敦子・リーさんの「真心・ふれあい『W杯に乾杯』」(02・5・31)

 開幕前夜の熱気最高潮!。

 日韓共催による歴史的な開幕!と、世界が注目するワールド・カップ2002年。ここロスアンジェルスでも、ロスアンジェルスタイムスが特集を組んだ。特集号の表紙には、青い地球の絵に、日本と韓国を白く浮き上がらせて、共催する歴史的意義を祝福しているようだ。
 
 東京・ソウル午後8時半、イギリス午後12時半、ブラジル午前8時半、ロスアンジェルス午前4時半。5月31日開催時の各国の時差が、紙面に大きな時計で示されている。ロス住民がゲームの生中継を見るには、夜半より早朝にかけてみるしかない。それを辞さないロスアンジェリーノは数知れず。海外もしかり。千葉に住む私の友人は、スペイン語の通訳として、応援のためメキシコから日本に来る2000人のお世話をすると、メイルを送ってくれた。「W杯のために、車を売り、家財を売ってまで歴史的イベントに参加する、信じられないサッカー熱」とあり、私まで興奮気味になってしまう。スポーツを通して、感情を共有できる連帯感は、とても心地良い。
 
 東京・ソウル午後8時半。つまり日本と韓国には時差がない。この当たり前の事実に、15年前ソウルの金浦空港に成田から到着した私は、不思議な感慨を味わったことを思い出す。87年2月、ロスで結婚する前に、義母父に挨拶するために韓国を初訪問したのだが、「お父ちゃん、今ソウル。日本と同じ時間だで」と、大曲の実家の父に電話をした私の一声だった。高齢の義母父が日本語を話す事もびっくりしたし、日本と同じ神社の鳥居があるのもどっきりした。普通教育を受けたつもりでも、私の隣国に対する無知がはっきりした。
 
 ソウル入りの前に、やはり友達で一流の韓国語通訳として活躍している、秋田の県北出身の彼女に、「初めて向こうの両親と会うんだけれど、日本人の私として気をつけることはない?」と聞いた。「大丈夫よ。あっちゃんらしく振舞えばいいから。心配しないで」と、自信がなく緊張する私を支えてくれた。が、それが仇となり、私は大失敗したのである。
 
 初訪問の夜、座卓テーブルに食事がのせられ、「順調順調。本当に素晴らしい彼のご両親」と、私はたくさん並べられた韓国料理を前に、内心ほくそえんだ。そしてテーブルに、乾杯用のグラスがないのに気付いた。「オモニ、私のグラスがまだきてません」と、台所とテーブルを忙しく往復している義母に、ひかえめに伝えた。義母は、何も言わずに、そっと私のグラスを持ってきてくれた。これで、家族水入らずの晩餐準備完了!と、ビールをグラスについで「乾杯」をした。義母にもグラスがなかったが、きっとお酒は召し上がらないのだと、自己判断した。
 
 楽しいお食事がすすみ、ビールからウィスキーにかわり、私は主人にご機嫌よろしく「おかわり!」と、もう一杯お願いした。将来の嫁は、あとかたづけの手伝いにと、台所に義母と並んで立った。義母曰く、「お嫁さん、お義父さんの前、お酒飲まない」。「!(ドキッ)」と私。韓国では、、、と、優しく説明してくれた。何故教えてくれなかったの?と、県北出身の友達を半ばうらみながら、義母の話を聞き終わった。しかしである。例えしてはいけないことをしてしまったと知っても、ショボンとしぼむ大曲おばこではないのである。丁重に「知らなくてすみませんでした」と謝り、「オモニ。日本は逆なんです。みんなで乾杯する事に意義があるから、日本では全員にグラスが配られ、お酒飲めない人でもグラスを持ち飲んだふりをするんです」と、説明させてもらったのだった。「わかりましたよ」と、義母はにっこり私に微笑みかけてくれた。強気の嫁だ、と思ったにちがいない。
 
 現在87歳になる心優しい義母は、7年前からロスに移住して末娘夫婦と暮らしている。「おとうさん(義母の夫)は、シュッキュ(蹴球=サッカー)が大好きだった。高校時代にはソウルの決勝戦にまで出たくらい」と、昨日、病院での定期検診に向かう車中で、義母はワールド・カップを話題にしながら思い出を語ってくれた。昨日、5月29日は義父の命日だった。
 
 「カンベー」は韓国語。「カンペー」は中国語。「カンパイ」は日本語。韓日友好の新時代到来に、乾杯をロスから贈りたい。日韓共催のビックイベントが世界に流される場所は、横浜。私の内小友小学校時代に、父が毎冬家族のために出稼ぎに行った港の近く。そして、私も渡米する前の2年間住んだ山下公園の近く。「お父ちゃんが出稼ぎに行ったあと、お母ちゃん柱の陰で泣いてたっけ。お父ちゃんの出稼ぎのおみやげのバナナ、ガム美味しかったな」と、父を思いながら桜木町駅まで歩いた日々。来し方の時と場所を繋げて、仰ぎ見るワールド・カップ2002。無事故大成功を、世界の友と祈りたい。