもの散歩コースである横手川の堤防まではどうにか歩くのだが、用を済ますと後はすぐにきびすを返し、家に戻ろうとする。「アキ。もう少し歩こうよ」と紐を引っ張っても四つ足で踏ん張って、頑として言うことを利かない。人も老化すると頑固になると言うが、アキも年齢と共に依怙地になってきた。
以前なら歩くこと、走ることが大好きで、横手川の堤防をトコトコと真っ直ぐ南に向かって歩き、杉林から角間川小学校へと向かい、そこから川港親水公園へと下りて自宅に帰るのが習慣だった。日曜日の天気のいい日なら、紐を放してアキを自由にさせたこともあった。アキは無我夢中になって走り、躍動する筋肉の力強さを誇ったものだった。時には姿が見えなくなるほど遠くへ走って、こちらをチラッと振り返ってはまた走り出した。こちらが杉林の中や堤防の雑草に身を寄せて姿を隠すと心配そうに駆け戻って、様子を確認し、隠れていることが分かると再び脱兎のごとく遠くへ走ったものだった。
時には呼んでも呼んでも戻って来ず、怒ったこちらは「アキ。もう知らん!」と一人で家に戻って妻に「オーイ。アキを放したらもう戻って来ないよ」と当たり散らしたこともあった。驚いた妻は「エー。それであなた一人で戻ってきたの。そんな・・・。アキ、車にひかれたらどうするの」とあきれ、一緒にアキを探しに行ったこともある。アキはこちらの姿が見えなくなったので本当に心配したようで、「アキー。アキー」と呼ぶ声に夢中で駆け戻ってきた。それからだった。アキは紐を放して自由にさせても、呼ぶとすぐに戻るようになったのは。
堤防は今、ムギのような形の雑草や野菊に似た草が生い茂り、青々としている。ひざほどの背丈に伸びている。その雑草の成長を観察し、朝日を受けてアキと自分の影が路上に投影されるのを見つめながら、歩くのが好きだ。アキは道路上に全身を針で覆ったイノシシのような影を映し、こちらは脚長(あしなが)おじさんのような長い影を路面と堤防下まで落とす。
走ること、歩くこと、そして家族を守ろうと吠えることが大好きだったアキももう14歳だ。昨年暮れから容体が悪くなり、果たして寒い冬を乗り越えられるだろうかと本気になって心配したが、その冬を車庫で眠って耐え、やっと春を迎えた。便秘で苦しんだこともあったが、このごろは便通も良くなった。ただ困ったことに堤防に着く前に便通をもよおし、よその家の前の路上で屈んでしまう。便はティッシュペーパーとビニール袋で拾い上げるが、場所を選ばずどこでも出すようになったのも老いのせいだろう。とにかく隣近所に迷惑をかけないようにしなければ・・・。
歩かなくなったアキのおかげで、大切な思索の時間と自然観察の時間が失われてしまった。天気のいい日はアキの散歩後、小犬のパピーも外へ連れ出すのだが、パピーはチョコチョコと右へ行ったり左へ行ったりで落ち着かず、とても心落ち着かせて思索を巡らす気分にはなれない。歩く姿がヨチヨチの坊やのようで、可愛いのだが、お尻を振って気ままに歩く姿に気を取られ、考えたくても精神が散漫になってしまう。可愛いが、静かに思索するには不向きな困ったイヌだ。
このごろ喪失感というか、心の中にポッカリと空洞が出来たような寂しさと失望感があって苦しんだ。それはどうにも解決の着かないことだが、心の折り合いをどうつけたらいいのかと一人で悩み、考えてもみたが、気持ちが滅入るばかりだった。憂鬱感や悲しみは特に雨の日に募った。シトシトと降る雨を見つめ、アキを連れて誰もいない堤防を歩くと寂しさと失望感に襲われ、「どうしようもない自分が歩いている」と我が身を嘲り、敗北感にうちひしがれた。人は生きている限り、説明のしようがない悲しみや寂しさを味わうこともある。それを誰にも語らず、どう韜晦(とうかい)すべきか。やはり耐えるしかない。冷たく、重くのしかかる時間は耐えるしかないと雨空を眺めた。
そんな憂鬱な気分をかかえながら、もうどのくらいの時が流れたろう。このごろいくぶん、気分が和むようになった。諦観(ていかん)という壁が心の中につくられたような気がする。老化したアキがその姿をもって「耐えるとはこのようなことだ」と無言で教えてくれたような気がする。耐えるという「哲学」さえもアキが教えてくれたと感謝したい。そして人と会い、人と語り、取材活動を通じて沈んでいく気持ちを紛らした。
当たり前のことだが、新聞記者とは取材して、正確な記事を書くのが責務である。なのに悲しかったり、苦しんでいる時は頭がボーッとして、原稿を書こうと思っても言葉が浮かばなかったり、常識的な言葉さえ忘れ、とんでもないミスをやってしまう。「子どもの日」の記事だった。取材に行って原稿を書こうとパソコンに向かったら思わず「子どもの日」を「少年の日」と書いてしまった。そしてそのまま掲載してしまった。数日経って、見出しを見て赤面した。なんと言うミス、とあわてた。もっと冷静にならなければと自分に言い聞かせた。
その「秋田県南日々新聞」も14日に70万のアクセス数を超えた。愛称「ケンニチ」として読者に親しまれ、15日、角館町であった伊勢神宮に献上するための田植えを取材に行ったら自分よりも年配の方から「伊藤さん。いつもケンニチを楽しませてもらってます。今日のこの田植えのニュースも載るんですね」と期待の声が掛けられた。自分が知らなくても、相手の方はこちらの顔を知っている。そしてケンニチは見知らぬ多くの方から支持され、読まれていることを実感した。悲しさや、苦しさに負けてはいられないと思った。思ったが、ケンニチの編集っ子は心が弱い。いつまた挫折しそうな気分に襲われるか分かったものでない。読者の温かい支援を受けたい。
96年12月1日にスタートした「秋田県南日々新聞」。アクセス数が10万を記録したのは98年6月26日だった。そして昨年6月8日には50万となった。しかし、100万という数字ははるかかなたの距離と思っていたが、70万と言う数字は100万を身近なものとした。おそらく来年中か翌年の早い時期には達成することだろう。その日を目指してもう少し息の長い活動を続けよう。